野球とサッカー、監督人材の違い

サッカー界って、Jリーグのコトを言ってる?Jリーグって、ライセンスによる監督ギルドがある。有名選手がスッとなれないように、研修講習テストを課しているハズ。

有名選手やスター選手にとって、そんなコト課されるのは心外だし面倒クサい。そんなコトしてまで、監督になどなる気はない。有名選手やスター選手なら、解説者やコメンテーターなどの仕事は来る。

日本リーグやJリーグでの監督連中にとって、後から来るヒトになるべくフタをして、なかなかなれない仕組にしてある。

まだ前園すらなれない。

この記事、そういう内情を伏せて書いてある。

野球は、どんな選手であっても有名選手やスター選手でなくても、なれる可能性がある。何のチェックもない。

 

 

 

 

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なぜサッカー界には“新庄剛志のような監督”がいない? 野球との違いと指導者育成の問題点「カズさんやゴンさんが監督になっても…」
12/1(水) 17:11 Yahoo!ニュース
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11月30日のファンフェスティバルにて、新庄剛志は純白のランボルギーニカウンタックで札幌ドームに登場。サッカー界ではなかなか想像できない光景だ photograph by JIJI PRESS
日本ハムの監督に就任して以降、華やかなビジュアルと独創的な“新庄語録”の数々で、ファンやメディアの注目を一身に集めているビッグボスこと新庄剛志。一方、日本のサッカー界に目を向けると、少なくとも話題性という観点では比肩しうる存在は見当たらない。なぜサッカー界には“新庄剛志級”のインパクトを持つ監督が生まれないのか。『サッカーマガジン』元編集長で本誌『Number』にもたびたび寄稿する北條聡氏に話を聞いた。

【写真】「新庄劇場」に対抗できるサッカー界のスターは? 今も現役のカズ、クールなヒデ、監督なのに上手すぎるピクシーらの秘蔵ショットをまとめて見る

 まず前提として強調しておきたいのは、野球界とサッカー界では業界のルールそのものがまったく異なるということです。わかりやすく言えば、サッカー界は「弱肉強食」の傾向が非常に強い。日本のトップリーグを比較すると、サッカーは全18チーム(2021年は全20チーム)の1リーグ制ですが、野球はそれぞれ6チームの2リーグ制。そしてサッカーには昇降格制度がありますが、野球に関してはそれがありません。

 サッカーの場合、降格した場合は上のカテゴリに選手を持っていかれ、スポンサーも離れてしまうという大きなリスクがあります。クラブにとって、このダメージは計り知れません。ありえない仮定ではありますが、プロ野球が「最下位のチームは社会人野球や独立リーグのチームと入れ替え」という制度になったとしたら、蜂の巣をつついたような騒ぎになりますよね(笑)。どんな形にせよ競争が激化すれば、下位に沈むことを避けるために監督選びの基準もよりシビアになるのではないか、というのが僕の考え方です。

降格すればレジェンドにも容赦のない批判が…
 選手の獲得に関しても、野球はドラフトによって戦力の均衡を図っています。しかしサッカーは完全な自由競争なので、富めるものはますます富んでいく構造です。野球はFA権を取得するまで時間がかかりますが、サッカーにはそういったルールもないので、将来の主力として期待していた選手がごっそりと抜けてしまうこともある。シーズンの途中に三笘薫、田中碧という日本代表クラスの選手が海外移籍した今年の川崎フロンターレがある意味で典型ですね。

 そんな状況でJ1連覇を果たしたフロンターレは見事でしたが、もし監督の力量が足りないチーム、あるいはフロントの補強が手ぬるいチームであれば、確実にクラブとして失速していたと思います。主力選手の流出というのはそれくらい大きな痛手です。競争環境がそもそも厳しいサッカー界においては、集客力やキャラクターの強さの前に、まず「勝たせる力を持っているか否か」が監督の選定基準になっているのは間違いないでしょう。

 新庄さんの監督としての力量が未知数であることを前提に話をしますが、仮に日本ハムが来シーズン負け続けて最下位になったとしても、その次のシーズンも戦力を維持したまま6位から上を目指すことができます。かたやサッカーのクラブはどれだけ集客力のある監督を連れてきても、降格してしまったら同じ状況では戦えない。野球界の監督業が楽だとは決して思いませんし、あくまでも一般論ですが、負けることのリスクの大きさがサッカー界における監督選びのシビアさ、いわゆる“タレント的な監督”が生まれにくい状況につながっていると考えられます。

 野球もサッカーもプロの興行である以上、お客さんを集めるのはもちろん重要なポイントです。しかしサッカーの場合は、負けたときに持続可能性がなくなってしまう。たとえばカズさん(三浦知良)やゴンさん(中山雅史)が監督になったら、否が応でも注目は集まりますし、試合を見に行きたいと思う人はたくさんいるでしょう。短期的にはそれでいいかもしれませんが、もし降格でもしようものなら、クラブは取り返しのつかないダメージを負うことになります。また過去の例を見ればわかるように、サッカー界やクラブのレジェンドであっても、監督として結果を出せなければサポーターの手厳しい批判に晒されることは避けられません。

