元中日⇒巨人⇒西武・中尾の挙げる5人の投手!

元中日⇒巨人⇒西武・中尾、中日入団2年目で近藤貞雄中日セ・リーグ優勝のMVPだった。3年目以降故障離脱多く、外野手転向したが、本人が捕手に拘りが強く、移籍して捕手を勤めた。

そんなカレが挙げた5人の投手

江川卓

津田恒実

斉藤雅樹

大野豊

裕次郎

最後に、近藤中日でセ・リーグ制覇した時のエース都を選んだトコに、味がある。

江川卓、カレが高卒で阪急に入らなかったコト、人生最低の選択の始まりだった。あの時の阪急ブレーブスをキチンと知っていたら、断る判断をする方が難しい。江川卓山口高志山田久志と足立光弘、オーバースロー高めストレートのスピン型と砲弾型とアンダースローの本格派と変化球派のバリエーションは想像しただけでも惜しかった。

津田恒実、元々は郭源治と新人王を争った。ストレートはスピン型、スリークオーターだったから、右打者インサイドにはシュートし、アウトサイドにはスライドした。社会人経由で変化球も持つ先発投手だったが、血行障害あってリリーフに転向、日本一後の阪神戦、無死満塁からバース・掛布・岡田を三者三振に取ったのではなかった?巨人・槙原が、三者連続バックスクリーン付近に放り込まれたのとは真逆だった。

斉藤雅樹、第1次藤田監督2年目で槙原や西尾と争った頃は、オーバースローの本格派だった。カレのサイドスロー転向は、王監督への置き土産だった。しかし、ブレーク1年目&王監督1年目、バースが55本に迫り、最終戦巨人-阪神を迎えた。完封すれば防御率タイトルだったが、王が堀内投手コーチを通じた指令はバース全打席敬遠、惨敗。数年精神的にツブれていた。それが、再び、第2期藤田監督になり、復活した。

大野豊、広島に江夏が在籍していた頃、江夏の前を中継で投げていた。同僚川口は、ノーコンで先発オンリーだったのに、江夏移籍後は抑えやったり、その後に先発になったり、また中継や抑えに戻ったり、コントロールも球威もあったので、どの局面でも使われた。

裕次郎近藤貞雄中日が優勝した時、新人捕手中尾の起用、150キロ小松の先発と牛島の抑え、ヘディング宇野や四球を選ばず打ちに行く田尾らと合わせて、先発ローテに入ったのが都だった。いかにも回転してないストレートだったが、スピン型のストレートと違って初速と終速差が少なく、意外と打たれず2桁勝った。

 

 

 

 

 

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MVP捕手・中尾孝義が衝撃を受けた投手5人。「300勝はできた」「どうやって打てばいいんだ」
6/17(金) 10:40 Yahoo!ニュース
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「昭和の怪物」江川卓(写真左)と「炎のストッパー津田恒実
1981年に中日に入団し、82年にはセ・リーグの捕手として初のMVPに輝いた中尾孝義氏。その後、巨人、西武でもプレーするなど、13年の現役生活を送った。その間、多くのピッチャーのボールを受け、数々の好投手と対戦してきた。そんな中尾氏に「衝撃を受けた投手5人」を挙げてもらった。

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ダントツでナンバーワン

江川卓(元巨人)

 文句なしのナンバーワンです。江川と最初に対戦したのは高校の時だったのですが、こんなボールを投げるピッチャーがいるのかと。ただただ驚きでしたね。真っすぐとわかっていてもバットに当たらないんですから。私自身、未熟というのもありましたけど、ベルト付近だと思って振ったのが胸の高さのボールだったり......本当にホップしているような、そんな軌道のストレートでした。

 大学でも、プロでも対戦しましたし、実際に何度かボールを受けたこともありますが、高校時代の江川のボールが飛び抜けて速かったし、衝撃的でした。もし高校を卒業してすぐにプロに入っていたら、200勝はもちろん、300勝の可能性もあったんじゃないかなと思いますね。それほど力は突出していました。

