岸井ゆきの(30)、何故いられるの?

岸井ゆきの(30)、別に上手な女優さんとも美人だとも思わない。こんなルックス程度で、神奈川県秦野育ちのコがよく芸能人を志すモノだと思う。この程度のルックス、この程度のプロポーションだとヒト目も引かない感じ。今の中高生でも身長もオッパイもデカい。今や、恋愛禁止のAKBですらメインに離反者出るくらいなのに、彼女にはソコら中のオトコとズッカンバッカンやってる雰囲気も感じない。むしろ、パッとしないルックスで得している面があるかも知れない。

ある意味、江口のりこみたいな感じか。

 

 

 

 

 

 

 

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2022年は映画5本、ドラマ4本に出演の岸井ゆきの 名だたる監督が起用する表現力のすごさ〈AERA
1/8(日) 18:00 Yahoo!ニュース
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何かが「生み出されていくこと」が好きだという。厨房でのバイトも映画も演劇も、みな地続きだ(写真=品田裕美)
 俳優、岸井ゆきの。あの日の山手線で、運命の扉が開いた。17歳でこの世界に飛び込み、何年も“大勢のうちのひとり”を演じてきた。オーディションに落ち続けても、演じることを手放さなかった。そして2022年だけで映画5本、ドラマ4本に出演。かわいくて、ちょっと不機嫌そうで、どこにでもいそうで、ときに痛々しいほどにリアル。そんな佇まいがいま、時代に求められている。

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「私が追い求めてきた“映画”というものに、少しだけ近づけたような気がしました」

 11月某日、都内で行われた映画「ケイコ 目を澄ませて」の完成披露試写会。主演の岸井(きしい)ゆきの(30)が、監督の三宅唱(38)と共演の三浦友和(70)と壇上に立ち、大きな瞳をキラキラさせながら観客に語りかけている。

 聴覚障害のある元プロボクサー、小笠原恵子をモデルにした作品。岸井は3カ月間、ボクシングのトレーニングを積み、全感覚を研ぎ澄ませてケイコになりきった。その演技はいま、ベルリン国際映画祭ほか、世界中で絶賛されている。

 感情を表に出すのが苦手なケイコ。ボクシングを続けるかどうか、人生に迷うケイコ。対戦相手に打ち込まれ、悔しさを剥き出しにしてリング上で「ウウゥ!」と獣のように唸(うな)るケイコ。

 鮮やかなピンクのロングドレスに身を包み、目の前にいる岸井は、もうケイコではない。スクリーンのなかにいた、傷だらけのケイコはもういない。花がほころぶような笑顔を見つめながら、どこか安堵(あんど)と不思議な寂しさに包まれた。

 奈良美智の描く女の子に似ているなあ。それが岸井の第一印象だった。かわいいけれど、ちょっと不機嫌そうで、あどけないのに、世の中のすべてを知っていそうな。2014年の「東京ガス」のコマーシャルを憶えている。岸井が演じたのは就活中の大学生。リアルで胸に迫ったが「見ていてつらい」との声が殺到し、3週間で放送中止という前代未聞の展開になった。伝説のCMとしていまもYouTubeで再生され続けている。

 そして19年、今泉力哉(41)が監督の映画「愛がなんだ」で、その存在が強烈に刻まれた。絶対に自分を好きになってくれないマモちゃんを追い続けるヒロイン・テルコ。お前じゃないんだよ、とわかっている。でも止められない。痛々しくファニーで切ない笑顔に、胸をえぐられた。

■夢中になったドラえもん 昔の世界に思いを馳せる

 あれから3年。気づくと映画にドラマに彼女を観ない日はなくなった。22年だけで映画5本、ドラマ4本、舞台1本で主演やヒロインを務めた。話題のドラマ「アトムの童」もクライマックスを迎えたばかりだ。

 テレビプロデューサーの佐久間宣行(47)は、岸井の魅力にいち早く気づいた一人だ。12年、劇団「ハイバイ」の舞台で魅了され、テレビ東京のコント番組「SICKS~みんながみんな、何かの病気~」にヒロインとして起用した。

「最初に魅力を感じたのは声ですね。あと身体能力。静かな芝居をしても、内側にマグマみたいなエネルギーを感じさせる人だと思います」

 演技のポテンシャルだけでなく、本人の映画や演劇への情熱にも驚かされた。

「受け手としての感覚が優れているから、良い作品を選んで、コメディーからシリアスな役まで幅広くこなしてきた。その幅がこの多様性の時代に、より多くの人に求められているのだと思う」

