トヨタMR2、そのモノが価値あるワケではない!

トヨタMR2、他の日本自動車メーカー同様、生産効率に取り憑かれ、AE86レビン/トレノ以外のカローラ系をFF化してしまった。しかし、そのFFユニット置換ミドシップとして、AW11MR2を出すコトがデキた。つまり、この時期、トヨタカローラ系でFF、FR、ミドシップをカバーするラインナップをデキた。

雰囲気はフィアットX1/9に似るが、エンジンのデキが違う。ペラペラ鋼板モノコックに、FFカローラ用横置ユニットをミドシップすると、前後タテヨコ共強度剛性が不足し、補強で重量が嵩んでしまった。

しかし、コレらの4気筒ユニットの出力向上も見込まれ、ミドシップだけでなく、FFにもRRにも関わる問題だ。ちゃんとした制震フレームを開発していたら、トヨタはMR2だけでなく、FF車両のハンドリングでもかなりのアドバンテージを築けたろう。

しかし、現実はMR2としてAW11もSW20も場当たり補強しかやらず、カローラ系やセリカ系FFにも無策だった。

落ち着いた結論は、MRSとしてのNA化、本格派スポーツ化を敬遠し、おチャラけオープンカーへの仕様変更だった。

AW11やSW20型MR2、ソレ自体に価値はない。高いなら、買わないだけだ。

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初代MR2にはもう手が届かない……。20世紀の日本のスポーツカー相場が爆上がり!!
4/6(土) 12:00 Yahoo!ニュース
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今でこそ世界で確固たる地位を築いている日本車だが、暗黒のオイルショックで牙を抜かれた1970年代、それを克服し高性能化が顕著になりイケイケ状態だった1980年代、バブル崩壊により1989年を頂点に凋落の兆しを見せた1990年代など波乱万丈の変遷をたどった。高性能や豪華さで魅了したクルマ、デザインで賛否分かれたクルマ、時代を先取りして成功したクルマ、逆にそれが仇となったクルマなどなどいろいろ。本連載は昭和40年代に生まれたオジサンによる日本車回顧録。連載第9回目に取り上げるのは市販された日本初のミドシップスポーツの初代トヨタMR2だ。

【画像ギャラリー】日本初のミドシップスポーツの初代MR2は小股が切れ上がったという表現がピッタリ!!

ベストカーガイド』で見てひと目惚れ!!
初代MR2は私が高校3年の時の1984年6月に正式デビュー。この初代MR2と私の間には現在まで続くいろいろな因縁があるが、その発端となったのがデビュー前年の1983年に東京モーターショーで出展されたコンセプトカーのSV-3だ。

私の同級生にクルマに強烈に詳しいヤツがいた。彼とは違う中学出身で、高校で一度も同じクラスになったことはないし、部活も違っていたが、共通の友人を通して知り合った。クルマに詳しいと聞いていたが、豊富な知識に驚いた。クルマは好きだがまったく知識がない私は、バスが同じ路線だったので、登校前のバスの中でクルマについていろいろ教えてもらっていた。現在の仕事を考えると、彼はクルマに関する私の先生であり恩人だ。

彼はいろいろなクルマ雑誌を読んでいたのだが、高1の時にクルマ雑誌の『ベストカーガイド』(1985年から月2回刊となり『ベストカー』に名称変更)に掲載されていたSV-3を見せてくれた。「ぶちかっちょえぇじゃろ?」(広島弁で物凄くカッコいいでしょう?の意味)の問いかけに激しく賛同し、「ランチアストラトスみたいじゃのぉ!!」と返した。今思えば赤面モノだが、ギュッと凝縮したショートボディがそう思わせたのだと思う。

同時に「カウンタックやビービー(フェラーリ)と同じミドシップ」と友人に教えられ、私の中ではSV-3はカッコよくて凄いクルマというイメージが固まった。東京モーターショーの存在もこのクルマをきっかけに知った。『ベストカーガイド』には来春(1984年)デビューと書かれていて、ワクワクした。

