ターボ、今も進化を続ける過給器の初期

日本でスーパーカーブームが来た頃、75・76年頃だと思うが、カーレースに於いて、純レーシングカーのグループ7=フォーミュラーカーはNA、市販車改造の究極たるグループ4・5・6はターボチューンだった。

F1では3リッターNA、フォードコスワースV8やフェラーリアルファロメオフラット12やマトラV12、ルノーが1.5リッターV6ターボをやり始めたくらい、大体500馬力くらいだった。

同時期、グループ5ではポルシェが3リッター弱のフラット6ツインターボで600馬力超、BMWが3リッター超の直6ツインターボで700馬力超だった。

以後、グループ6、プロトタイプカー/Cカーに於いて、約3リッターV6/フラット6ツインターボルノーやポルシェが争い、日本メーカーは2リッター直4ターボでル・マンなどに参加した。

日本メーカーは、ル・マンなどにグループ6車両やラリー車両に2リッター弱の直4ターボを投入して、ターボエンジンのパワー&トルクやドライバビリティーを磨いた。

その成果として市販車に反映され、トヨタセリカ系やニッサンのセド/グロ系、三菱のランタボ、マツダのロータリーターボなど、ホンダもシティーターボを出した。

当初は、インタークーラーもなく、ブースト圧も高くはなかった。しかし、元々NAで負圧状態であるところ、ブーストが正圧になると異次元のトルク感だった。

F1でターボが制するのは、83年のマクラーレンポルシェではなかったか?その後、ホンダが第2期F1参加した。そして、80年代中盤からインタークーラーターボ、ツインターボ、シーケンシャルツインターボスーパーチャージャー&ターボなどが市販車に投入された。

 

 

 

 

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クルマ好きを虜にした最強メカニズム!! 「ターボ」初めて物語
2024.02.11 03:02掲載ベストカーWeb2
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排気ガスを利用し、圧縮した空気をエンジンに送り込むことで出力を高めるターボ。今から数十年前、それはパワーアップという根本的な部分だけでなく、クルマのステータスを上げるワードにもなっていた。そんなターボ時代の幕開けを少しだけひも解いてみよう。

文/木内一行、写真/トヨタ、日産、マツダ、三菱

クルマ好きを虜にした最強メカニズム!! 「ターボ」初めて物語

■半世紀近く前に登場した国産車初のターボがコレ「日産セドリック/グロリア」(430型)

日本の市販車で初めてターボエンジンを搭載したのは、「430」の愛称で知られる5代目セドリック/6代目グロリアだ。

1979年6月にデビューし、風格ある水平基調のスタイリングや先進装備の数々で注目を集めたが、半年後には国産量産車初のターボエンジンが搭載されて話題となった。

当初は5MTのみの設定だったため走りのイメージが強いが、当時は燃費性能向上と排ガスのクリーン化が求められていた時代。それゆえ、パワーアップが主な目的ではなく、省燃費や騒音低減などに配慮しながら大排気量エンジンと同等の性能が得られる……という触れ込みだったのだ。

そのL20ETは、2Lながら145ps/21.0kg-mを発揮。2.8LのL28Eが145ps/23.0kg-mというスペックだったことを考えると、ターボの効果がいかに高いかがわかるはずだ。

このL20ETは、その後スカイライン(5代目C210および6代目R30)やフェアレディZ(2代目S130)などにも搭載。後継のRB系が普及するまで、日産ターボエンジンの主力として活躍した。

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マツダだから可能だったロータリー+ターボ「コスモ/ルーチェ(HB)」

デビュー当初の3代目コスモは、2ドアハードトップの2L直4エンジンのみ。しかしその後、4ドアハードトップや4ドアセダンが順次発売され、エンジンもディーゼルや12Aロータリーの自然吸気&ターボ、13Bロータリーらを追加していった

ロータリーといえば、世界で唯一マツダが量産化に成功したエンジン。それゆえ、当然ながら同社が世界で初めてのロータリーターボを作り出した。搭載されたのは、1981年デビューの3代目コスモと4代目ルーチェだ。

この世代の両者は兄弟車の関係にあるものの、ボディバリエーションやデザインの違いによって差別化。ただし、レシプロとロータリーというふたつのエンジンが搭載されていたことは共通だ。

世界初のロータリーターボが登場したのは1982年。573cc×2の2ローターエンジンとなる12Aに日立製のタービンとEGIを組み合わせ、160ps/23.0kgmを発揮。ロータリーならではのスムーズさにターボの圧倒的なパワーがプラスされ、スペシャルティカーとしての魅力が一層高まったのである。

