ランボルギーニ・ミウラ、高性能ミドシップの幕開け!

当時、フェラーリデイトナを出し、高性能ミドシップ市販にはまだまだ時間がかかった。

J・P・ダラーラフェラーリにいたが、K・キティーやJ・ピッザリーニらと共にエンツオから追われ、ランボルギーニの仕事をするコトになった。カレ自身、レーシングカーをやりたかったが、フルッチオにその気はない。まず、レースにも使えそうな高性能車を出そうと考えた。フォードGT40をモチーフに、横置4リッターV12ミドシップ、ボディー架装してないTP400シャシートリノショーに展示した。

それまでのランボルギーニにボディー架装していた、カロッツェリア・ツーリングがツブれ、G・ジウジアーロ退社したベルトーネが名乗りを上げた。新任のM・ガンディーニが、あの独特なボディーをデザインした。

ミウラの車高は低く、ミドシップでフロントも低い。当時の馬力&トルクを活かし、最高速度280キロを標榜した。初期モデルは350馬力だったが、377馬力を超せば300キロを可能になるグラフをカタログに載せていた。

ダラーラとB・ウォレスはレーシングカーを作りたくて、"ミウラのクレーム対策"と称して、事故車で返されたミウラを使い"J(イオタ)"に着手した。オイルラインやディメンジョン変更など、ソコでの改造成果は、"S"や"SV"に活かされた。一方、フルッチオはJの意図を知り、売り捌いてしまった。ダラーラは出て行き、スタンツァーニが後任になり、ミウラ後継車開発に着手した。ウォレスには、新型V12ミドシップ開発を充てがった。

 

 

 

 

 

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時代の最高速モデル 1960年代 ランボルギーニミウラP400 初のスーパーカーで280km/h
4/23(土) 7:05 Yahoo!ニュース
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スーパーカーと呼ばれた世界初のクルマ
 
ランボルギーニミウラ P400(1966~1969年/欧州仕様)
近年は、週末の国道ですれ違うことも珍しくないスーパーカー。その言葉の響きには、特別感が薄れてしまったように思える。

【写真】1960年代と1970年代の最速 ランボルギーニミウラとフェラーリ365 GT4 BB (62枚)

1966年に姿を表したランボルギーニミウラP400は、おそらく、スーパーカーと呼ばれた世界初のクルマだった。当時の量産車にとっては非現実的な、時速174マイル(280.0km/h)を実現していた。

スポーツカー・メーカーとして、ランボルギーニ初の量産モデルとなったのが350GT。ライバル視していたエンツォ・フェラーリ氏が生み出す、フロントエンジン・リアドライブのグランドツアラーへ対抗できる美しい2ドアクーペだった。

だが、ジャンパオロ・ダラーラ氏が率いる若き技術者チームは、もっと新しいアイデアを温めていた。ル・マン24時間レースを戦った、フォードGT40やポルシェ904といったミドシップ・レーサーへ関心を寄せていた。

そんなダラーラは、フェラーリに先駆けてミドシップ・モデルに取り組むべきだと、フェルッチオ・ランボルギーニ氏を説得。名前をまだ持たない、次期モデルの開発をスタートさせた。

走行可能なスチール製ローリングシャシーが完成したのは、1965年。トリノ・モーターショーで、センセーショナルに発表された。350GTの後継モデル、400GT譲りのV12エンジンは、従来とは異なりシャシーの中央へ横向きに搭載されていた。

エンツォを嫉妬させるほど美しいボディ
 
ランボルギーニミウラ P400(1966~1969年/欧州仕様)
バンク角60度の3929cc V型12気筒を設計したのは、ジオット・ビッツァリーニ氏。重量のかさむエンジンがクルマの中心に置かれることで、シャープな操縦性を獲得するとともに、ボディ後端には小さな荷室を用意することも可能としていた。

準備するべき宿題は、エンツォを嫉妬させるほどの美しいボディ。そのスタイリングを請け負ったのが、カロッツエリアのベルトーネ社だ。プロジェクト・リーダーには若干25才のデザイナー、マルチェロ・ガンディーニ氏が指名された。

リトラクタブル・ヘッドライトの前後にまつ毛のようなフィンが並び、ボンネットから滑らかに立ち上がるフロントガラス。ブラインドのようにスリットの入ったエンジンカバーは、後方視界の確保と、エンジンの放熱性を両立させていた。