 本人は取材が苦手、とフォトエッセイに書いていた。やや緊張してインタビューの場に行くと「最近、みなさんに言われるんです! ほんと、すみません!」と、恐縮しながら破顔する。150センチの身長は、実際に対面すると小柄と感じない。

「いや、いま20センチのヒールを履いているんで! ほんとはもっとちっちゃいんです。整体に通ってO脚と首を治してやっと150超えです」

 と、正直で屈託がない。同行した編集者が差し入れたマカロンに「うわあ!」と目をこぼれんばかりに見開いて喜んでくれる。過去の出来事や最近観た映画について生き生きと、ときに声まねを交えてユーモラスに語ってくれるので、いつまでも聞いていたくなる。うわ、友達になりたい。ずうずうしくもそう思ってしまう人だ。

「子どものころですか? なにしてたかな。人より体が小さいので、わりとなんでも人一倍、練習しないとできなくて」

 岸井は1992年、神奈川県秦野市に生まれた。

 3歳上の兄がいる。父は会社員で、母はパートタイマー。体形は母に、顔は父に似ているらしい。岸井いわく父は「変わり者」。釣りとプログレ音楽好きで幻想的なウィリアム・ブレイクの絵を好んだ。母の好みはもう少しポピュラーで、岸井は母に連れられてルネ・マグリット展やアンリ・ルソー展、劇団四季のミュージカルを楽しんだ。小柄な岸井にピッタリだったのが器械体操。小1から中3まで体操クラブに通って続けた。

 同時に取り憑(つ)かれたように夢中になったのが「ドラえもん」の映画シリーズ。「のび太の創世日記」を観たとき、自分がいるコンクリートの地面の下に、はるか昔にあったものに思いが至り、興奮に震えた。映画は現実とは違うけれど、でもふたつの世界は地続きだ。そう感じた瞬間だった。

 実写映画との出合いは中学時代。初めて友人と映画館で観た「悪魔の棲(す)む家」だ。ホラーではあるが実際の事件をモデルにし、日常描写がリアルに描かれている。「ドラえもん以外にも、もっとリアルに別の世界がある!」と知った。高校に進学し、さらに映画好きが加速する。なぜなら、高校に居場所がなかったのだ。

「ギャルっぽくなくて真面目そう」という理由で選んだのはスポーツに力を入れている高校だった。初日から「間違えた!」と悟った。すでに器械体操はやめていて、特にやりたいスポーツもない。校則も厳しく、軍隊のような雰囲気もあった。「ここじゃない」という思いが押し寄せた。それでも卒業はしなきゃいけない。それまでに何かを、自分らしく生きられるところを見つけなきゃ。

 高1にして、将来を探す旅が始まった。

■電車で写真家からスカウト 演技の道へと進む

 まず求めたのが映画のなかの居場所だ。「ダークナイト」「メメント」の監督クリストファー・ノーランや「グッド・ウィル・ハンティング 旅立ち」の監督ガス・ヴァン・サントの世界に没入した。映画のなかにいるときは、孤独も忘れられる。

 行動も起こした。高1の夏休みには自ら見つけた保育ボランティアに参加し、週末には恵比寿や代官山にある美容学校や料理学校の見学に行った。

「あのころは、もう一人の自分がいたような気がします。高校にいる自分をどこか置いてきぼりにして『あとちょっとがんばれば、大丈夫だから』って言い聞かせているような。でなきゃ、あんなふうに行動できなかった」

 そして高2の秋、運命の扉が開く。

 写真家の藤原江理奈はその日、仕事帰りに山手線に揺られていた。恵比寿駅で制服姿の岸井が乗ってきた。バリスタの資格を学べる専門学校を見学した帰りだったらしい。その瞬間、強烈に惹(ひ)かれるものを感じた。

「正面から見たときは可愛らしかったんですが、ドアにもたれて外を見ている横顔はちょっと不機嫌そうというか、不機嫌な子ども、みたいな表情があって、魅力的だったんです」(藤原)

 普段、スカウトはもちろん、街で人に声をかけることなどない。でも、この子の写真を撮ってみたい。声をかけるべきか。恵比寿駅から降りる予定の渋谷駅までの3分間の葛藤を、いまも鮮烈に思い出すと藤原は言う。岸井も回想する。

