江川卓、野球への"欲のなさ"の一端!

江川卓、2年目の長嶋茂雄第1期監督最終年で最多勝を獲り、3年目の藤田監督王助監督初年度で20勝と2年連続最多勝と日本一胴上投手になった。その時点で、江川卓プロ野球選手としての目標は、果たせたつもりだったのではない?

もちろん、V9超えや200勝を狙っても良かった。しかし、自分が入団した時に、"江川が投げる試合は打たない"をやった王貞治が監督になる状況では、やる気もなかったのだろう。挙げ句、荷物係をした水野雄仁が運ぶトランクをホームのフックに引っ掛け、ムリに引っ張った水野に右肩脱臼を負わせた。王からの扱いは更に悪くなった。

桑田真澄が入団すると、江川の時同様、"桑田の投げる試合は打たない"コトにもなった。もはや、ちゃんとした野球チームですらなくなった巨人、その中で長く頑張る気もなくなったのだろう。

高卒で阪急に入っていたら、金田の400勝すら脅かしたかも知れないが、大学時代に肩を壊し大卒1浪した時点で通算記録の望みはなかった。

後は、印象に残るプレーを!

その中の1つが、オールスター8人連続三振!9人目大石に2-0からカーブを投げ、当てられた。あのはぐらかしも江川だった。頑張るけど、必死にはやらない。ベストは尽くすけど、燃え尽きない。

 

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江川卓は「いい思い出ができました」。田淵幸一中尾孝義掛布雅之…オールスター奪三振ショーの裏側【プロ野球はみだし録】
7/22(金) 11:00 Yahoo!ニュース
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江川は「いい思い出ができました」
 
8連続三振でストップした江川。試合後、報道陣に囲まれた
 オールスターの奪三振ショー、1971年の第1戦(西宮)での江夏豊(阪神)による9連続と、84年の第3戦(ナゴヤ)における江川卓(巨人)の8連続を、それぞれクローズアップしている8回目。場面は84年の江川が9人目の大石大二郎(近鉄)を初球から2球連続ストレートで2ストライクを奪い、あと1球で江夏の9連続に並ぼうとしているところだ。

【選手データ】江川卓 プロフィール・通算成績

 江夏がバッテリーを組んでいたのは田淵幸一(阪神)だった。9人目の加藤秀司(阪急。現在のオリックス)がファウルを打ち上げたとき、江夏が田淵に「追うな!」と叫んだことは紹介したが、この71年は巨人V9の真っただ中。たとえば、もし捕手が森昌彦(巨人。のち黄金時代の西武で監督を務める森祇晶の現役時代)だったら、さすがの江夏も先輩の森に「追うな!」とは言えなかったかもしれない。江川とバッテリーを組んでいたのは中尾孝義(中日)。これが、もし山倉和博(巨人)だったら、結果が違っていた可能性もあるだろう。

 いずれにしても、中尾のサインに江川は首を振る。中尾のサインは勢いの衰えないストレート。江川が選んだのはカーブだった。ややボール気味の外角へのカーブに、なんとしても快挙を阻止したい大石はバットを投げ出すように当てて、二ゴロ。ナゴヤ球場の「あと1球」コールは、ため息に変わった。

 江川は韋駄天でもある大石を振り逃げにして江夏を超える10連続を狙っていたともいうが、この日の江川は苦笑いとともに「いい思い出ができました」とコメント。これで6回表、自身3イニング目を全40球で投げ終えてマウンドを降りた江川だが、その裏にペナントレースではライバルの掛布雅之(阪神)が内野安打で勝ち越し、8回裏には中畑清(巨人)の2ランもあって快勝、江川に勝ち星がついている。ちなみに、三塁手の掛布が7回表から遊撃に入って好守を見せる球宴らしい一幕もあった。

 一方で、71年は江夏から渡辺秀武(巨人)、高橋一三(巨人)、水谷寿伸(中日)、小谷正勝(大洋。現在のDeNA)の5投手のリレーとなり、セ・リーグが継投ノーヒットノーランも達成している。

<「完」>

文=犬企画マンホール 写真=BBM
週刊ベースボール

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