ホンダヤマハの開発力発想力実行力、行き詰まり!

2サイクル時代は日本オートバイメーカーの天下だった。最強500ccクラスに於いて、ヤマハはK・ロバーツやW・レイニーが、ホンダはM・ドゥーハンが連覇、スズキはB・シーンやM・ルッキネリやF・ウンチーニやK・シュワンツやK・ロバーツジュニアなど、要所で制覇した。最後のチャンピオンはホンダのV・ロッシだった。

ソレが、21世紀初め4サイクル大排気量有利なレギュレーションに変わった。小さい排気量に高効率の出力開発では日本オートバイメーカーに敵わなかった世界のオートバイメーカー、排気量任せのエンジンや超高速オートバイノウハウで、盛り返された。2サイクルではカジバやモデナスやアプリリアくらいだったが、4サイクルではドゥカティーやKTMらも強い。特に、高速域トラクションや旋回するためのフレームを作るノウハウではない?エンジンパワーでは対抗デキても、机上空論フレームはライダーの感性に合わないのでは?

もはや、日本オートバイメーカーは500cc直4或はV4ターボしかないんじゃない?その技術で、市販250cc直4ターボを出す。まあ、レギュレーションが許すなら、楕円ピストンV型2気筒も期待したいが。ソレ以外に、遠ざかった二輪ユーザーを二輪に呼び戻すオートバイ作りはないと思う。

そうでなければ、50cc公道ゴーカートにパドルシフト6速ミッション装着か、規制緩和働きかけ、250ccゴーカートを公道OKにするしかない。

 

 

 

 

 

 

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MotoGPコラム】「ドゥカティはズルしてる!」と言うのはもうやめよう……日本メーカーに足りないのは“良い意味での”狡猾さ?
6/30(金) 18:26 Yahoo!ニュース
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フランチェスコ・バニャイヤは既に4勝を記録
 それにしてもドゥカティは強い。容赦ない、とはきっとこういう状況を指すのだろう。

 2023年シーズン前半戦は、彼らの圧倒的な強さが際立っていた。今年は土曜日にスプリント、日曜日に決勝レースという形式になっているため、ここまでの8戦では16レースを戦ったことになる。その内訳を見てみると、彼らのうんざりするほどの強さが数字にはっきりとあらわれている。

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 16戦中の優勝回数は13回。全48表彰台のうち34個を獲得。表彰台独占は5回。ポールポジションは8大会中6回。

 4チーム8台体制という数量的な優越性もさることながら、その速さや強さに真っ正面から渡り合って勝負できる陣営がいないこともまた、ドゥカティの天下無敵ぶりをさらに強く印象づける。実際に他陣営を見渡してみると、KTMはトップ争いに加わることが珍しくなくなったとはいえ、ドゥカティの安定感には及ばず、勝負の決め手にも欠ける。アプリリアはパフォーマンスに波があり、互角といえるほどのポテンシャルには至っていない。

 そして、日本メーカーのホンダとヤマハはというと、これら欧州勢の背中が見えなくなるくらい遠いところまで引き離され、コンセッション(優遇措置)適用の是非が話題になるほどの状態になってしまった。

 ちなみに、現行ルール上でのコンセッションは、2013年以降に参入したメーカーを対象に想定されている。新規参入企業に対する競争力向上を企図したこのルールを改変し、現状で劣勢な陣営の実力底上げに適用するのが妥当かどうかについては、また別種の議論が必要だろう。

 いずれにせよ、今のドゥカティはそんな話題が飛び出すくらいの強さを発揮しているというわけで、2022年にライダー・メーカー・チームの三冠を達成した彼らが、今年はさらにその容赦ない強さに磨きをかけているのは誰に目にも明らかだ。

 そして、ドゥカティがこのように圧倒的な強さを発揮すると、それを面白く思わない一部の人々からは冷笑のような批判が起こる。曰く「自分たちが有利になるようなルールに仕向けていったからだ」、あるいは曰く「ルールの抜け穴を探して、正々堂々と戦う他陣営を出し抜いたからだ」云々。

