果たして美談にするべき?山口百恵

このヒトのコトを美談にしておいて良かったのだろうか?

大きくは2点

1、山口百恵の女性としての在り方

2、山口百恵をマネジメントしていたホリプロの在り方

ではないだろうか?

1、山口百恵の女性としての在り方を、どう考えていたのか?

歌手としてのイメージ自体、新しいオンナ、突っ張ってるオンナだった。それが、こんなに早く結婚し、引っ込むべきだったのか?コレを礼讃するコト自体、本人もそうだし、世間も"オンナは結婚したら、家庭に引っ込め!"と、言ってるようなモノだ。

本人が仕事に取り組む自分に限界を感じたというなら、まだ仕方なかったろう。でも、仕事をするヒトにとって、そういうカベを突破するコトで飛躍するハズで、本来はその機会を自ら放棄したようなモノだと感じる。

今の芸能界入りした2人の息子に対して、母親としてアドバイスする経験すら積めていなかったのではないか?

2、山口百恵をマネジメントしていたホリプロの在り方、果たしてちゃんとしたマネジメントができていたのか?

山口百恵にはTBS久米宏が言い寄っていたとも、当時久米宏のオンナが自殺を計った話も報じられていた。たかだか局アナごときにタレントが言い寄られるスキを、マネージャーが久米宏に与えていたのか?

当時の三浦友和だって、それほどのライジングスターではなく、むしろ、山口百恵の相手役として有名になった俳優だ。ジャニーズがタレントの相手役女性タレントのブレークを良く思わないのとは、真逆に感じる。一方で、もっと良い俳優や歌手らとも共演していた。そちらと何かあった方が、むしろマシだったくらいではないか?

もっとムチャクチャに仕事を詰めて、婚期を逃すくらいに働かせ、ホントに第2の美空ひばりにするべきではなかったのか?イヤ、タレントに対して、それだけの売り出しビジョンを持たずにマネジメントしているのでは?

山口百恵だけではない。近年の深田恭子石原さとみらには破産歴ある不動産屋や売名目的丸わかりのIT社長すら近付けた。オスカーの剛力彩芽は、前澤に身請けされた話まで抜けた。ホリプロはソコまで抜けてないが、タレントのイメージダウンを管理できてないのだ。挙げ句、石原さとみはIT社長に捨てられ、もっと無名のオトコと結婚するコトになった。綾瀬はるか小島瑠璃子は?片や売名目的の韓流タレント、片や漫画家に。ノーマークならば御粗末としか言い様がない。御伽ねこむのマネジメントをリリースした時も、漫画家に寝取られた。

相当にザルだ。

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21才で結婚した山口百恵さん 幸せなだけではなかった一般人生活
2/21(日) 7:05 Yahoo!ニュース
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引退コンサートは今も伝説として語り継がれている(写真/時事通信フォト)
 伝説的な引退コンサートが1月下旬にNHKで放送されたことで、再び注目の的となっている山口百恵さん(62才)。14才でデビューし、21才で引退し結婚するまで、芸能活動はわずか7年間だった。

【写真7枚】山口百恵さんと三浦友和の仲睦まじい若い頃のツーショット。その他、百恵さんのダウンジャケットを着たプライベートでの近影

 1974年、百恵さんはCMの撮影で、後に夫となる三浦友和(69才)と出会う。2人は、百恵さんが18才になるころから本格的な交際を始めることとなる。

 そして、1979年10月20日大阪厚生年金会館でのコンサートで百恵さんは、「私の好きな人は三浦友和さんです」とファンの前で交際宣言をしたのだ。この時、百恵さんは20才だった。

忙しすぎて
 20才での交際宣言、そして21才での結婚と引退は、周囲を大いに驚かせた。これだけの人気者がなぜ引退するのかという疑問すら多くの人に抱かせた。そして、何を隠そう三浦自身も、百恵さんの女優としての資質を惜しんでいた。

