MR2、トヨタだからデキた!惜しむべきは・・・。

トヨタMR2、AW11⇒SW20と、2代続いた。当時、生産効率とコスト安の魔物に取り憑かれた日本自動車メーカー、トヨタだけは1.6リッタークラスでカローラ系をFFにしつつもAE86型レビン/トレノをFRに残し、尚且、新たに手にしたFFのエンジン&ミッション&デフ一塊ユニットを横置ミドシップに利用した。素晴らしいコスト管理の共有化発想だった。

ニッサンはZ31ベースのMID4に拘り、機を逃した。ホンダは長くFFを作り続け一塊ユニットがあり、プレリュードやバラードCRXなど、ショップのミドシップはあったのに、全くコスト横置V6のNSXや軽のビートまでなく、コスト管理の杜撰さから高値付してダメだった。

2代目たるSW20に於いては、2リッタークラスのセリカ系ユニットを共有化した。スタイリングもよりキレイになり、1.6リッタークラスのAW11よりパワー/トルクウエイトレシオも向上し、上級車両にも対抗し得る速さを身に付けた。

唯一惜しむべきは、エンジン出力向上と共にFF用一塊ユニットの制震研究を疎かにしたコトだ。エンジン&ミッション縦置と、デフとのプロペラシャフトに依る制震に有利なFRは、ペラペラ鋼板モノコックで良かったが、高出力化する小型FF用一塊ユニットをキチンと制震マウントする研究を疎かにし、相変わらずペラペラ鋼板モノコックで賄おうとした。おかげで、日本のFF車のハンドリングはハッキリ評判悪かったり、車重が嵩むクルマばかりになった。

そのせいで、AW11⇒SW20型MR2に於いてもペラペラ鋼板モノコックを使い、小手先補強で済ませようとした。おかげで、2座でプロペラシャフトも要らないミドシップが、同級FRより車重過大になった。

トヨタフェラーリディノ/308のような鋼管フレームミドシップランチアストラトスのようなセミモノコック&サブフレームミドシップをキチンと研究して作っていたら、MR2自体の存続だけでなく、FFのハンドリング向上にも寄与していたろう。

 

 

 

 

 

 

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トヨタMR2」はスーパーカールックを安価に提供した日本が誇るミッドシップカーでした
2/28(火) 18:11 Yahoo!ニュース
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ミッドシップカーの運転感覚を広く日本人に体験させた1台
 
1984年に登場したトヨタMR2
日本車にも、ミッドシップスポーツカーが1984年に現われた。それがトヨタMR2」である。その衝撃は大きかった。MR2の車名は、ミッドシップランナバウト・2シーターである。同車の魅力をあらためて振り返ってみよう。

【画像】今思えばすごいクルマだったトヨタMR2」を見る(全15枚)

ミッドシップ+リトラクタブルヘッドライトは当時の憧れだった
市販のミッドシップカーといえば、イタリアのフェラーリなど高性能スポーツカーの自動車メーカーが開発・販売するものだと誰もが思っていた時代だ。そこに、日本のトヨタが身近で手に入れやすい価格でのミッドシップスポーツカーを1984年に発売したのである。ちなみにホンダNSXが誕生するのは、1990年になってからである。

MR2の外観は明快で、リトラクタブル式ヘッドライトはマツダRX-7」に続く採用だが、当時の憧れの方式であり、単にミッドシップというだけでなく、欲しいもの満載のスポーツカーであった。

自然吸気のガソリンエンジンは、前年に発売された「AE86カローラレビン/スプリンタートレノ」に搭載されていた1.6LのDOHC4バルブであり、このエンジンは、「セリカ」や「TE27レビン/トレノ」に搭載されていた2T-Gの後継となる新時代の高性能エンジンであった。ほかに、1.5リッターエンジンの廉価車種もあった。そしてミッドシップカーの運転感覚を、広く日本人に体験させたのである。

MR2は日本が誇るべきミッドシップカー
ミッドシップカーは、前後重量配分が後輪寄りとなり、ハンドル操作に対し応答がやや遅れる感じを受けるかもしれない。FFはもとより、FRでさえ、客室の前にエンジンを搭載する場合は前輪の荷重が大きく、その分、ハンドル操作に対しタイヤの応答が早く伝わってくる。

しかしミッドシップでは前輪荷重が少ないため、応答遅れの印象をはじめは持つかもしれない。そこで余計にハンドルを切り過ぎると、スピンしかねないことにもなる。そこから、ミッドシップは運転が難しいといわれることになる。

だが、それはFFやFRの感覚のまま運転操作をするからであり、ミッドシップにはミッドシップの運転の仕方がある。後輪の荷重が多めだとはいえ、前輪と後輪の間にエンジンと人が乗るため、動き出したらその挙動は遅れの少ない、一体感のある動作になる。ハンドルを切り過ぎず、アクセル操作をより丁寧に行うことで、ミッドシップカーはより速くカーブを駆けぬけることができるのである。

ことに左右へのカーブの切り替えしが連続する場面では、車体の荷重移動を素早く収め、俊敏に抜けていくことができる。

挙動が過敏で難しいのではなく、ミッドシップの特性を知ったうえで、それに合わせた運転ができるかどうかなのだ。それさえ身に着ければ、よりクルマと一体感のある醍醐味を楽しめる。それを、身近な価格でわれわれに伝えたのがMR2なのである。日本が誇るべきミッドシップカーといっていいだろう。

MR2は、1989年に2代目へ引き継がれ、車体寸法はやや大きくなり、外観はより洗練された姿になった。そして1999年にMR-Sへ至り、ここでミッドシップオープンカーとなった。マツダが1989年にロードスターを発売したが、トヨタミッドシップでオープンエアを楽しませようとしたのである。
御堀直嗣

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