ちなみに、本命と思われるサバンナRX-7SA22C)に12Aターボが搭載されたのは1983年9月。コスモ/ルーチェはそれより1年も早く、ロータリーターボの感動を味わえたのである。

■軽自動車もターボチャージャーでドーピング「ミニカアミ/ミニカエコノ」

軽自動車の新規格に合わせてモデルチェンジした4代目ミニカ。その後、ユーザーの多様化に対応するべく、近代的なスタイルや低燃費の追求、運転のしやすさや居住性の向上を課題に開発されたのが、後期モデルのミニカアミL/ミニカエコノだった(写真はミニカアミL XL)

1980年代、三菱は「フルラインターボ」を掲げ、すべての車種にターボエンジン搭載を目指していた。軽自動車も例外ではなく、ミニカにも軽初となるターボモデルがラインナップされたのだ。

1977年にモデルチェンジした4代目ミニカは、「アミ55」のサブネームを付けてデビュー。マイナーチェンジ時にホイールベースを延長して「アミL」へ改名し、商用モデルの「エコノ」も登場した。そして、1983年2月には両者にターボモデルが追加された。

546cc直2のG23Bユニットには、世界最小の自動車用ターボチャージャーをドッキング。燃料供給装置はキャブレターながら、排ガス対策技術のMCAやサイレントシャフトといった独自のテクノロジーも採用。その結果、39ps/5.5kgmというスペックを誇った。

1984年2月には5代目へモデルチェンジしたため、ターボモデルの生産は約1年しかない。それゆえ、記念すべき軽ターボ第1号ながら、人々の記憶に残らないモデルとなってしまったのだ。

■ふたつ付ければ鬼に金棒!? 国産初ツインターボ「マークII3兄弟(X71)」

1979年に初めて市販車に採用されて以来、DOHCとの組み合わせやインタークーラー付きなど、さらなるパワーを求めて進化を続けたターボエンジン。1985年には、当時のハイソカーブームを牽引した71系マークII3兄弟に日本初のツインターボモデルが追加され、クルマ好きをアッと言わせた。

搭載される1G-GTは、ひと言で言ってしまえば既存の1G-Gにターボをドッキングしたもの。ただし、小型軽量のターボをふたつ装着したことで優れたレスポンスを実現し、ターボ特有のターボラグを低減。高出力を達成しながら、全域でターボの効果を発揮させることができるようになった。

スペックを見てもその差は明らかで、1G-GTが185psなのに対し、1G-Gは160ps。しかも後者はグロス値のため、実際には50psほどパワーアップした計算だ。

また、エンジン本体の強度を高め、水冷式インタークーラーや高性能ECUを採用したことも、高出力化に大きく貢献している。

その一方、1G-GTを搭載する「GTツインターボ」は、標準車とそれほど大きな見た目の違いはない。つまり、「羊の皮を被った狼」的な存在なのである。

■日本の乗用車史上唯一となるツインチャージャー「マーチ(K10)」

ボンネットにはインタークーラーに空気を取り込むためのエアスクープを設置。さらに、スーパーターボフォグランプ埋め込み式の専用エアロバンパーやルーフスポイラーも装備。見た目からして、当時のボーイズレーサー感満点だった(写真はスーパーターボ

日産の新しいベーシックカーとして1982年にデビューしたマーチ。初代は約10年も生産された息の長いモデルとなったわけだが、1988年には驚愕のスペシャルモデルが登場した。それがマーチRだ。

「R」の名が示すように、あくまでもコンペティションモデルなのだが、特に注目したいのが搭載されるMA09ERTユニット。日本初のターボとスーパーチャージャーを組み合わせたツインチャージャーなのだ。

低回転域ではレスポンスに優れるスーパーチャージャーを作動させ、回転が上昇するに伴いターボも作動。そして、スーパーチャージャーの作動損失が大きくなる4000rpm以上ではターボのみに切り替えることで、全域に渡る高トルクと鋭いレスポンスを実現した。

これにより、最高出力は110psを発揮。リッターあたりに換算すると118psになるほどのハイパワーを誇ったのだ。また、エンジン自体も専用設計で、ベースのMA10Sを930ccに排気量ダウン。これは競技でのクラス分けを考慮したものだった。

翌1989年1月には、マーチRをストリート仕様にリファインした「スーパーターボ」をリリース。当時、巷をにぎわせていたホットハッチたちに挑戦状を叩きつけたのである。

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