3ナンバー化が悪いワケではない。

この記事のライター、クルマの商品性や規格の意義について、キチンとわかっているの?

単に、3ナンバー化したらダメなワケではない。キチンと、規格に合わせた商品になるかどうかが問題なのだ。

まず、わかりやすいのは、動力が5ナンバーレベルならサイズも5ナンバーサイズに収めるコトだし、動力が5ナンバーレベルを超すならサイズは5ナンバーを超しても仕方ないというコトだ。

特に、ニッサンシルビアやホンダシビックらは、ソコを軽く見た。技術者は甘く見た。事務職や経営者は、技術者の怠惰に対する歯止めにならなかった。

日本で自動車を売るための必要事項であって、外国では規格事項が違っていたりする。日本は5ナンバーは2リッター未満だが、相当するヨーロッパのエンジン排気量は1.4リッターだったりする。日本は5ナンバーのサイズも定められているが、ヨーロッパはなかったはず。

クルマとしての機能が上がれば良し、ではない。

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「3ナンバー化」で大失敗! ユーザーがそっぽを向いちゃった「悲運の国産車」5選
9/6(月) 11:41 Yahoo!ニュース
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悲運の3ナンバー化があった過渡期
 
3ナンバー化でちょっと大人びたユーザー層に訴えたが販売実績は振るわなかった、6代目シルビアS14
 最近は欧州Bセグメントと呼ばれるコンパクトハッチまで全幅1700mmを超え、3ナンバーサイズが増えてきた。これは国内モデルと輸出用モデルのボディを共通化(グローバルカー)とすることで、開発コストを下げることや厳しくなる衝突安全基準の対応、居住性の確保などが主な理由だ。そのため、5ナンバー規格自体があまり意味のないものになりつつある(ただし、日本の道路幅や駐車枠などは新しいもの除けば1960年代から大きく変わっていので、5ナンバーが使いやすいのは確かだが)が、今から15年より前は3ナンバー化に嫌悪感を抱くユーザーは少なくなかった。

【画像31枚】これが3ナンバーだったとは!?、というクルマ。いい車が売れるとは限らない市場、3ナンバー化での売り込みが不発に終わった名車たち

 とくに自動車税が大幅軽減され、5ナンバーとの税額差が縮まった1989年直後はバブルの勢いもあって、多くのクルマがボディ拡大する高級路線に走ったが、それがあだ(理由はそれだけではないが)となり、売り上げが低迷したクルマもある。今回は3ナンバー化で失敗した悲運の新型車を5台ピックアップした。

日産シルビア(6代目)
 3ナンバー化でコケた代表車種として取り上げられることの多い6代目シルビア(S14)。日産には1世代ごとに成功と失敗を繰り返すジンクスのようなものがあるが、シルビアもその例に漏れず、奇数型式がヒット、偶数が低迷している。

 歴代シルビアで大ヒット作となった5代目シルビア(S13)の後を受けて1993年に登場。イメージはS13を踏襲していたが、年齢を重ねたオーナーからの乗り換えを考え、1ランク上の大人っぽい落ち着いた雰囲気のクーペに仕上げられていた。

 また、その当時の日産のスポーツカーのデザインは丸みを帯びたエレガントなスタイルが多く、シャープで軽快、スポーティな印象は薄れた。3ナンバー化したことで多少の嫌悪感はあったものの、思うように売れなかった大きな原因は、ユーザーのシルビア像と乖離したデザインと重量増、スポーティさに欠ける室内デザイン、バブル崩壊の影響を受けたチープな部品類、スポーツカーとしては物足りないパフォーマンス面(他社が280psに到達している時代に220psでは足りない)にあったと思う。

 バブル崩壊の影響とクルマの多様化の影響はあったが、販売台数はS13の半分以下。そのため、不評だったデザインをマイナーチェンジで大刷新。フロントマスクは精悍な吊り目となり、バンパーも立体的なデザインになるなどキャラクターを変えている。それほど販売台数は低迷したのだ。そのためか、7代目のS15では5ナンバー枠に戻されている。

 ただ、全幅の拡大はより幅広いホイールがそのままで履け、パワートレインは同じなのでチューニングベースとしては次の世代のS15よりも優れている。R33スカイラインとともに実力はあるが、高く評価されないスポーツカーとして名を連ねている。

ホンダ・シビック(8代目)
 ホンダの基幹モデルとして1972年に誕生したシビック。スポーツハッチの代表作として数多くの名車を生んできたが、雲行きが怪しくなってきたのは2000年に登場した7代目あたりから。看板であった3ドアハッチが消え、5ドアハッチと4ドアセダンのみの設定となり、スポーツイメージを払拭し、ハイブリッドカーを設定するなどデザインを含めて次世代のスタンダードカーを目指した。

