RZ250、最初に欲しくなったバイク!

ヤマハRZ250、最初に欲しくなったバイク!週刊少年ジャンプ連載の池沢さとしサーキットの狼」後、短かったが連載で「街道レーサーGO!」をやっていた。主人公は速水剛、"ナナハンキラー"ヤマハRZ350で、ポルシェをブチ抜いたり、サーキットの狼の公道グランプリ的な公道レースまでを描いた。当時、免許資格もなかったワタシはプラモデルを探した。RZ350は売り切れて、代わりに目を着けたのが輸出用RD250。車検ないコトと合わせて、この250を考えた。

実際、大学進学し、クルマ免許取ってから自動二輪中型を取った。その時には、ヤマハはTZR、ホンダはNS⇒NSRを生産販売した。オートバイ免許取ったのが、福岡のレインボーモータースクールだったから、教習もホンダ二輪、結局、ホンダ二輪を買うコトになった。

結局、買ったのはNSR250、87⇒90⇒91⇒92と買い替え、20年ちょい乗り続けた。

2サイクル、あの独特のカン高い排気音が最高だった。街中は1速だけでも走れた。というか、常にクルマやヒトから認知を得るには、5千回転以上回して走るコトだった。ポルシェと一緒で、2速に入れたらスピード違反だった。

 

 

 

 

 

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強烈なダッシュ力とデザインのよさ ヤマハ「RZ250」
6/7(火) 12:06 Yahoo!ニュース
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【&M連載】小川フミオのモーターカー
 
クリーンなデザインと、チャンバーを採用するなどした高出力の追求が両立
最近、街(というか山道)で古い日本製の二輪車をみかけることが多い、ような気がする。自分が昔「いいなあ」と思っていたモデルだと眼につきやすいせいだろうか。私が好きだった1台がヤマハ「RZ250」だ。

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1980年に登場したRZ250は、247cc水冷並列2気筒エンジン搭載。最大の特徴は、エンジンが2ストロークだったこと。ダッシュ力は強烈で、発売当時は、400ccモデルより速かった記憶がある。

もうひとつ、RZ250が印象的だったのは、たたずまい。デザインのよさといってもいい。

ヤマハの二輪のデザインを担当してきたGKインダストリアルデザイン研究所(現・GKダイナミックス)が担当。動力部分はほぼすべて黒で塗ることで、タンクとバッテリーカバーとの対照が際立つ。タンクのカラーリングも派手でなく好感度大。

二輪のセールスが飛躍的に伸びていく80年代から90年代、GKダイナミックスはヤマハ発動機との関係を深めていく。「VMAX1200」(84年)、「SRX400」(84年)、「TZR250」(85年)、「SDR」(87年)、「TDM850」(96年)、「Road Star」(99年)と、印象に残ったバイクは数多い。

RZ250はなかなかオソロシイ二輪車だった。それも強烈に記憶に残っている。エンジンのほうがシャシーより速い。高回転型のエンジン、制動力がややプアなフロントブレーキ、路面からの突き上げがけっこうキツい「モノクロス」なるリアサスペンション……。このモデルに快適性を求めるひとはいなかっただろうけど。

加えて、2ストロークエンジン。潤滑油をガソリンと一緒に燃やして、かつ触媒なしに排出してしまうこの形式のエンジンは環境適合性が低いことが、早く(1970年代)から指摘されていた。

ヤマハ自身、2ストロークエンジンは早晩なくなると、RZ発表の時点で表明していた。最後の輝きともいうべきは、80年代中盤のいわゆるレーサーレプリカヤマハだと85年のTZR250)だけれど、私(たち)はRZ250が出た時点で、白煙もうもうのエンジンに未来はないなあと納得していたものだ。

この意味で、RZは日本の二輪車の分岐点ともいうべきところにあったモデル。そのことも、二輪好きの記憶に強烈に焼き付いている理由だと私は思う。

写真=ヤマハ発動機提供

【スペックス】
車名 YAMAHA RZ250
全長×全幅×全高 2080×740×1085mm
247cc 水冷並列2気筒2ストローク
最高出力35ps@8000rpm
最大トルク3.0kgm@8000rpm

■著者プロフィール
小川フミオ
モータージャーナリスト
クルマ雑誌の編集長を経て、フリーランスとして活躍中。新車の試乗記をはじめ、クルマの世界をいろいろな角度から取り上げた記事を、専門誌、一般誌、そしてウェブに寄稿中。趣味としては、どちらかというとクラシックなクルマが好み。1年に1台買い替えても、生きている間に好きなクルマすべてに乗れない……のが悩み(笑)。

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