ミニとビートル

ミニクーパーとVWビートル、言わずと知れた、自動車史に残る名車だった。

だった。と表現したのは、少なくとも個人的には、今のミニやビートルを一緒にしてもらいたくないと、思っているからだ。

昔のミニやビートルには、それぞれの形を作るための開発者のコンセプトがあった。

ミニは、とことんコンパクトなクルマを作るため、横置FFとしてエンジン・ミッション・デフを一塊で前に置き、前輪で駆動しステアさせ、コンパクトな車体と高いスペース効率を両立させた。

ビートルは、大量生産しやすくアウトバーン高速走行すら可能な、空冷エンジン・ミッション・デフをカブトムシ的スタイリングのモノコック車体後部に取り付けた。フロント駆動では、高速での正確なハンドリングと直進安定を両立できないと判断されたハズ。

しかるに、今のミニやビートル、昔っぽい形にして出しました感が強い。ニッサンのBe1やパオやフィガロといったパイクカー路線を、10年遅れてやりました、って感じだ。ミニは名前だけでワイドになった。ビートルはRRでさえなくなり、ゴルフの皮替になり下がった。

 

 

 

 

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元祖のイメージ薄くない!?イギリス車からドイツ車に大転身!それでもMINIが大人気のナゼ
6/20(日) 9:00 Yahoo!ニュース
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ベストカーWeb
 英国生まれのMINIは、長い間、日本で愛され続けてきた輸入車のひとつであり、その知名度は、カブトムシの愛称で親しまれたVWタイプ1にも匹敵する。まさに自動車界のトップアイドルだ。

【画像ギャラリー】その存在感はリアルモルカー!?マイナーチェンジが発表されたBMW ミニを見る

 MINIが日本で愛され続けている理由を探っていく。

文/大音安弘、写真/BMW

■半世紀以上続くMINIの歴史をざっくりおさらい
 
BMW MINI クーパーS。日本初登場当時(英国時代)、車名を『ミニ・クーパー』と間違えられるほどの人気を誇ったクーパーモデルは新型のBMW MINIにも受け継がれている
 そのMINIの歴史は、クラシックMINIとニューMINIの大きく二つに分けられる。

 まず原点となるクラシックMINIの歴史を少し振り返ろう。同車は、天才エンジニア、アレック・イシゴニスが手掛けた小型実用車で、1959年に発売以来、改良を加えながら、2000年までの41年間もフルモデルチェンジすることなく生産された。驚くべきロングセラーのひとつである。

 当時、スエズ動乱を発端としたオイルショックに苦しむ、英国大衆が入手可能な乗用車として開発が進められ、送り出された。その優れた基本性能と愛らしいスタイルは、幅広い層に受け入れられ、富裕層の街乗りクルマとしても人気に。

 さらにジョン・クーパーによるモータースポーツでの活躍も、その名声を高める大きなきっかけとなった。また小型車との親和性の高い日本でも、MINIは長年、多くの人たちに愛されてきた。

 特にスポーティなクーパーの人気が高かったため、ミニではなく、ミニ・クーパーが車名と誤解する人も多かったほどだ。

 やや余談となるが、1979年からホンダとの提携が行われ、良好な関係を築いていた英国ローバー・グループは、実のところ、ホンダ傘下に収まる可能性もあった。

 しかし、1994年に突如、BMWに買収されることに。これがMINIの運命を大きく変えることに。BMW傘下に収まって以降もクラシックMINIの生産は継続されたが、新体制下で新生MINIの開発もスタート。

 当初は、ローバー主体のプロジェクトであったが、経営状態の悪化から、プロジェクトはBMW主導のものへと切り替えられた。そして2001年に発表されたのが、現行世代へと繋がるBMW製MINI、通称ニューMINIであった。

■イギリスのMINIからドイツのニューMINIへ
 
[関連写真]
BMW MINI クーパーS リア。リアのブレーキランプ部にルーツである英国を感じさせる意匠を施している。昔からのミニファンも納得させる気遣いだ
 ニューMINIは、日本では、2002年3月2日、ミニの日に発売以来、好調なセールスを記録。発売初年からJAIAが公表する外国メーカー車モデル別新車登録台数において、トップ5内にランクイン。

 その後も、現在まで5位以内に留まり続けるだけでなく、2016年から5年連続モデル別ランキング1位を記録。さらに2020年夏には、ニューMINIシリーズ全体の日本累計販売台数が30万台を突破したことも公表された。それでは年別のニューMINIの国内登録台数の推移を見ていこう。

