もし黒い霧事件がなかったら・・・

事件発覚自体、まだ福岡に住んでない頃だった。西鉄ライオンズ、神様仏様稲尾様や中西や豊田や仰木らで、巨人を3連敗4連勝するなど、強いチームだったらしい。

しかし、黒い霧事件発覚により、西鉄ライオンズ自体が悪いイメージで捉えられ、球団身売で太平洋クラブライオンズになり、クラウンライターライオンズになり、江川入団拒否後、西武に身売され、福岡から所沢に移転した。

稲尾や中西や豊田や仰木らは、他球団で指導者になった。結局、誰も指導者で日本一にはなってないのでは?稲尾は、ロッテ監督就任時にも、交渉で"福岡に移転しないか?"と持ち掛けた話が出ていた。

ワタシが小学生の時、クラス男子殆どがライオンズ友の会会員だった。巨人の野球帽被ってたのは、ワタシだけだった。地元に野球チームあるかないか、特にアマチュア野球のモチュベーションに響く。

ライオンズ不祥事が、福岡のアマチュア野球に与えたマイナスは計り知れない。

 

 

 

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【速報】西鉄ライオンズの伝説のエース池永正明さん死去 高卒新人20勝、ジャンボ尾崎に野球をあきらめさせた才能
9/26(月) 15:29 Yahoo!ニュース
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西鉄ライオンズ池永正明投手=1969年2月、平和台球場
 プロ野球西鉄ライオンズ(現西武)のエース、池永正明(いけなが・まさあき)氏が25日、がんで死去したことが分かった。76歳だった。山口県豊北町(現下関市)出身。通夜、葬儀・告別式は家族葬で営まれる。

【写真】1966年、伝説の2ショット。西鉄ライオンズの尾崎投手(左)と池永投手

 下関商高2年の1963年の甲子園で春の選抜大会優勝、夏の全国選手権準優勝。初戦で敗れた64年の選抜大会を制した徳島海南高の大型右腕の尾崎将司氏とともに2人は65年、西鉄に投手として同期入団したが、池永氏を見た尾崎氏が「こんなにすごいやつがいたんじゃ」と後にプロゴルフに転向したという。

 漁師で宮相撲の横綱も務めた父から受け継いだ筋肉質で、ばねのある体が武器。低い重心から打者の胸元に真っすぐ、変化の大きなカーブを武器に高卒1年目に20勝を挙げて新人王に輝いた。

 「鉄腕」稲尾和久氏(故人)が酷使した肩の故障でリリーフに回った後は、池永氏が主戦として活躍し、67年は23勝で最多勝。稲尾氏の後継者とされた。「黒い霧事件」に巻き込まれて70年に永久失格処分を受けるが、2005年に解除されて復権した。

 プロ通算103勝65敗、防御率2・36。同じ46年度生まれには山本浩二田淵幸一両氏らがいる。
西日本スポーツ

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