 ただプロ入り後は、相手を見ながら投げていたというか、手を抜くところがありました(笑)。ただ、そんな江川のすごさをあらためて見せつけられたのが、1984年のオールスター。パ・リーグの猛者相手に8連続三振を奪うのですが、あの試合、マスクを被っていたのが私だったんです。あの日の江川のストレートはキレ、伸びとも抜群で、バッターはまったくタイミングが合わず、みんなボールの下を振っていました。やっぱり江川はとんでもない投手なんだと、再認識させられました。

ベース付近で加速する速球

津田恒実(元広島)

 ストレートなら、津田も忘れられないひとりです。先発で投げている時はそこまで印象に残っていないのですが、抑えになってからの津田はすごかった。とにかくボールが速く、勢いがあった。ストレートは江川と同じホップしてくる軌道で、バットに当てるのが困難な投手でした。

 ベースに近づくにつれて加速してくるイメージで、捉えたと思ってもボールの力に負けてファウルになったり、凡フライになったり......球速表示以上に速さを感じました。

 変化球はそこまですごいというわけではなかったので、ストレート一本に絞って待っているんですが、それでもまともに当たらない。ピッチングフォームもダイナミックで、本当に迫力がありました。

斎藤雅樹(元巨人)

 あとストレートでどうしても外せないのが斎藤です。僕が中日から巨人に移籍した時に、当時の藤田元司監督、中村稔コーチから言われたのが「斎藤雅樹を一人前にしてくれ」でした。斎藤とは中日時代に何度か対戦したことがあったのですが、とにかくストレートが強い。だから、なぜこれだけのボールを投げられるのに勝てないのか、不思議でなりませんでした。

 斎藤とバッテリーを組んで、まず言ったのは「アバウトに投げろ」ということ。それまでの斎藤はいいところに投げようとしすぎて、思いきり腕を振れていなかった。とにかくストレイクゾーンにさえくれば、彼のストレートは生きると。

 その読みどおり、斎藤は見事に化けたわけですが、自信を持ってからのピッチングが圧巻でした。ストレートはもちろんですが、スライダーも大きな武器になって、まさに「球界のエース」へと上り詰めていきました。テンポもいいし、斎藤が投げる日は試合時間が短かった。みんな早く飲みに行けるって喜んでいました。

これぞピッチング

大野豊(元広島)

 大野豊はダイナミックなフォームで、ストレートも速かったのですが、印象に残っているのは変化球です。大野の変化球の何がすごいかと言ったら、ベース近くになって急に変化してくるんです。「ストレートと思って振ったら、スライダーだった......」「ストレートと思ったらフォークだった......」。そんなことはしょっちゅうありました。「こんなボール、どうやって打てばいいんだ」と、僕にとってはまさしく"魔球"でしたね。

 ボールの出どころもわかりづらかったし、何を待ったらいいのか、狙い球を絞りきれなかった思い出があります。当時の広島には川口和久というサウスポーがいて、彼もすばらしい投手でしたが、コントロールは大野のほうが上でした。その分、攻略するのが難しかったですね。

 左投手はそこまで苦手意識がなかったのですが、大野は別格。まったく打てなかったですね。怖いというよりは手強さを感じる投手でした。

裕次郎(元中日)

 リードしていて一番楽しかった投手が都裕次郎さんです。サインを出したら「うん」とうなずいて、すぐに投げてくる。とにかくテンポがすばらしく、野手は守りやすかったと思います。

 左右高低を自在に操り、面白いようにバッターを打ちとることができる。キャッチャーとして「こうやってこの打者を打ちとりたい」というのを完璧に遂行してくれる投手でした。

 ストレートは最速でも135キロ程度でしたが、ストライクからボールになるスライダーが絶品。リーグ優勝した1982年に都さんは16勝をマークするのですが、あの年は「テンポよし」「コントロールよし」「変化球よし」と、まさに無双状態でした。「ピッチングとはこういうものだ」というのを教えていただいた投手でしたね。
スポルティーバ●文 text by Sportiva

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