初代NSX、今更、崇める必要はない!

ホンダ初代NSX、もう40年以上経つ。今更、飾り立て崇め奉る必要があるのか?こういう記事を書くライター、もしモータージャーナリストや準ずる者なら、キチンと評するべきではないの?

当時、第2期F1でコンストラクターズやドライバーズタイトルを手にしつつあった。ソコで、サーキットと言わずイベント会場と言わず、このクルマから、散々にデモカー出してファンやマスコミの期待を煽り膨らませ、実際に市販されるモノは並という、ホンダの"出す出す詐欺"が始まったのだ!

ある時は中嶋悟、ある時はA・セナなど、鈴鹿デモランなど行い、エンジンやシャシーなどリクエストを受けた。87年シーズン終了後、第2期F1ホンダ総監督桜井淑敏サンを市販車開発に異動させた。カレは、「ホンダがやる以上、フェラーリやポルシェをブッちぎる!」と宣言した。もちろん、F1で88年までのV6ツインターボや89年からのV10、91年から採用のV12、F3000無限のV8辺りを期待した。

しかし、桜井サンは数ヶ月せずにひっそりとホンダを辞めていた。暗雲がタレ込めた。

出て来たクルマは、誰も望みもしないペラペラ総アルミ車体にV6横置。"フェラーリやポルシェにブッちぎられる"クルマだった。

レースユースの想定もなかった。オールアルミでは、元々設定剛性も低く、必須の鉄のロールケージを溶接もできない。

日本自動車メーカーとしては、オートバイもやっている会社なのだ。F40や959に勝つクルマを作るには、鋼管フレーム&FRPカウルに500馬力のV6ツインターボしかないと思っていた。

この時期、本田宗一郎も実質引退91年に亡くなる。ホンダが好きでもクルマが好きでもない経営者達に、会社もイメージも食いツブされ、"出す出す詐欺"を繰り返す"始まりのクルマ"になったのだ。

二輪も94年以降は四輪に倣う、出す出す詐欺になった。

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800万円で国産スーパーカーが買えた! 初代NSXにかけた熱すぎるホンダのこだわりとは
2022/06/21 16:02 Auto Messe Web23

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1990年に発売されたスーパースポーツカー「NSX

初代ホンダNSXのデビューは、1990年9月、今からもう32年も前のことになる。その前年の1989年2月、「コードネームNS-X(ニュー・スポーツ-X)」の名でシカゴ・オートショーにてワールドプレミアを果たし、同年6月にはF1カナダGPでオフィシャルカーとして登場。それから、市販版のNSXが登場する運びとなった。

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高いパフォーマンスと志を示した「天の川チャート」

NSXはもともと北米のアキュラチャネルからの要望もあり、FF量産車とF1を繋ぐ、ホンダのイメージリーダーになるべく生み出されたスポーツカーで、ホンダでは1985年秋から研究開発が進められていたという。縦軸をパワーウエイトレシオ、横軸を「ホイールベースウエイトレシオ」としたユニークな「天の川チャート」で、当時の世界のスポーツカーをプロット。そこから「人間の運転技術とクルマの性能が拮抗する、ミドル級でミッドシップのクルマ」として、動力性能と運動性能を高度に両立しうる新たな目標を設定した。発売まで、じつに6年半ものあいだ研究・開発に時間を費やしたという。

ホンダといえば、1963年に4輪市販車として「2番目」に市場投入したのがオープン2シーターの「ホンダS500」(1番目は軽トラのT360)であり、その翌年の1964年にはF1ドイツGPに初参戦している。そんな社風からすれば、ビークルダイナミクスを極めたスポーツカーのNSXの誕生は、まったく不思議なことではなかった。しかし、そこはホンダらしく、新時代のスポーツカーとして「過去に例のない、新しい考えと新しい性能をもったスポーツカーを創造したい」(広報資料より)の思いを貫き、完成にこぎつけたのが、初代のNSXだった。

市販直前にエンジンをDOHC VTEC化して設計変更

とはいえ開発ストーリーをひも解いてみれば、NSXがいかにこだわりまくりで開発されたかがあらためてわかる。プロトタイプのNS-Xがシカゴ・オートショー会場に姿を現したのは1989年2月のことだったが、じつはこのときすでに(その直前に)搭載エンジンを換えるという設計変更が決まったのだった。

NS-Xには当時のレジェンドのエンジンをベースとした3LのSOHC・V6が搭載されていたが、それがDOHCのVTEC化して市販モデルのNSXに搭載することになったのだ。当然、NS-XからNSXへの「設変」はただごとではなく、DOHC VTECとなったC30A型搭載のために、エンジンそのものを後方に5度傾斜させたほか、なんとホイールベースも30mm延長し2530mmに。必然的にそのほかにもクルマ全体にわたる手直しも実施されるなど、NS-XとNSXとでは、見た限りの違いはごくわずかだったが、実際にはそういった壮大な工程を経ていたのだった。

技術的なこだわりをクールに語りかけるカタログ

とはいえ実際のカタログでは、そういったエピソードは語られておらず、エンジンにしても、パーツを分解した美しい写真とともに、説明文ではVTECの作動説明、共鳴チャンバー容量切り替えインマニシステム作動説明や、トルク特性やミッドシップならではのクーリングシステムの話。さらにニッケルクロムモリブデン鋼採用のカムシャフト、超軽量チタンコンロッド、マグネシウム製ヘッドカバー、インマニチャンバー、インマニトップカバーといった語彙が並ぶ。

ちなみにスペックは当時の自然吸気エンジンでは最高峰の最高出力280ps/7300rpm、最大トルク30.0kg-m/5400rpm(どちらもネット値)、リッターあたりトルク10.1kg-m、パワーウエイトレシオ4.82(5速MT車)といったところが、文中にさらっと記述されている。

ダイナミック性能の基礎となったオールアルミ製ボディ

それとNSXといえば、オールアルミニウム製ボディの採用は外せない話だ。5速MT車で1350kgの車重、ホワイトボディで210kgという軽量・高剛性ボディは、NSXのダイナミック性能を支える、文字どおりの基礎だった。6000系アルミを用いた押し出し成形のサイドシルなど、素材、工法にもさまざまなノウハウが投入されたほか、ルーフ部以外のアウターパネルは組み付け式としサービス、メンテナンス性にも配慮するなどしていた点も見逃せない。全周視界角度311.8度と、スーパースポーツカーとしては異例の視界のよさもNSXの新しさだった。またアルミは、サスペンションを構成する主要部品の80%にも採用されていた。

速くて気持ちよくて乗りやすい、理想のスポーツカー

初代NSXが登場してすぐに、注目車につき過密な貸し出しスケジュールの中、たしか筆者は撮影を兼ねて1泊だけ広報車を借り受けた。そしてクルマ好きの友人を誘い、深夜の東名高速を東京から西に向かって走らせた。そのときに、とにかく胸のすくエンジンフィールとプレリュードのような乗りやすさに感動した覚えがある。逆算すると友人も筆者も30代になったころで「いつかこんなクルマを持ちたいよね」「そうだね」といった会話を交わしたような気がする。

当初の希望小売価格は5速MT車で800万円、4速AT車で860万円。たとえば当時のフェラーリ438tbが1650万円、ポルシェ911カレラ2(964)が1035万円ほど。立ち上がりでは納車3年待ちなどと言われたようだったが、NSXの魅力と価値が理解できたオーナーにはバーゲンプライスだったはずだ。

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