「百恵さんは自らの著書『蒼い時』(集英社刊)で、三浦さんに“女優としての資質が素晴らしいと思う。だから仕事を続けて欲しい”と言われたことを明かしています。“最大の理解者”からの最大限の賛辞ですよね」(芸能関係者)

 しかし、百恵さんの覚悟は一度定まったら揺らぐことはない。結婚と引退は彼女の中では切っても切り離せないものだった。

《私は彼のためになりたかった。外に出て行く夫にむかって、「いってらっしゃい」「おかえりなさい」と言ってあげたかった。愛する人が最も安らぎを感じる場所になりたかった》(前出・『蒼い時』より)

 それは、彼女にとって「一生の覚悟」だった。

 当時、日本中を興奮の渦に巻き込んだ歌手だった百恵さん。そんな彼女が、慎ましやかな生活に希望を持つことは、多忙さゆえかと見る向きも当時はあった。

「当時は、“目が回るような”なんてレベルではなかったですよ。忙しすぎて、撮影に来られない百恵さんのために、後ろ姿の“影武者”まで準備したほど。そんな生活から逃げたくて早くに結婚したのかなと、当時は思っていました」(別の芸能関係者)

 古くからふたりを知る音楽関係者はこのように分析する。

「ボクサーや力士は、体力・気力の限界まで戦い、自分の限界を理解して、諦めるようにその場から去って行く。引退というのはそういうものですが、彼女の場合は違いました。年齢的にも、まだまだこれからというところで辞める。それは、三浦さんへの愛と、アーティストとしての生き方を秤にかけて、前者を選んだ結果でした」

 この通り、三浦への愛を選んだ百恵さんはその選択が正しいと信じてやまなかったのだろう。引退直前の映画『古都』の撮影現場では、これまでの疲れ切った顔ではなく、晴れやかな表情が目立っていたという。

 1980年10月5日に日本武道館で行われた引退コンサートは、先日、NHKでその模様が再放送され、話題を呼んだ。百恵さんは悔いなく最後まで歌い、ファンに寄り添うように語りかけた。そして、最後の曲『さよならの向う側』のためだけに純白のドレスを身にまとった百恵さんは、握りしめていた白いマイクをそっとステージに置いた。

 引退コンサートの余韻も残る約1か月後の11月19日、ふたりは赤坂から虎ノ門へ抜ける坂の途中にある霊南坂教会で結婚式を挙げた。式を終えると、場所を東京プリンスホテルに移しての結婚披露宴が開催され、2000人近くの芸能関係者が出席した。

 結婚披露宴に出席した芸能リポーター石川敏男さんは、披露宴の豪華さもさることながら、引き出物も記憶に刻まれているという。

「手帳、ノート、ボールペン、万年筆だったね。この引き出物のチョイスにも几帳面でコツコツ努力家タイプの百恵さんの一面が見えた気がして覚えているんですよ」

 そして、大勢の人に祝福を受けたこの日を境に、百恵さんは表舞台から消えた。

 急に始まった“一般人”としての生活に物足りなさを感じて復帰することなく、自らの選択を揺るがすことはなかった。

 ただ、幸せな“一般人生活”というわけにもいかなかったようだ。

「三浦さんにとって30代というのは、大変な時期でした。自分のキャラクターに合う仕事がどんどん減ってうまくいってなかった。彼は35才のときにかなりのローンを組んで東京・国立市に家を購入しましたが、その後、自宅を売らないといけない状況まで追い込まれていました。そんな時期も、まだ20代の百恵さんは三浦さんを支え続けました。なかなかできることではないと思いますよ」(前出・音楽関係者)

 黙して語らない様が、三浦を楽にしたという。

「ふたりの生活は本当にごくごく普通です。俳優と元歌手の夫婦とは思えないほど、背伸びしないでゆっくりやってきました。三浦さんが苦労した時代にも、百恵さんは何ひとつ文句を言わず、ただ支えたんです。ただ淡々と日々を生きてきた、という感じなんです。それがどれだけ、三浦さんの支えになったでしょう」(前出・音楽関係者)

※女性セブン2021年3月4日号

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