スカイラインGT-R、とことん速さを追求?むしろ、迷走!

ニッサンの(スカイライン)GT-Rとは、日本国内レースを意識した/合致する仕様と速さを条件として来た。R32GT-Rはある意味オーバースペック、グループAにRB26DETTとアテーサE-TSどちらかで良く、両方は必要なかった。アテーサE-TSを装備するなら、エンジンはRB20DETTで十分だった。RB20DET-R搭載FRのGTS-Rですら、十分だったのだから。

R32GT-RはグループAレースを解体するほど速く、勝ちまくった。規程がGTに移行し、アテーサE-TSは使えなくなった。R32GT-Rの中期で、以降のアテーサE-TS搭載はレースには無意味だった。

R33GT-Rもストラクチャーをキャリーオーバーし、寸法変更と空力微調整とタイヤグリップアップした。だが、ニュルという約21キロの長距離サーキットで21秒の向上は実質的には誤差の範囲、ドライバー/ドライビングの違いでしかない。

R34GT-R、アテーサE-TSをやめ、本格的フロントミドシップFRに転換するラストチャンスだったのに、ソレを自ら手放した。別にGT-Rでなくても、フツ~のフロントミドシップFRとしてスタイリングすれば、RB25DETですら300キロを狙えるクルマになり得たのに。別に、ホイールベース短縮&テール延長など、改善の真逆だった。結局、R32⇒R33⇒R34GT-RはRB26DETT&アテーサE-TSをキャリーオーバー、微小変更。タイヤのエコ化のせいでむしろ遅くなった。

スカイラインGT-R、本来ならGTレギュレーションに合わせて仕様変更して、高速GT化すべきところ、ダメにしかなってない。

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【R34「GT-R」開発秘話】とことん速さを追求したR33に対して普段使いできる快適性をプラス!「R34は第2世代の結実です」
2023.10.26 00:02掲載Auto Messe Web


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集大成として熟成したBNR34

日本のみならず、世界中のクルマ好きに愛されている日産「スカイラインGT-R」。電子制御4WDなど、その開発には相当な苦労があった。その運動性能を取りまとめたのが、日産自動車 車両実験部の加藤博義氏である。当時の開発秘話を語っていただいた。今回はR34編をお届けする。

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(初出:GT-R Magazine 171号)

愛車として4ドアGT-Rを手に入れたことで気付きがあった

「R33GT‒Rが世に出るとオフシーズンになるので、VDC(車両挙動制御)を担当しました。ドイツのBOSCHのスタッフと一緒に、またスウェーデンへ行って試作車に乗せてもらうことになったのですが、これは面白い体験でした。いかに運転のうまい人であっても、タイヤ1輪ずつにブレーキを掛けることはできません。わたしはスラロームを走るとその制御がわかり、開発者と同乗して、今左後ろにブレーキが入ったとか運転しながら話すと『わかるのか?』といって喜んでくれました。走りながら制御を変え、挙動の変化を体感できるので、実に楽しかったですね。

車両実験の試験解析にはR33の開発前から関わっていましたから、車両の挙動を評価する上でも、この体験はすごく勉強になりました」

R34の開発が始まるに際しては、後進の育成をするようにとの辞令も下った。R32の開発前から、電子制御4WDの開発に携わってきた関係で、加藤氏がGT‒Rの開発を担ってきた。だが、ほかのドライバーにも経験させたり共有したりすることで、日産の実験部の人材に厚みが増す。R32からR33へとGT‒R継承の道筋ができたことで、技術開発だけでなく、先端技術を走りにまとめる人材がさらに不可欠になる。

GT‒Rの速さの象徴となるVスペックは別のドライバーが担当し、加藤氏は基準車と呼ばれる標準仕様の開発をR34では担った。

「R33は、ニュルブルクリンクで8分を切る壮大な目標があったので、とにかく速く走ることだけを考えて開発しました。ですからR33の基準車がどのようなクルマであったか覚えてはいません」

だが、R34GT‒Rの開発が始まろうとするとき、加藤氏はスカイライン誕生40周年を記念して発売された4ドアセダンのGT‒Rオーテックバージョンを購入し所有した。そこで新たな気付きがあったと話す。

「自分のクルマで通勤し始めるとVスペックの乗り心地はいかにも硬い。R33のVスペックは、ニュルブルクリンクで1周8分を切る上で不可欠の設定でした。一方、日常的な使い方では路面の段差が気になり、マンホールは避けていこうかという気持ちになるほどです。Vスペックと基準車が同じではいけないと思ったのはこのときでした」

オーテックバージョンのサスペンションは基準車と同じで、これをR34GT‒Rの基準車へ活かそうと考えた。また、別のドライバーが開発を担ったR34のVスペックは、加藤氏にとってはオーバーステア特性に感じていたと言う。

「ほかの人からは、R33のほうがオーバーステアだと言われましたが、R34もニュルブルクリンクでは自分がVスペックのハンドルを握ったので、R33よりオーバーステアだと感じました。ただ、それではダメだということではなく、これが人を育てるということなのかもしれないと考えるようになりました。

時代とともに技術も進化していくし、担当するドライバーが変われば操縦特性も変わっていくでしょう。それがそれぞれのドライバーの個性であり時代の要請でもあり、その結果、まったく別のものというように外れてはいけませんが、日産自動車のGT‒RやフェアレディZという価値から外れなければ、それがその時代の個性と言えるでしょう。GT‒RやZでなくなってしまうような外れ方をしていないかどうか、そこをしっかりと確認するのがわたしの役目であり、同時に後進を育てることにも通じるのだと考えています」

快適性もあるRらしさとは何か

基準車は加藤氏が意識し始めたように普段乗っても快適さがあり、一方、速さが重要なVスペックもあるという彩が、GT‒Rの価値を広げていくことになる。また今日のR35GT‒Rの有姿にもつながっているのではないかと言う。

「普段使いもできて、かつGT‒Rらしさとは何か? そういうことを考える余裕をR34で得ることができました」

あらためてスカイラインGT‒Rとは、加藤氏にとって、あるいは日産の実験部のドライバーにとって、どのような意味があるのか。

「かつて渡邉衡三さんが、速さがすべてではないけれどたいがいのことは速さで許されると言ったことがあります。GT‒Rは速いという枕詞があることによって、そういうクルマを開発できるのはテストドライバーになりたくてなった自分にとって、ドライバー冥利に尽きます。速さだけがすべてではなくても、GT‒Rのような速さや安定感は知っていたほうがいい。R32が出るまでやはり速いクルマ、すごいクルマは、ポルシェやBMWといった意識がどこかにありました。しかしポルシェ959にはモード切り替えがあったけれど、R32は制御の切り替えなしに舗装路から氷雪路まで走れるようにできたことで、その意識も変わりました。GT‒Rがあることで誇りになるし、励みにもなります」

開発に関わった3台のGT‒Rの特徴を形容すると、という問いに加藤氏はこう答えた。

「R32はほのぼのしている。R33は猛々しい。R34はジェントル。R32のときは、こんなクルマを世に出して大丈夫かと思った。R33はマイナス21秒のロマンという速さしかなかった。R34はこの世代のGT‒Rの結実でしょう」

いい得て妙の評だ。

R32からR34にかけてのGT‒Rは20世紀の日本車の走りの集大成として、技術の日産の粋を集め、現代の名工テストドライバーが築き上げた至宝である。

(この記事は2023年6月1日発売のGT-R Magazine 171号の記事を元に再編集しています)

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