 だが、これが既存ユーザーから大不評。3ドアはイギリス仕様のタイプRのみとなり、排気量は2Lと事実上インテグラグラタイプRの兄弟車のような位置づけ。独自性が薄れ、これまでのハッチバックユーザーの大多数は行き場を失った。
 シビックユーザーとの乖離が明らかとなったのは2005年に登場した8代目で、国内におけるボディバリエーションは4ドアセダンのみとなり、3ナンバー化。ホンダも「シビックはベーシックカーからミドルクラスへ移行する」と明言。

 初代から続いてきたコンパクトカーの役割はフィットに受け継がれ、海外に軸足を置いたモデルとなったことでシビック離れが加速。9代目ではタイプR以外、国内販売を止めるという異常事態を引き起こした。

トヨタ・イスト(2代目)
 1999年登場のヴィッツの新世代プラットフォームを使った兄弟車(プラッツ、ファンカーゴ、bB)の最後を飾ったのが2002年にデビューした初代イストだった。

 クロスオーバーという立ち位置であったが、見た目はヴィッツよりもちょっと大きくて、スポーティなハッチバックという印象で、ブリスター風の力強いフェンダーデザインと切れ長なライトがカッコよかった。2002年には1カ月4万台以上を記録するほどのヒット作となった。翌年にはサイオンxAとして北米に投入され、こちらでも上々の人気を博したことが、イストの運命を変えることなる。

 2007年に登場した2代目イストは国内ではなく、海外での販売を意識したデザインへとモデルチェンジ。マッシブな雰囲気は共通だが、スポーティな初代とは異なり、SUVチックな力強い方向転換。さらに北米のニーズを取り入れ、ボディを3ナンバー(1725mm)へと拡大したのが致命的で命取りになった。

 Bセグメントでも3ナンバー車が出ている今なら問題ないサイズだが、国内では5ナンバーのコンパクトハッチしか存在しなかった14年前だけに、ユーザーも受け入れがたかった可能性は否めない。

マツダ・クロノス
 バブル期の好景気に乗じたマツダチャンネル多角化、税制改編を受けたボディ拡大路線の基幹モデルであるクロノス。先代はマツダ伝統セダンのカペラであったが、3ナンバー化高級路線を目指すがゆえ、名前刷新を断行した。

 兄弟車にはアンフィニのMS-6、MS-8、マツダのMX-6、オートザムのクレフ、ユーノスの500と5車種もが存在した。ユーノス500以外はすべて3ナンバーサイズ(1770mm)を採用し、エンジンも1.8Lから2.5Lまで設定されるなど、まさにイケイケどんどんであった。

 ただし当時のマツダが採用していた柔らかい曲線で構成されたボリューム感ある内外装デザインは、ボクシーなスタイルが多かったセダンマーケットでの鮮度は高かった。だが、保守的なユーザーが多いのか、人気を獲得するまでには至らなかった。

 また、車名を変えたことで既存のカペラユーザーの支持を得られず、丸みのあるデザインで思ったより室内が広くないなどの不評もあり、深刻な販売不振に陥ってしまった。そのため、打開策としてマツダはわずか9カ月でカペラを開発し、1994年に復活投入。快適装備を備えながら価格を抑えた5ナンバーモデルとして底辺を支えるテコ入れをする事態にまで発展した。3ナンバー&高級路線はバブル崩壊とともにあえなく崩壊。先駆けた三菱のディアマンテのように爆発的ヒットとはならなかった。

ホンダ・アコード(5代目)
 シビックの上級車種として1976年に登場したアコード。世界120カ国以上で販売されているホンダの主力車種で、最新の環境性能や革新性を備えたモデルだが、セダンの人気の低迷を差し引いても日本では存在感が薄い。1985年に登場した3代目はリトラクタブルヘッドライトを採用したスポーティデザイン、FFとしては世界初となる4輪ダブルウィッシュボーンサスを採用するなど先進的なセダンとしてシビックとともに国内販売を支えた。

 大きな転換期となったのは1993年登場の5代目。こちらも上記のクロノス同様に5ナンバーに対する税制不利が撤廃されたことで、3ナンバー人気が盛り上がったことで、これ幸い(と思ったかは確かではないが)と開発の合理化もかねて、国内仕様と北米仕様のボディを共通化。3ナンバーの高級化路線に便乗した。

 4代目よりも流麗なフォルムで、エンジンも初のVTEC採用。モータースポーツに参戦するなど3代目のようなスポーティセダンを押し出したが、ユーザーには受け入れられず売れ行きは下降線をたどる。もともと熱狂的なファンが多いホンダ。乗り味も含めてやや大味になり、国内が見捨てられたと感じてもおかしくない。

 また、同じ車台を使ったミニバンのオデッセイが大ヒットとなり、ファミリーカーがミニバンへと移行したのも低迷に拍車をかけた。6代目では5ナンバーに戻したことで販売台数が持ち直したが、7代目以降は国内のセダン離れが著しく海外シフトへの色をより濃くしていくこととなる。
山崎真一

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