西本聖、巨人の時、正直あまり良い印象はなかった。江川卓より遥かに厚遇されていたように見えた。
最初は、あのピッチングフォーム、新浦寿夫の後に使われた。あんなに足を上げても球速はあまりなく、シュートしか印象はなかった。確か、角三男と1イニング最多与四球の記録を作った中にもいた。
また、江川卓唯一の20勝のシーズン、早々に20勝した江川に対して、西本はまだ15勝もしてなかったのに、シーズン終盤西本だらけだった。明らかに、西本に20勝最多勝させる意図が藤田元司監督&王貞治助監督にあった。また、投票記者の好き嫌いで沢村賞が江川でなく、西本になった。
西本自身、日本一はこの1回だけだった。チーム内で孤立していたが長嶋派、特に、コーチとの軋轢もあり、王貞治は疎んじた。そんな中、ロッテから中日に移籍した落合博満をシュート攻めで迎え撃った。以後、セ・リーグ投手の落合対策のお手本になった。故障もあり、同一リーグでも構わないと思ったか、星野仙一監督の中日にトレードされた。ワタシが王貞治嫌いなためか、この時期はカレを応援した。20勝上げ、巨人斉藤雅樹と最多勝、9年で引退した江川卓よりは多く勝ったが、アレ以降日本一はなかったハズ。
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「反骨の男」西本聖は代名詞シュートで完投、完封の嵐…80年から87年まで江川と交代で開幕投手務め、ライバルに上り詰めた
5/12(日) 6:05 Yahoo!ニュース
創立90周年を迎えた巨人。巨人での出場試合が多い野手、投手を中心に記録にも記憶にも残る歴代の「偉人」を紹介します。第26回は西本聖。
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「反骨の男」と言われ、江川のライバルに“成長”したのが西本聖だ。
1956年6月27日、愛媛県生まれ。松山商から74年ドラフト外で入団した。同期のドラフト1位で甲子園のアイドルだった定岡正二をライバル視し、3年目の77年に8勝を挙げて1軍に定着した。
81年初の開幕投手を務めて18勝。リーグ優勝に貢献し、沢村賞も獲得した。日本シリーズ第2戦では毎回奪三振で完投勝利。第5戦は13安打されながらも完封し、シリーズMVPに輝いた。83年の西武との日本シリーズでも完封勝利を飾っている。
代名詞のシュートを武器に、80~85年に6年連続2ケタ勝利。80年から87年まで、開幕投手は江川―西本の順番で交互に4度ずつ務めるなど、努力と反骨精神で江川と並び称されるまでになった。
88年オフに中日に移籍し、89年は自己最多20勝を挙げて、斎藤雅樹とタイトルを分け合った。オリックスを経て94年、巨人に復帰するが1軍登板はないまま現役引退。守備にも定評があり、ゴールデン・グラブ賞8回は桑田真澄とともに投手最多記録となっている。
報知新聞社
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