NPB史上、最悪手!868本を呼んだ王シフト。

王貞治長嶋茂雄、ONは巨人V9のシンボルであった。荒川道場による一本足打法王貞治、ノーグリップノーフォームイメージの長嶋茂雄。ホームランの王貞治、劇的タイムリーの長嶋茂雄という色分だった。王貞治中島治康以来の三冠王を目指し、長嶋茂雄はひたすら野球の攻守走を奔放に楽しんだ。V10は中日に阻まれた。王貞治は、野村克也に先を越されたが2年連続三冠王を達成、翌年以降に650号と野村克也通算本塁打を抜く期待を残した。長嶋茂雄はその年で引退、いきなり監督就任した。

王貞治が荒川道場で身に付けたこの一本足打法、左打者インコース周辺をライト方向に強いホップ打球を飛ばす打ち方なのだ。引っ張りのための打ち方だ。

NPB他球団は、何故か王貞治の打席に王シフトと称する超右寄り守備シフトを敷いた。特に、セ・リーグ5球団、こんなバカなシフトを敷いたため、「王にインコース」を宣言したようなもの。バッテリーには負担が高く、コースを限定された上で王のスイングを上回るスピードかキレを要求された。王貞治は、リラックスしてわかりきったインコースをスイングし、スタンドに届くか届かないかの打席を約10年以上も味わい続け、868本塁打した。

シフトなど、必要なかった。王貞治に、インコースしか投げないと、教えているようなものだからだ。アウトコースをケアさせていたら、生涯868本はもちろん、ヤクルトバレンティンに塗り替えられるまで長くNPBホームラン打者の足枷、シーズン55本もなかった。阪神バースの時は、王貞治自らが斉藤雅樹に全打席敬遠を指示し、ヤクルトオマリーの時は新人で20勝した上原浩治にすらマウンドで泣かせた。

NPB他球団の敷いた王シフト故に、王貞治は年間55本や868本打てたりした。その年間55本を破られないために、どれだけバカな忖度が起きたか、少なくともセ・リーグの年間本塁打数に黒歴史を生んだと思う。

マニエルは、広岡達朗とも折り合い悪かったから、王貞治を褒める側にあるのだろう。

 

 

 

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王貞治氏はMLBでプレーしても「大物に」 元近鉄“赤鬼”が語る世界のHR王の凄さ
3/6(日) 7:25 Yahoo!ニュース
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「打撃だけでなく、一塁の守備も、走塁のことも理解していた」
 
ソフトバンク王貞治球団会長【写真:藤浦一都】
 通算868本塁打の世界記録保持者であり、現在はソフトバンクの球団会長を務めている王貞治氏。野球発祥の地アメリカでも「サダハル・オウ」の名前は広く知られている。“赤鬼”の愛称でヤクルトと近鉄に所属し、40年以上前にNPBで王氏と対戦したチャーリー・マニエル氏は「とてつもない打者だった」と、記憶に深く刻まれる“世界の王”の凄さを明かしている。

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 マニエル氏が王氏について語ったのは、メジャー通算252本塁打を誇るブレット・ブーン氏が司会を務めるポッドキャスト番組内でのことだった。近鉄時代の顔面死球、息子の高校の卒業式出席を理由にシーズン途中に帰国するなど、話題が尽きなかった日本時代。中でもブーン氏が気になったのが、マニエル氏がヤクルト時代(1976~1978年)に対戦した王氏の存在だった。

「サダハル・オウはどんな人物だった?」とブーン氏が切り出すと、マニエル氏は「本当にいい選手だった」と即答。「彼とはいい友人になった。打撃だけでなく、一塁の守備も、走塁のことも理解していた」と称賛し、一本足打法本塁打を量産した打撃のみならず、総合的にも一流の選手だったとしている。

 メジャー時代は6年間で打率.198、4本塁打と低迷したマニエル氏だが、殿堂入り選手のレジー・ジャクソン氏やロッド・カルー氏とも同じ時代を過ごしている。そんなマニエル氏は、37歳にして50本塁打でタイトルを獲得した王氏のプレーを直に見て「(もしプレーしていたら)ここ(メジャー)でも確実に大物になっていただろう」と、世界最高峰の舞台でも通用する実力を備えていたことを断言した。

 NPB通算打率.303、189本塁打と、6年間で圧倒的な打撃成績を残したマニエル氏。対峙した投手は“赤鬼”の打棒にさぞ恐怖を覚えたことだろう。球界を席巻した打撃力を誇ったマニエル氏の目にも、“世界の王”は特別に映ったようだ。
Full-Count編集部

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