昭和のミュージシャンが20歳で歌った曲

昭和のミュージシャンがそれぞれ20歳の時に歌った曲って、ソコまで厳密に覚えてない。

この中で、本田美奈子の「悲しみswing」は別の意味で覚えてる。前年に「1986年のマリリン」で華々しくブレークした次の曲ではなかった?本田美奈子の横でダンスしていたのは、後に小柳ルミ子と結婚離婚する大澄賢也だった。この曲の後、田村正和のドラマ「パパはニュースキャスター」の主題歌「One-way Generation」だったハズ。

山口百恵曼珠沙華」は曲よりも、このジャケット撮りを篠山紀信が行った時、山口百恵はホントに裸で臨んだ。篠山紀信山口百恵の信用で行われたコトだったが、10年以上経ってオッパイまでバッチリ写った写真が写真週刊誌「FOCUS」に載った。篠山紀信はオッパイが写らないよう撮ったが、アシスタントは全身撮っていた。(確か、上だけでなく、下も着けてなかったとか。)この写真が「FOCUS」に載った話を取材され、山口百恵は「寒い時代になったんですネ。」とコメントしたとか。

ココには挙がらなかったが、ワタシ的には田原俊彦「グッドラックLOVE」かな。同名の田原俊彦が主演した"たのきん映画"も、好きだった。

 

 

 

 

 

 

 

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新成人おめでとう!昭和のミュージシャンが【20歳のときに歌った曲】10選
1/9(月) 6:00 Yahoo! JAPAN
 
1989年07月25日 森高千里のアルバム「非実力派宣言」がリリースされた日
今年新成人を迎える皆さん、おめでとうございます。

日本の成人年齢は、民法改正により2022年4月1日を以て20歳から18歳に変わったのは皆様ご承知のとおりだが、今回のコラムでは、80年代を中心に「あのミュージシャンが20歳のときに歌った曲」という事で10曲ピックアップしてみようと思う。なお、「20歳の時」という縛りになると、どうしてもデビューが早いアイドル曲が中心になってしまう点はご容赦を。年代の新しい曲から古い曲へと遡っていく形で紹介していきます。

非実力派宣言(アルバム「非実力派宣言」より)/ 森高千里(1989年)

まずは「平成元年」に成人を迎えた世代から1曲ピックアップしたい。この世代には福山雅治槇原敬之大黒摩季などがいるが、いずれも20歳の時点では未デビュー。そんな中、森高千里が自作詞の「非実力派宣言」で一歩抜け出した。「実力は興味ないわ、実力は人まかせなの」という、開き直りとも取れる逆説的正義。キン肉マン風に言うなら『言葉の意味は分からないが、スゴイ説得力だ』。

少年は天使を殺す / ラ・ムー(1988年)

80年代中盤を代表するアイドル菊池桃子。彼女がロックグループ、 “ラ・ムー” のリードボーカルとして世間を驚かせる路線変更を行ったのが19歳の時。そして20歳の1年間を、このラ・ムーの一員として費やすこととなる。中でも、この「少年は天使を殺す」は、80年代アーバンファンク歌謡の金字塔と言える傑作。昭和の曲とは思えない音圧の中での、囁くようなウィスパーボイスの投入は、昭和ポップスにおける発明。

悲しみSWING / 本田美奈子.(1987年)

20歳で「非実力派宣言」をしたのが森高千里なら、20歳の時点で「実力派」を地で行っていたアイドルが本田美奈子。それはまるで技術点と演技構成点を追求するフィギュアスケート選手のようなストイックさ。のちに「つばさ」で魅せてくれたロングトーンはまさに4回転ジャンプ級。この「悲しみSWING」では社交ダンス風の演出で大人っぽい新境地を見せてくれた。2022年、藤井隆の監修によりカバーされた後藤輝基のバージョンも必聴。

BOYS CRIED(あの時からかもしれない) / 渡辺美里(1987年)

『丙午世代』の女性歌手からひとり選んでみたい。この世代には渡辺美里中村あゆみ永井真理子広瀬香美などが名を連ねる。この中から20歳時点での1曲としては、渡辺美里の「BOYS CRIED(あの時からかもしれない)」を推したい。両A面の「IT'S TOUGH」と並び、伊秩弘将の作曲デビュー作でもある。この曲、「N.Y.行きの切符握りしめて街を出た」の歌詞も含め、尾崎豊へのメッセージが込められていたようにも思える。