 導入初年の1万台突破は、3ドアハッチバックのみで達成されたものであり、当時の注目度の高さがうかがえる。

 そこから成長を遂げた現在は、コロナ過で厳しい販売に置かれた2020年でも初年の2倍。ピークとなった2018年では、約2.6倍まで拡大している。

 これは、クラシックMINIとは全く異なるニューMINIが、日本でしっかりと支持されてきたことを物語るものだ。なぜ大型化したにも関わらず、MINIの国内販売は成長を続けられたのだろうか。

 その流れを加速させた秘策は、モデルバリエーションの拡大だ。その中でも革新的だったのが、2011年投入のMINIクロスオーバー(初代)だ。

 ニューMINIはサイズアップを図りながらも、3ドアハッチが基本。その後、登場した派生モデルとなる2008年導入のMINIクラブマン(初代)も、オリジナルのデザインを意識し、運転席側のみコンパクトな観音開き式のリヤドアを与えるなど、新しくも伝統も重視したデザインであった。

 しかし、MINIクロスオーバーは、クラシックから見ると大きすぎると言われた3ドアハッチバックを軽く上回るボディの大型化を加え、なんとシリーズ初の3ナンバーに。さらに5ドアスタイルと4WDの設定など異例尽くしのモデルであった。

 当時、筆者も初めてMINIクロスオーバーと対面した際、カエルのようなスタイルとボディの大きさから、「これはMINIじゃない」と素直に感じたほど。まさにMINIにあってMINIにあらず、それがクロスオーバーだった。

■クロスオーバーの存在がファミリー層をキャッチ
 
家族で乗れないからと諦めていたお父さんたちのハートをわし掴みにしたMINI クロスオーバー。4ドアにゆとりある後席とラゲッジスペースを備え、ファミリー層の人気を得ることに成功した
 しかし、これがニューMINI躍進の第2ステップとなる。

 MINIに関心があるが、実用面から購入を断念していたファミリー層が見事に食いついた。これによりプライベートカーが主体であったMINIが、ファミリーカーへと守備範囲を広げる大きなきっかけとなった。

 それを裏付けるように、BMWブランド同様に、モデルの多角化を図ったMINIファミリーの中でも、プライベート性の高いスペシャルティモデルの「クーペ(2011年日本導入)」と「ロードスター(2012年日本導入)」は、たった一世代で消滅。

 後席を備えたクロスオーバーの3ドアクーペモデル「ペースマン」も、やはり1世代で終わってしまった。

 現在では、その役目は、伝統的な3ドアハッチバックコンバーチブルに集約されている。2014年日本初内の3世代目ニューMINIでは、そんなクロスオーバー人気を受けて、ハッチバックモデルにも初の5ドアを設定。

 オリジナルに近いスタイルと機能性の向上が、より多くの人に支持されることに。またダックスフンド的な胴長スタイルも、MINIの愛嬌を強調する良きアクセントともなった。この成功が登録台数の2万台突破への大きな足掛かりになったのである。

■いまや『輸入車といえばMINI』といえるまでの存在に
 
よりスポーティーかつ趣味的な電動開閉ルーフを持つMINI コンバーチブル。ひとつの車種でスポーツからファミリーまでカバーできるのがMINIの大きな強みだ
 ニューMINIの成功には、伝統的なデザインと独自の世界観を受け継ぎつつも、固定概念に捕らわれることなく、時代のニーズを見据え、多様性を受け入れてきた点にある。

 紆余曲折こそあれど、バリエーションの拡大にも成功しており、3世代目の現行型では、ハッチバッククラブマン、クロスオーバーの住み分けも確立されている。

 またニューMINI第一世代から取り組んできたユーザーの個性を反映させる純正カスタマイズの自由度の高さも、仕様が偏りがちな輸入車の概念を打ち破ることに成功。今や自動車界のアパレルブランドともいえる存在にもなった。

 しかし、それはクラシックMINIが育んだ自由な発想を発展させたともいえるだろう。

 もう一つの成功の証は、BMWの色をMINIに出さず、独自性を保ってきたこと。おそらくMINIにBMWらしさがあれば、これほどの成功を収めることは難しかっただろう。異端的存在と見られたニューMINIも、今やクラシックMINI同様、唯一無二の存在になることができたのである。

 いつの時代もMINIはMINIという強い信念こそが、最大の武器であり、多くの人を魅了し続けるエッセンスなのだ。

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