モータージャーナリストと自動車マスコミ連中、日本自動車メーカーの自壊をそのまま傍観した大責任者だ!日本にポール・フレールは現れなかった。
マツダロードスター、オープン2座として先人たるMGBやロータスエランらをお手本に、それらしいモノは作った。しかし、それらしいモノで終わった。嘗て、日本にもニッサンフェアレディーSR311やホンダS600/S800など、優れたオープン2座はあった。以後久々のオープン2座として、ドコまで学び考えたクルマだった?
ワタシは就職活動時期に向洋本社ビルで、発表前のロードスターを見せてもらえた。真っ先に感じたのは2点。
1つは、パワープラントフレーム(PPF)が必要なのか?FFオープンなら床下補強は必要でも、プロペラシャフト結合あるFRや4WDに甚だしい補強はマストではない。もちろん、ペラペラ鋼板モノコック剛性弱いなら不可避だが。ワタシ的には、もっと軽量化デキたと感じていた。
もう1つは、「コスト管理のため、車体共用したFRのセダンないしクローズド2+2クーペはいつ出るのですか?」と聞いたら、笑って受け流された。全く考えられてなかった。このメーカーでは小型FR、先がないのだと感じた。2座では、家庭持ちでは維持できないのだし、他のFRはロータリーのRX7しかなかったから。
最初のロードスターで、FC型RX7車体を共用していたら、FDでの5ナンバーオーバー拡幅に制限をかけられたのでは?FRロータリーのロードスターにも、道を拓けたのでは?個人的には、ファミリア4ドアセダン/2ドアクーペ/3ドアHBとの共用をしてくれるべきだと思っていた。そうしていれば、RX7がFC⇒FDで3ナンバー化された時、コスモと車体共用して3ロータリーを搭載しつつ、コスト維持はマシだったハズ。
クルマ自体、エンジンパワー&トルクは?NC以降は3ナンバー?スタイリングや値段や使い勝手は?基本、1人の生活すら賄えない可能性も高いのに。
総合的に、全くダメダメなクルマだと思う。
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なぜマツダは「軽くて楽しい」クルマを作った? 2ドアオープンスポーツ「ロードスター」の誕生秘話、そして次期型は?
2023.05.28 14:10掲載 くるまのニュース 13
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■ロードスターはどのような経緯で誕生したのか?
マツダが誇る名車「ロードスター」。1989年に登場した初代(NA)から2015年に登場した現行の4代目(ND)まで歴史を重ねています。
そんなロードスターですが、初代はどのような経緯で誕生したのでしょうか。
【画像】次期型ロードスターはこうなる? マツダが示唆したデザインがカッコいい…写真を見る!
4代目の開発主査である山本修弘(やまもとのぶひろ)氏がとあるトークショーで誕生秘話を語ってくれました。
山本氏は1973年にマツダに入社し、1996年よりロードスターの開発に勤しみました。
2007年に4代目ーの開発主査に就任すると「ロードスターを守るために変えていく」ことに挑戦。
その努力が身を結び、4代目は日本カーオブザイヤー、そしてワールドカーデザインオブザイヤーのダブル受賞を果たしました。
このトークショーで山本氏は、当時初代ロードスター開発主査の平井敏彦氏から聞いたというロードスターの誕生秘話について集まったファンたちにこう語ってくれました。
「バックグラウンドになることを平井さんに伺ったことがあるんです。
そうすると平井さんがこう言いました。
『マツダが世の中でお客様に愛されて生き残るために何が必要か。それは他の車と競争しないことなんだ。マツダの独自性がないといけないんだ。価格競争に陥ってはいけない。』
なぜかというと平井さんはかつて販売現場に出たことがあるんですよ。車を売ったそのとき、絶えずマツダは値引きで車を売らなければいけなかった、そういうことはもうしたくない。
自分が作る車は競争のいない車、競合しない車を作りたいという思いで作ったと聞きました」
ライトウェイトスポーツカーは1960年にヨーロッパで生まれ世界的にヒットしましたが、時代が進むにつれて排ガス規制や衝突安全の基準が厳しくなり気付けばどこのメーカーも販売しなくなりました。
それから約23年後の1989年にこのような理由で、初代ロードスターとなる「ユーノス・ロードスター」がデビューするのです。
やはり、当時の営業職は20年以上販売実績のない車が売れるはずがないという批判の声も少なくなかったといいます。
しかし平井氏の狙い通り初代ロードスターは大ヒットし、現代でも見かけるほど人気な車種となりました。
そしてロードスターが成功したことを受けて、ヨーロッパの各メーカーがライトウェイトスポーツの販売を再販し、このロードスターの誕生は日本だけでなく世界的にも大きな影響を与える結果となったのです。
■悔しかった思いをバネに…4代目が誕生! 次期5代目はどうなる?
時を経て4代目の開発主査となった山本さんは、、開発主査就任当時の思いを熱く語りました。
「NB(2代目)が出てNC(3代目)が出て、実は車はどんどん良くなってきたんです。
燃費も安全性も走りも全て良くなってきている。しかし残念ながら、少しずつ大きくなって重たくなってきています。
しょうがないけど、お客さんからNBやNC が出た時にときに『新型もいいけど、NAの方が楽しいね。』って言われるんですよ。
それはすごく悔しかったですね。やっぱりそういうNAに乗っているお客さんたちに買ってもらえるような車にしたかった。
だから原点にもういっぺん帰って、本質的は何なのかをみんなでもう一度確認し合って、それを体現しよう。
ありたい姿を描いてそれを実現しようというふうに取り組んだのがNDなのです」
お客さんからの言葉を受けて改めてロードスターとは何かを考えた時に、1番の強みは軽いオープンカーであること、それからFRであること、そしてお手頃な価格であることだと認識したと言います。
高い素材を使えば軽量化はできますが、お求めやすい価格でなければロードスターではないと思った山本氏は、NBとNCで安全性能の確保のために重くなってしまったボディも、今なら新しい技術を使って両立できるということで、ブレイクスルーを目指しました。
最後に山本氏は4代目の開発について、走りと同じくらい「デザインのかっこよさ」ということが大事だと話しています。
デザインは主にエンジニアに任せたということですが、実際に出来上がったクルマを見た時に山本さんは「かっこいいな。」ただただそう思ったと言います。
初代のパッケージの哲学を引き受けて誕生したのがこの4代目なのです。
山本さんは現在マツダを退職され、NAのレストアショップを運営。フルレストアは1台で約500万円と、NDの新車価格よりも高いですが、それでもNAに乗り続けたいオーナーがたくさん訪れ、そのたびに根強い人気を実感すると言います。
さらに今後、NAだけでなくRX-7(FD3S型)のレストアも検討したいと言います。
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なおファンの間では4代目の登場となる2015年から8年目が経過していることから次期型(NE?)の登場に期待が寄せられています。
そうした状況下でマツダは、2022年11月22日に「中期経営計画のアップデートと2030年に向けた経営の基本方針」を発表しており、その中に2ドアクーペのコンセプトモデル「ビジョンスタディモデル」の画像および動画を初公開。
そのデザインから「次期型ロードスター?」と期待する声が高まりました。
果たして、5代目は今後どのようなタイミングで登場するのか、ロードスターの未来にも注目です。
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