 
愛を今信じていたい / 堀ちえみ(1987年)

先述の菊池桃子のように、20歳前後で曲がり角を迎え、色々な音楽的チャレンジにシフトしていくアイドルは多い。しかし、それが迷走と捉えられ、アイドル自身が疲弊してしまう場合もある。堀ちえみはそうしたひとりだったかもしれない。彼女はこの「愛を今信じていたい」で、20歳の若さで引退を選択。作曲に小室哲哉を迎えたこの曲で新境地を見せてくれたが、『夜のヒットスタジオDX』の最後の出演で流したあの涙が、全てを雄弁に物語っていたように思う。

 
SOLITUDE / 中森明菜(1985年)

中森明菜の成人後最初のシングル曲。18歳で「北ウイング」、19歳で「ミ・アモーレ」を歌った彼女は20歳の時点で、既に押しも押されもせぬ女王。大人っぽすぎるこの「SOLITUDE」を、当時中学生だった僕は戸惑いながら受け入れた。デビュー40周年だった2022年、突然のTwitter開設などで俄かにマスコミが慌ただしくなったが、姿を見せない中森明菜は、きっと、ほくそ笑みながらこう心の中で呟いていたに違いない。―――「捜さないでね 醒めちゃいないわ」。

RAIN-DANCEがきこえる / 吉川晃司(1985年)

こちらは吉川晃司の成人後初のシングル曲。中森明菜同様、このタイミングで、前作迄とはガラリと曲調が変わる曲をリリース。ゴリゴリと重低音が強調されたベースとドラムは “ひとりPOWER STATION” の趣きがある。吉川晃司本人も自身のターニングポイントと語る重要曲であり、ここから翌年の傑作アルバム「MODERN TIME」へと繋がっていく。なお、同学年のライバル的存在の尾崎豊は、20歳の歳には新曲のリリースは無かった。

 
Woman "Wの悲劇"より / 薬師丸ひろ子1984年)

近年再評価が著しい薬師丸ひろ子のこの作品も彼女が20歳の時のリリースだった。彼女の比類なき歌声について、Re:minderのアーカイブ、『薬師丸ひろ子池田エライザ、生と死が交差する「Woman “Wの悲劇” より」』で田中泰延さんが「冥界から降ってくるような歌声」と形容。また、同じくカタリベのかじやんさんは「金属的な光沢の中に仄かなぬくもり」と表現している。どうやら薬師丸ひろ子の声にはコピーライトしたくなる不思議な魅力があるようだ。

曼珠沙華 / 山口百恵(1979年)

「美・サイレント」のB面だが、元々は同名アルバムの収録曲。このアルバムは山口百恵が19歳の時に録音が行われたが、正式タイトルは『二十歳の記念碑 曼珠沙華』であった。彼女の神々しいまでの情念と迫力溢れる歌声は、今聴いても19歳の少女の録音した歌とは思えず、和製プログレなアレンジも相まって、彼女の最高傑作に挙げる人も少なくない。ちなみに後年、藤あや子が、この「曼珠沙華」を紅白歌合戦で2003年と2015年の2度に渡りカバーしている。

 
やさしさに包まれたなら / 荒井由実(1974年)

映画『魔女の宅急便』で使用されているアルバムバージョンの方が有名だが、シングルバージョンはピアノソロのゆったりとしたイントロから始まる。デビュー50年目の松任谷由実はこう語る。「荒井由実を越えたいという意識がずっとあった」と。50年続けてきた今もなお、20歳の頃の自分自身に対して、越えられない何かを感じているというのだから興味深い。2022年の紅白歌合戦では最新のAI技術により、松任谷由実荒井由実の奇跡の共演が実現した。

 
―― 以上「あのミュージシャンが20歳のときに歌った曲」という事で10曲をピックアップしたが、次点としては、泰葉の「フライディ・チャイナタウン」(1981年)、柏原芳恵の「春ごころ」(1986年)、山瀬まみの「ゴォ!」(1989年)の3曲を挙げたい。

今回紹介した10曲(+3曲)の大半はサブスクでも聴取が可能である。新成人の皆さんにも、是非ともこれらの曲に、たくさん触れて感じて頂けたら嬉しく思う。
古木 秀典

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