 おそらく、悔しさややっかみやナショナリズムなどがないまぜになって、そのような屈折した感情が醸成されるのだろう。過去を振り返れば、ドゥカティが猛烈な強さと速さを発揮したときにはいつも、「なにかズルいことをしているからだ」という批判めいた憶測が囁かれた。最初にそんな声が聞こえたのは、800cc時代初年度の2007年だったように記憶している。2006年までのドゥカティは、新興勢力ではあっても日本メーカー勢にとって特に大きな脅威ではなく、もっともらしい憶測や批判を向ける対象ではなかった、ということでもあるだろう。

 その次にドゥカティに対する批判的な言説が大きくなったのは、共通ECUの使用開始から全車その一本化に至るまでの、2010年代前半から中頃の時期だ。共通ECU一本化については、特にホンダが反対の論陣を張って議論は紛糾したが、結局は妥協の落とし所がみつかって落着に至った。この時期、日本企業勢の開発担当者たちに話を聞くと、どのメーカーも一様に、共通ECUを理解して使いこなすことに最初はかなりの苦労を強いられた、と述べていた。だが、結局のところ、共通ECU導入後もチャンピオンシップを優勢に進めたのは、この導入にもっとも反対し続けたホンダのマシンを駆るマルク・マルケスだった。

ドゥカティへの「ズルい」はブーメラン?
 
ウイングレット規制後の2017年カタールテストで試されたドゥカティのカウル
 共通ECUを巡る駆け引きの時代は、2013年秋にアプリリアからドゥカティへ移籍してきたジジ・ダッリーニャが、その手腕を発揮しはじめた時期でもある。また、この頃からドゥカティは、エアロダイナミクス活用に徹底的な工夫とこだわりを見せはじめ、現在に至る。

 ドゥカティがバイクのフロント部分に文字どおりの羽根(ウィングレット)を搭載したのは、たしか2015年シーズンだった。やがて、この羽根状突起は危険だとしてルールで禁止されるが、すると今度は、同様の空力効果を発揮する部位でありながらもそれをフロントカウルの一部に盛り込むことで「部品としての羽根ではなくて、あくまでカウルの一部」という理屈を通してしまう。

 このケースなどはたしかに、「ルールの抜け穴」の典型例だろう。羽根のようで羽根ではない大きなフロントカウルが彼らのピットガレージで初めてお披露目されたときには、苦笑のようなざわめきもあった。しかし、その苦笑は、じつはドゥカティ陣営の奇抜なアイディアに対するある種の賞賛であったようにも思う。なんといっても、禁止に至った最初のウィングレットといい、現在に至る数々のエアロパーツといい、彼らがつけた先鞭を他社がこぞって採用していったのだから。「狡猾」と文字で記せば悪印象も抱きかねないが、そんな彼らの知略は、じつはルールを知悉してそれを最大限に活用する戦術的・戦略的「巧緻」、といったほうが、むしろ適切なのではないか。

 つまり、ドゥカティに対して「ズルい」と指弾して悔しさを紛らわせ、溜飲を下げているつもりの言説は、じっさいのところ、自分たちが擁護している陣営に戦術的・戦略的な巧緻さが足りないことを暗に指摘しているのと、じつは同義になってしまっているのではないか。

 そういえば、ホンダが圧倒的な強さを誇っていたある一時期、欧州のパドックでは一部の人々が「日本人は閉鎖的で秘密主義で、我々にはけっして明かさずに日本人同士の間だけでこっそりと何かを隠しているズルい連中だ」ともっともらしく〈批判〉する声もあった。笑止というほかない難癖で、洋の東西を問わず偏狭なものの見方というものは、えてしてそういうものだろう。今ではそのような陰口も聞かれなくなったが、これは裏を返せば、現在の日本企業勢は彼らがそのような猜疑心や脅威を抱かずにすむほど影が薄い存在になってしまった、ということでもあるのかもしれない。

 とはいえ、栄枯盛衰は世の習いである。かつてホンダが最強を誇った時代にヤマハは苦戦を強いられ、そのヤマハがホンダを追い落とし、ホンダがふたたび無類の強さを発揮した時代を経て、今はドゥカティが日本企業勢の上に君臨している。そんな勢力関係も、いつか時間が経てばまた変化をしていくにちがいない。「大きな出来事でも、動きの軸になるのは小さな蝶番だ」という言葉はある人気小説の一節だが、問題は、その小さな蝶番を動かす地道でもツボを押さえた効果的なひと押しを、はたしてできるのかどうか、ということだろう。
西村章
 
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