何故ミドシップなのかを、技術者と言わずドライバーと言わず理解デキてなかったニッサン。

レーシングカーが各カテゴリーでミドシップ化され、市販車にもポツポツと出現するようになった。重心位置近くに最重量物たるエンジンとドライバーと燃料タンクを集中配置する考えは、理に適っていても市販車に反映するにはハードルが高く多かった。飛行機や艦船でも、デキ上がりや性能は甚だしくはなく、むしろ整備性などのネガもあり操縦性も過敏、FRの方がドライバビリティーにも整備にも市販車としての実用性にもアドバンテージがあった。

エンツオのフェラーリは、レーシングカー≒スポーツカーを唱えながら、ミドシップ化には二の足を踏んでいた。ランボルギーニミウラの出現や、長男アルフレッドの指揮と意見を契機に、ミドシップはV6·V8ディノ系⇒V8系&V12系と発展した。日本の自動車メーカーも、車種展開の検討としてミドシップに着手した。特には、トヨタニッサン、アプローチが異なった。

トヨタは、AE86以外は軒並FF化した横置エンジン&ミッションユニットを共用し、ルノー5ターボ的手法で置換ミドシップを仕上げた。AE86系やFF車両と比較して、メリットを見出しにくかったが実用AW11MR2販売化には漕ぎ着けた。

ソレに対して、ニッサンフェアレディーZやセドリックグロリアのV6縦置エンジンに、後方へ縦ミッション&デフを取付したが、何故かフロントにも駆動力を追加しようとした。そのためか、MID4としてショー向け作成はされたが全く実用には至らず、廃棄された。

本来、「何故(リヤ)ミドシップか?」を技術者と言わずドライバーと言わず理解してなかったのだろう。クルマのシンプルレイアウトとして、フロントタイヤは舵取、リヤタイヤは駆動と考えれば、ミドシップマウントとしてはリヤタイヤ直前にエンジン&ミッションあるコトが理想、フロントミドシップはプロペラシャフト分が余計なのだ。フロントタイヤに駆動するプロペラシャフトは更にムダなのだ。

一方、フロントへのトルク分配技術が、R32GT-RのアテーサE-TSに繋がったと言われるが、技術追究と費用回収は別だ。また、ソコまでして開発実用化したアテーサE-TSも、R32GT-RグループA初年度で節操ない圧勝して、自ら門戸を塞いでしまった。ニッサンも70年代からグループ6/グループC車両は作成していて、エンジンを1.6〜2リッター直4にするか3リッターV6にするか、また市販車としての車体やレイアウトを作れば縦置ミドシップとしてMR2への良い対抗軸になったハズだ。しかし、余計なコトで車種展開の機会を失った。

ID4の不運とは“運がない”ではなく、不整(不考)運営の略だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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大排気量「V6」×MT搭載! 日産の「“ミッドシップ”スポーツカー」! 4WDでめちゃ楽しそうな「ド迫力モデル」! “和製スーパーカー”な「ミッド・フォー」とは 9/10(火) 12:30 Yahoo!ニュース 9

技術力を世界に示すために開発された、日産「MID4」 1980年代の日産によって、技術の粋を結集した技術力を世界に示すために開発され、後の車両開発にも大きな影響を与えた歴史的な存在である「MID4」。

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そのMID4は、バブルで湧く1985年当時、フランクフルトモーターショーでワールドプレミアされた。目的は、研究開発の成果を示す実験的モデルという立ち位置だった。その名の通り、エンジンをミッド部(車体中央)に搭載した4輪駆動のスーパースポーツカーを意味する。 MID4は、2年後の1987年の東京モーターショーで発表された「MID4-II」へと進化することになったが、そのいずれもが残念ながら市販化に至ることはなかった。 しかしそれでも「MID4」で実現されていた多くの技術は、1989年に発売された4代目フェアレディ300ZX(Z32型)やスカイラインGT-R(R32型)など、世界に通用する日産の代表的なスポーツカーへと継承されてゆくこととなる。 これは…ほしいぞ! 日産「MID4MID4のボディサイズは、全長4150mm×全幅1770mm×全高1198mm。ホイールベースは2435mmで、車両重量は1230kgだ。 パワートレインは、自然吸気の3リッターV型6気筒DOHC24バルブエンジンが、横置きに搭載され、最高出力は230馬力を発生させた。組み合わされるトランスミッションは5速MTである。 フルタイムの4輪駆動で、前後トルク配分はリア側に多めに振り分けられるほか、4輪操舵システムも組み込まれた。 MID4は日産のこの新しい4輪操舵「HICAS」システムを搭載した最初のクルマでもあり、これら一連の技術を満載にしたプロトタイプであるMID4は、世界ラリー選手権WRC)参戦を意識したものともいわれている。 ハンドリングを向上させるために、マルチリンクリアサスペンションとダブルウィッシュボーンフロントサスペンションが追加され、これら4輪駆動と4輪操舵システムは、最終的にスカイラインGT-R(R32型)に採用されることとなる。 フランクフルトモーターショーでの発表以降、日本国内での市販化に向けて開発は継続し、ファンからの大きな期待を集めていた。そしてこのMID4は、2年後にMID4-IIへと進化することになるのである。 多くの改良が加えられたMID4-II 1987年の東京モーターショーで発表されたMID4-IIでは、デザイン含めて多くの改良が加えられた。 市販車の流用だったパーツの多くは専用設計となった。エンジンはツインターボ化され、横置きから縦置きに変更されている。このエンジンは後に1989年にデビューすることになる4代目フェアレディ300ZX(Z32型)に搭載されている。 MID4-IIとなっても結局市販化には至らなかったのは、当時の過剰な設備投資によって悪化した財務状況のせいで、莫大な開発費用と工数の捻出が困難になったという経営判断によるものらしい。当時はまだバブル崩壊前であった。 80年代の時代背景とMID4の不運 「MID4」が開発された80年代は、日本の自動車産業が急成長を遂げた時代である。特に輸出市場での競争が激化し、日本車の高性能・高品質が世界的に認められ始めた時期でもある。 日産は、こうした国際的な潮流に乗り、技術力を示すことで市場での地位を確立しようとしていた。バブルの影響で企業は資金的に余裕があり、リスクを伴う先進的なプロジェクトに投資する余裕があった。 自動車メーカーはMID4のような、技術の粋を集めたプロトタイプ車の開発に多額の資金を投入し、より大胆で革新的なデザインを追求していた時代だったのである。当時の日産に限らず、自動車メーカーは失敗を恐れないチャレンジし続ける体力があったのだ。 バブルの影響や1990年代にかけての日産の経営危機など、複雑な経済状況が影響を与え、ホンダ「NSX」とは異なり、不運にもMID4は結局市販化されることはなかったが、その開発プロセスで得られた技術や知見は、後の日産の車両開発に大きな影響を与えた。 MID4は、日産が技術力を世界に示すための象徴的な存在であり、80年代の自動車産業の発展を理解する上で欠かせないモデルであるといえるだろう。

中兼 雅之

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