サッカー界の主流は「大抜擢」よりも「叩き上げ」
 海外のサッカー界では、カリスマと卓越した手腕を兼ね備えた監督たちが活躍しています。その代表格であるジョゼップ・グアルディオラ(マンチェスター・シティ)は選手時代も名手として知られていましたが、一方で選手としては実績のない人物でも監督として開花する例が多いのが最近の傾向です。その嚆矢となったのが、組織的なプレッシングを戦術として浸透させたアリゴ・サッキ(元ACミランなど)でしょう。プロ選手としてのキャリアがなく、靴のセールスマンから監督になったサッキは「騎手になるために、馬に生まれる必要はない」という名言を残しました。

 ジョゼ・モウリーニョ(ローマ)も圧倒的な実績と強烈なキャラクターを兼ね備えた監督ですが、通訳からキャリアを積んでいったことはよく知られています。またこのところ活躍が目立つドイツ出身の監督たち、たとえばユルゲン・クロップ(リバプール)、トーマス・トゥヘル(チェルシー)、ハンジ・フリック(ドイツ代表)、ユリアン・ナーゲルスマン(バイエルン・ミュンヘン)といった面々は、現役時代に必ずしもトップクラスの選手ではありませんでした。それでも、ユースチームや下位カテゴリでの経験を経て評価を確立した。選手から即監督に就任して成功しているケースもありますが、やはり指導者としての確かな手腕が認められてステップアップしていくのが、現代サッカーの主流だと言えます。

 もちろんプロ野球の新庄さんや立浪和義さんのように、いきなり監督に抜擢されるケースが間違いというわけではありません。新庄さんは就任会見で「優勝なんて目指しません」と口にしましたが、昇降格がない以上、勝てなかったとしても常にスタジアムが満員になるのなら、プロの興行として正解だと思います。一定の成績が求められるのは当然としても、「優勝するけど面白い選手がいない」「試合内容が退屈」と言われるよりは、エンターテイメントに徹するのもひとつの方法なのかもしれません。

 また野球に関しては『マネー・ボール』の題材にもなったセイバーメトリクスによる分析や、スタットキャスト(ボールや選手の動きの解析ツール)の導入による「フライボール革命」など、データの解析と活用が一般的になるに従って、監督が采配を振るう環境そのものが変わってきている印象もあります。指揮官のイデオロギー以上に、アナリストが導き出した“最適解”が重視されるのなら、逆説的に新庄さんのような求心力に優れたモチベーターであることが重要な資質になっていくのではないでしょうか。

指導者として期待したい元日本代表MFとは?
 むしろ国内のサッカーを見ていて気になるのは、海外のように“叩き上げ”の指導者をしっかりと評価できているのか、という点です。本当にシビアな観点から監督を選べているのか、元代表選手というだけで過大評価していないか、と。数少ない監督のポストをめぐって健全な競争が行われ、下位カテゴリやユースで結果を残した指導者を起用する……といったサイクルを、これまでの日本のサッカー界はうまく回せていなかったと感じています。

 あらためて言うまでもなく、サッカーにおいて監督は非常に重要なポストであり、好結果を残すためにはさまざまな資質が求められます。だからこそ、代表歴の有無によるバイアスや、縁故採用のような人事はあってはならない。人事権を持つ方々には、今後の日本サッカーのために「既得権益を分配する」という意識を持ってほしいと思います。

 “叩き上げ”に限らず、代表クラスの有名選手にも指導者として期待している人はいます。たとえば昨シーズンに引退した中村憲剛さんや、ジュビロ磐田遠藤保仁選手は、プレーのビジョンや豊富な経験、現代サッカーへの理解度の高さなど、監督として成功する要素を兼ね備えている。グアルディオラディエゴ・シメオネ(アトレティコ・マドリー)をはじめ、現役時代に中盤でプレーしていた選手が名監督になる例が多いという世界的な傾向も、彼らの成功に期待したい理由のひとつです。

 また、このところ若くして海外でコーチとしての経験を積み、ライセンスの取得を目指す指導者も増えてきています。選手だけでなく、最先端のメソッドを学んでいる指導者の“海外組”をうまく登用できれば、間違いなく全体のレベルは上がるはずです。

「カリスマ」は作れるものではない
 どのジャンルでもそうだと思いますが、強烈な個性や人間的な魅力を持つカリスマ的な指導者というのは、作ろうと思って作れるものではありません。健全な競争を勝ち抜いて目覚ましい成果を残せば、自然とそうなるものだと思います。それは必ずしも日本代表の元スター選手でなくてもいい。たとえばイビチャ・オシムさんの含蓄ある言葉の数々がサッカー界を超えて話題になったのも、やはり監督としてそれだけの実績を残した方だからでしょう。

 プロ野球界の“名監督”と呼ばれる人にしても、広岡達朗さんや野村克也さん、森祇晶さんなどは、かつての「ON」に比べれば選手としては地味な存在だったはずです。そもそも新庄さんほど華のある存在は野球界にもなかなかいないでしょうし、間違いなく作ろうと思って作れるものではない(笑)。それでも、規格外の個性を許容するだけでなく、思い切って監督にまで据えてしまうところが、エンターテイメントとしての野球の懐の深さなのかもしれませんね。

(構成・曹宇鉉)
(「Number Ex」北條聡 = 文)

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