「『被写体になってほしいです。名前を検索してもらえば出てくるので!』って名刺を渡されたんです。ぽかーんとしていたら、2人の間で電車のドアがプシュ~!って、閉まりました」(岸井)

 家に帰って調べると藤原は北野武ジョニー・デップポートレート小栗旬の写真集『小栗ノート』を撮っている有名な写真家だった。母に相談すると「すごいじゃない」と言われ、2人で藤原に会いに行った。映画が好きで、母と演劇をよく観ると話すと、「演技をやってみたら?」と勧められた。紹介された事務所に行くと、即所属が決まった。この展開には藤原も驚いたという。

「写真家人生で後にも先にも、初めてのことでした。でも『演技に興味がある』と言われたとき、間違いなく映像の世界で彼女を欲しがる人はいっぱいいるだろうな、と予感はあった」(藤原)

 岸井の背中を押したのは、ひたすらに映画への愛だった。

「大好きな映画の世界に入れるかもしれない。やってみようか、と。でも状況はよくわかっていなかった。怖いもの知らず、でしたね」

 そこから闘いがはじまった。

 演技は当然、未経験。高校在学中にドラマでデビューするも仕事はそうなく、卒業後はアルバイトをしながら映画やドラマのオーディションを受け続けた。たまに呼ばれる現場はクラスメートの一人。役名もなく、もちろんセリフもない。

「言い方は悪いけれど“背景”ですよね。このままではきついぞ、長くは続けられないぞと思った」

 岸井は再び、自分から動いた。劇団のワークショップやオーディションをチラシで見つけ、積極的に参加したのだ。

「こうしたらいい」よりも「これができないんだ」ということを知る日々だった。でも演劇は稽古期間が長く、いろんなことを試せる。試しながら「あ、これは違う」と取捨選択ができる。なによりも「ものづくりに参加している」感覚がたまらなかった。

「演劇はどんなに小さい役でも“一員である”という感覚が大きいんです。みんなで作っている感じが楽しくてたまらなかった」(岸井)

■小さな声の「えっと」が 芝居の臨場感を出した

 映像のオーディションには落ち続けたが、気にならなかった。芝居がやれれば、それでいい。フレンチレストランや焼き肉店でのアルバイトも本気で楽しんだ。それぞれのパートが自分の仕事をする厨房(ちゅうぼう)は、映画や演劇の場にも似ていた。

「演劇やって、死ぬほどバイトして、また演劇やって死ぬほどバイトして、ということを多分続けていくんだろうなと思っていました」

 そんな岸井に、映画のほうが近づいてきた。

 監督の吉田恵輔(47)は13年、映画「銀の匙(さじ) Silver Spoon」のオーディションで岸井に会った。

「即決でした。お芝居の質が違ったんですよ」

 舞台となる農業高校の生徒役。大きな役ではなかった。が、決定的な出来事が、クランクインの初日に起こった。

「クラスで自己紹介をするシーンで、みんなが順番に『○○中からきた○○です。将来の夢は○○です』って言うんだけど、やっぱり決められたセリフだから、なんか胡散臭(うさんくさ)い。でもゆきのだけは、なぜだかめちゃくちゃよかった。その良さがなんなのか、そのときはわからなかったんです」

 編集中に理由がわかった。岸井だけが「将来の夢は」の前に、小さく「えっと、」と言っていた。

「自己紹介って緊張するし、いざ自分の番がきたら、絶対『あの』とか『えっと』とか言っちゃう。でもセリフにはないから、言っちゃいけないと思ったんでしょう。だから声にならないほどの声で『えっと、』って言っていたんだなと。あ、これが臨場感なんだと、僕のほうが気づかされた」

 後日、本人に言っても憶えていなかったそうだ。22年、映画「神は見返りを求める」で8年ぶりに仕事をしたが「経験値は上がったけど、役を“人”としてみせる説得力は変わらない」と感じた。

「自然に、まるでドキュメンタリーのような芝居をできる人はいる。だがそれをやると今度は華がなくなってしまう。でもゆきのはドキュメンタリーなのに華がある。僕はワークショップで生徒をたくさんみるけれど、そういう人は出てこない。これはもう選ばれた人、なんですよ」

(文中敬称略)

(文・中村千晶)

※記事の続きはAERA 2023年1月2-9日合併号でご覧いただけます

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