そんな宇宙船のようなランボルギーニが正式発表されたのは、1966年のジュネーブ・モーターショー。ミウラという名前も与えられた。

当時の高性能モデルといえば、角を丸めた流線型が意識されていた程度。スーパーカーの雛形といえるような低くシャープなフォルムは、観衆へ相当な衝撃を与えたに違いない。

ボディの全高は、わずか1050mm。そのデザインは、路上をどんなクルマより高速で移動できることにフォーカスされていた。

すべての高さが低いミウ
 
ランボルギーニミウラ P400(1966~1969年/欧州仕様)
ミウラがレーシングカーになることはなかったものの、ランボルギーニモータースポーツとの結びつきを表明するべく、用意されたイベントの1つが1966年のモナコ・グランプリでのデモ走行。

同社のテストドライバー、ボブ・ウォレス氏が運転席に座り、VIPゲストやメディア関係者が助手席に乗車。サーキットを周回してみせた。

ミウラの量産は1967年にスタート。ランボルギーニが主張した、280km/hという速度に疑問はなかった。初期のプレス用車両をテストしたモーター誌でも、時速171マイル(275.2km/h)を記録している。

しかし、最高速付近でフロントが浮き上がろうとする特性には、否定的な意見が生まれた。その問題を解決したのが、1971年のミウラP400 SV。安定性を高めるため、リア・サスペンションを上げ、フロント側が下げられていた。

今回ご登場いただいたのは、1967年式のミウラP400。ドライバーズシートへ座ると、筆者はその高速域での特性を思い出してしまう。

ほぼオレンジ色のロッソ・ミウラと呼ばれるボディカラーが、太陽に照らされ鮮やかに輝く。約180cmの身長の筆者がブラック・レザーのシートに腰を下ろしても、窮屈には感じられない。頭上には5cm程しか余裕はないが。

スーパーカーらしく、すべてが低い。ドライバーの正面には、大きなレブカウンターと320km/hまで振られたスピードメーターが並ぶ。センターコンソールには、6枚の補助メーター。センターコンソールから、オープンゲートのシフトレバーが伸びる。

355psを放つV型12気筒が支配
 
ランボルギーニミウラ P400(1966~1969年/欧州仕様)
イグニッションを回し、燃料ポンプが無鉛ハイオクをエンジンへ送るのを待つ。始動させると、グランプリ・マシンから持ってきたような、多気筒サウンドが車内を充満した。

右後方には、4基の3バレル・ウェーバー・キャブレターがそびえている。アクセルペダルを軽く煽ると、揺れるのが見える。ミウラのすべてが、355psを放つV型12気筒に支配されている。

運転には、かなり体を使う。3スポークのステアリングホイールは、腕を伸ばさないと届かない。フロアにマウントされた3枚のペダルは、しっかりオフセットしていてストロークが長い。

俳優のロッサノ・ブラッツィ氏は、映画「ミニミニ大作戦(イタリアン・ジョブ)」でクールに運転しているが、筆者には難しい。しかしストレートで加速させれば、人間工学的な不満も忘れてしまう。

5速MTのギアノイズが、回転数の上昇とともにエンジンノイズと競い合うように高まる。右利きの筆者にピッタリのシフトレバーを操り、ヒール&トウを決める。感触は正確だ。

英国で許されるような速度域では、空力的な不安は微塵もない。低く滑らかなミウラは、路面に張り付くように安定して走る。高速コーナーでも、ボディはフラットなままだ。

ドライビング体験の鮮烈さで順位をつけるなら、今回の10台でランボルギーニミウラが最上位に食い込む。世界初のスーパーなクルマは、今でも間違いなくスーパーだった。

協力:サイモン・ドラブル・カー社

ランボルギーニミウラ P400(1966~1969年/欧州仕様)のスペック
英国価格:9529ポンド(1966年時)/100万ポンド(約1億6000万円)以下(現在)
生産台数:275台
最高速度:280.0km/h
0-97km/h加速:6.7秒
車両重量:1292kg
パワートレイン:V型12気筒3929cc自然吸気
使用燃料:ガソリン
最高出力:355ps/7000rpm
最大トルク:41.4kg-m/5500rpm
ギアボックス:5速マニュアル
サイモン・テイラー(執筆) オルガン・コーダル(撮影) マックス・エドレストン(撮影) 中嶋健治(翻訳)

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