当時異彩を放っていた
デビューを心待ちにしていたが、SV-3は1984年の4月になっても発売されなかった。そんなさなかに日本中を騒然とさせた『グリコ森永事件』が勃発。推理小説や事件モノが好きだった私はその動向が気になって仕方なかった。今のようにネットはないし、高校生が週刊誌を買うわけもなく、情報源であるテレビのワイドショーを見るために遅刻するなど、ふざけた生活を続けていた。

そうしているうち6月入って友人からSV-3がMR2の名前でデビューしたことを教えてもらったのだが、正直存在を忘れていた。まぁ高校生の興味の対象なんて猫の目のようにコロコロ変わるのだ。

SV-3改めMR2は、細部の処理は若干違うもののコンセプトカーとほぼ同じデザインを纏って登場。それゆえデビュー時の感動はほぼほぼゼロ。でもMR2の名前は『ミドシップランナバウト・2シーター』の略と聞いて「ぶちかっちょえぇ!!」、だった。

私が高校生の時は、魅力的なクルマがいっぱいあった。初代ソアラ(1981~1986年)、2代目セリカXX(1981~1986年)、2代目プレリュード(1982~1987年)は定番人気だったし、MR2の2か月後にデビューしたトヨタマークII(1984~1988年)はすぐに大ヒットモデルになった。個人的にはスカイライン(R30型・1981~1985年)は好きじゃなかったが、セミリトラクタブルヘッドライトを採用したフェアレディZ(Z31・1983~1989年)にも憧れた。

そんなクルマたちと比べると、初代MR2のデザインは洗練されてなくて少々古臭いし、全長が短くてチンチクリンだが、私の琴線を刺激した。仲間内ではカッコいい派のほうが少数だったと思うが、このMR2は異彩を放っていたと感じた。ミドシップ、ショートボディ、角ばったペキペキのデザイン、2シーターのタイトなインテリア、猛禽類をモチーフとした七宝焼きのエンブレムなどすべてが凄いと思った。

若者が頑張れば手が届くミドシップスポーツ
初代MR2カローラのFFモデル(前輪駆動)のエンジンをはじめとするパワートレーンをミドに移植。そのエンジンは1.6L、直列4気筒DOHCエンジンの名機4A-G型と1.5Lの2種類が設定されていた。初代MR2はAWの型式で呼ばれ、1.5L搭載モデルがAW10、1.6L搭載モデルがAW11となる。トランスミッションは5MTと4ATを設定していたが、クルマのキャラクターからも5MTが圧倒的な人気だった。

1986年にマイナーチェンジを受け、1.6L、直4DOHC+スーパーチャージャーが追加されると同時に、オープン仕様のTバールーフが新設定された。走り屋にはTバールーフはボディ剛性が落ちるという理由でノーマルルーフが好まれていたが、それ以外の人にはタルガトップのように開口部の大きいTバールーフはオープンエアを満喫できる魅力的なアイテムだった。

初代MR2についての動力性能を当時の『ベストカーガイド』で調べてみると、0-400m加速:15.94秒、0-1000m加速:30.02秒、0-100km/h加速:9.32秒、最高速:188.32km/hとなっていた。1.6Lエンジン搭載のスポーツモデルとしては、特別速いわけではなく平均的だが、最高速が180km/hを超えているのは空力のよさだろう。

発売当初の新車価格(東京地区)は139万5000~189万4000円だった。同じ4A-G型エンジンを搭載していたAE86レビンが130万~160万円程度だったため、初代MR2のほうが20万円程度高かったが、若者にとって手の届く魅力的な価格設定だった。ただ、マイチェン後のスーパーチャージャー+Tバールーフにすると、約240万円ほどに価格が跳ね上がってしまった。

最終的に1989年まで販売され、2代目モデルにバトンタッチとなった。

これまでに2度の購入チャンス到来
高校生の時に惚れた初代MR2だが、これまで2回購入のチャンスが巡ってきた。

1回目は1988年、大学3年の時だった。田舎の友人が高校卒業後に初代MR2を購入。ウチの田舎では社会人になってすぐにクルマを買うのが当たり前だったのだが、大学に行かない代わりに親から新車のMR2を買ってもらったという。私がMR2好きということを知っていて、4年乗って飽きたから破格の条件で買わないかと言ってきた。ボディカラーはグリーンメタリック+ゴールドという私が一番好きな色だった。それを30万円でどうかと言われ、当時としても破格の安値に即決しかけたのだが……。

