ホンダNSR250の優位、88モデルだけではない!

この記事のライター、ちゃんとわかって書いているのか?この時期のオートバイ、フルチェンジで出たら、他メーカーがフルチェンジして来ない限りそのクラス最強だった。

ヤマハは並列2気筒TZRに胡座をかき、ホンダがNSやMVXを出そうと、スズキがRGΓカワサキがKR据え置きだったのに合わせ、ずっとマイチェンカラー変更で繋いでいた。

ソコに、F・スペンサーの'85年型RS250RWまんまレプリカたる'86-'87年型NSR250Rが出た。ソコでまず大きくアドバンテージを取った。

ただ、この時期はタイヤがバイアスだったし、排気バルブなどの制御や出力特性など市販として粗い部分があった。

'88年モデルからは前後ラジアル対応、RCバルブ、排気チャンバー延長、スタイリングとも実質フルチェンジの内容だった。ヤマハが後方排気TZR、スズキがRGV-Γ、カワサキがKR1出すのは'89年になったハズ。

'89年になってからも、"イカれ89"と呼ばれた、更なるフルチェンジがなされた!さながら、全日本GP&世界GP車両さながらのイヤーモデルを'90年まで続け、市販改造のSPレースで他メーカーを圧倒し、F3では400を蹴散らす強さを発揮した。

その強さに胡座をかき、本田宗一郎が亡くなり、'93年までマイチェンカラー変更で凌いだ。'91年からヤマハがV型2気筒TZRを投入したが、GP車両TZやYZRとは異なり、ソコまで失地回復にはならなかった。

90年代初頭から二輪四輪共市場から乖離したが、ソレをバブルがハジけたせいにし、本質から目を背けた。NSRは'94年にフルチェンジしたが、スイングアームはRSやNSRと異なりVFR&RVF同様の左側片持ち、倒立フロントフォークすら採用されず、PGM-FIも採用されなかった。誰も望みもしない、日立マクセルのカードエントリーが着いていた。四輪で、レース仕様にするなら鉄のロールケージや柔軟な補強が必要になるのに、NSXを誰も望みもしない総アルミにしたのとダブる。二輪四輪マスコミやファンの期待を掻き立てて置いて、散々待たせた末にしょうもないモノが出て来る、今に至るまで"出すかも詐欺"が続いている。

 

 

 

 

 

 

*************************************

【絶版名車紹介】ホンダ「NSR250R」1988年|ライバルを大きく引き離した圧倒的パフォーマンスの“ハチハチ”
11/21(火) 13:10 Yahoo!ニュース
  34
 
ライバルをぶっちぎる群を抜いた速さの名車
 
Honda NSR250R
1980年代後半に盛り上がった「レプリカブーム」。その申し子とも言えるアイコニックな存在が、ホンダのNSR250R。中でも、1988年登場の2型は、その圧倒的な動力性能で最強の名を欲しいままにして、レプリカブームを牽引していくのである。

【写真はこちら】「NSR250R」“ハチハチ”の全体

1986年10月にNSR250Rを投入したばかりのホンダだったが、最大のライバルであるヤマハTZR250に対する警戒感は大きく、大幅な性能向上が予想される次期TZRに打ち勝つためには劇的なパフォーマンスの向上が必要と考えていた。こうして誕生したのがMC18型のNSR250R。勝つためには手段を選ばない、ホンダの貪欲な姿勢が如実に現れた1台だ。

市販二輪車世界初のコンピューター制御によるPGMキャブレターとPGM-CDIを採用。RCバルブと呼ばれる可変排気孔バルブシステムとあわせ、実際は45PSというカタログスペックが疑わしいパワーが出ている、とさえ言われた。フレームは異形5角形断面アルミツインチューブで、当時登場したばかりのラジアルタイヤをリアに採用するなど、最先端技術を積極的に採り入れた。

そのパフォーマンスはライバルを置き去りにする強烈なもので、レースシーンでは「勝ちたければNSR」とさえ言われた。出力特性と車体剛性の関係で、本来持っている性能を引き出すことが難しいと言われたが、そんな手強さもレーシーだと歓迎され、最強の2ストレプリカという名声を欲しいままにした。
オートバイ編集部

 記事に関する報告

*************************************