問題は買った後の維持費だ。私の大学時代の棲家は目黒区碑文谷のアパート。東京の城南地区の人なら知っている目黒区の高級住宅街のひとつなのだが、私が借りていたのは家賃1万9000円の1Kボロアパート。家賃は安かったが、近くの駐車場は4万円!!家賃と合わせて6万弱だから買えないことはなかったのだろうが、勇気がなかった。駐車場代、保険代、ガソリン代など諸々考えるとこりゃ無理だ、と断念したのだ。

2回目の購入チャンスは、社会人になってから。1994年だったと思う。クルマ雑誌『ベストカー』の中古車企画で神奈川県の中古車店を取材した時に、初代MR2の最終年である1989年式の"ビカモノ(新品同然)"の初代MR2と遭遇。スーパーチャージャー+ノーマルルーフで、無改造ときた。その頃中古の初代MR2は2代目の登場により買いやすい価格になっていたこともあり、購入するか大いに悩んだ末にハンコを押しかけた。

しかし当時私は周りにフェラーリを購入すると豪語し、そのために『フェラーリ貯金』をしていた。MR2を買っても変わらない、という誘惑もあったが私のなかでは、MR2

もはや手に入れるのは無理!?
結婚、転職もそうだが、クルマ購入もタイミングが非常に大事。2回も絶好機を逃してきた私だが、MR2には未練があり、購入の機会を狙っていた。過去形になっているのは、中古価格の高騰により購入意欲がなくなったからだ。

2020年頃から20世紀のジャパニーズスポーツカーの中古車相場が爆上がりしていて、MR2も例外ではない。MR2は初代、2代目とも高騰していて、初代MR2は200万円を切るモデルはほとんどなく、500万円近いクルマも出現しているほど。2010年代に50万円出せば手に入れられたのを知っている身としては、絶対買わない、というか買えない。古いクルマに価値が出るのはわかるが、そこまでの価値があるとは私には思えない。

欲しい気持ちはやまやまながら、この先高値安定はあっても相場が下がるとは考えにくいから、私が初代MR2を手に入れるのは絶望的状況だ。性格的に滅多に後悔しないが、初代MR2に関しては2010年頃に買っておけばと心底後悔している。

まぁ、この先何が起こるかわからないため、完全に諦めたわけじゃない。うれしいハプニングに期待していよう!!

【初代(AW11型)MR2 G-Limited主要諸元】
全長3925×全幅1665×全高1250mm
ホイールベース:2320mm
車重:950kg
エンジン:1587cc、直列4気筒DOHC
最高出力:130ps/6600rpm
最大トルク:15.2kgm/5200rpm
価格:179万5000円(5MT)

【豆知識】
2代目MR2は1989年10月デビューし、1999年まで販売された。型式は初代のAW11に対しSW20。ミドシップスポーツというコンセプトは初代を踏襲するが、全長4170×全幅1695×全高1235mmと大型化され、エンジンも2Lに排気量アップ(NAとターボ)。最初期モデルは酷評されたが、改良を重ね本格的なミドシップスポーツに成長。初代とは対照的な流麗なエクステリアデザインも人気となった要因だ。

市原信幸
1966年、広島県生まれのかに座。この世代の例にもれず小学生の時に池沢早人師(旧ペンネームは池沢さとし)先生の漫画『サーキットの狼』(『週刊少年ジャンプ』に1975~1979年連載)に端を発するスーパーカーブームを経験。ブームが去った後もクルマ濃度は薄まるどころか増すばかり。大学入学時に上京し、新卒で三推社(現講談社ビーシー)に入社。以後、30年近く『ベストカー』の編集に携わる。

写真/TOYOTAベストカー
 
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