カネだけ持ってて、自らで学ぶコトなく、景気良さそうな受け売りばかりの私大出身モータージャーナリストの言葉がいっぱい並んでる。
そもそも、エンツオ死後のフェラーリ、芸術品などではサラサラない。クルマ作りのフィロソフィーは消し飛び、単なる生産効率悪さや、加工精度品質悪さを商品回転やサービス顧客に置き換えた、フィアット主導の高額不良品商売だ。高額棺桶になるかも知れないのだし。
だから、高額商品でも高速車両でも、何の気後れも要らない。安全のため、保全のため、安定性快適性のため、手を加えれば良いのだ。
フェラーリ様?ランボルギーニ様?今は高級フィアットや高級VW/高級アウディーでしかない。
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芸術への冒涜か? スーパーカーとて単なるクルマか? フェラーリ様やランボ様を「イジる」行為はアリかナシかオーナーが決着
7/8(金) 10:00 Yahoo!ニュース
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オリジナルで乗ろうがカスタムしようがそれはオーナーの自由だ
清水草一さんとフェラーリ360モデナ
編集部から、またまた無遠慮な質問が届いた。
「芸術品のフェラーリ様をイジるとかいいんでしょうか?」
【写真】フェラーリ328と美女!
むむっ。
「フェラーリに限らず、スーパーカーのカスタムってアリなんですか」
その口ぶり(メールだけど)には、明らかに「邪道だろ!」というニュアンスが感じられた。クルマを自分のものにした以上、なにをどうしようと本人の勝手だ。違法でない限り、誰に文句をつけられる筋合いでもなかろう!
が、時代の流れは明らかにオリジナル優位。カスタムは「芸術品をメチャクチャにする行為」という雰囲気になっている。その背景には、現代のスーパーカーの出来があまりにも完璧になり、カスタムしても性能の向上はまず考えられないどころか、「絶対性能落ちてるだろ!」と推測されるという事実がある。
が、昔……というより、20世紀中はそうじゃなかった。たとえばフェラーリにしても、360モデナまでは明らかに設計段階の欠陥があり、それを直してちゃんと走るようにするという作業は、間違いなく正義だった(と個人的には信じる)。
モデナの欠陥は、主に空力にあった。フェラーリの市販車として初めて本格的なリヤディフューザーを装備し、高速域で大きなダウンフォースを得たはずなのに、高速域でリヤがフラフラして無茶苦茶怖い。いったいこれはどういうこと?
対策として、まずは手っ取り早く「リヤの車高を下げる」から手を付け、続いてスプリングとダンパーを信頼できるファクトリーに特注して交換。ノーマルよりしなやかに動く足を得たことで、走りは見違えるように安定したが、それでも超高速域では不安定だったので、最後の手段として、エアダムやディフューザーなどの空力パーツを、チャレンジストラダーレ(360モデナの限定軽量レーシングモデル)と同じ形状のもの(中国製のパチもん)に交換し、完璧な仕上がりとなった。
フェラーリ本社も、360モデナの空力には問題があったことを認めたからこそ、チャレストの空力パーツ形状を変更したに違いない。
モデナに関しては、何度かホイールも交換したし、サーキット走行中に油温が上がることから、ワンオフでオイルクーラーを付けたり、ブレーキをチューンしたり、そこそこのカスタムを行ったが、すべては「愛車をちゃんとしたクルマに仕上げたい!」という、激しい情熱の成せる技だった(最終完成形はかなり地味)。
といっても、こんなことをやるオーナーは滅多にいない。多くのカスタムは見た目優先で、性能なんてあまり考えてない。カスタムというのは基本的にそういうもので、それはそれでいいのではないか? 個人的には、ギトギトの改造は趣味じゃないが、あくまで個人の趣味の問題。前述のように、人にどうこう言われる筋合いじゃない。
スーパーカーをカスタムすると、下取りが下がってしまうという現実は確かにある。個人の趣味でギトギトになったスーパーカーは、夜の世界に身を落としたような香りが漂う。ただ、人気のあるファクトリーによるコンプリートカーならば、一定のファンはいるので、値段が下がらないケースもある。
しかしそれも、20世紀製あたりまでだろうか? 21世紀以降のスーパーカーは、最初から性能も武装感も十分だし、メーカー純正のカスタマイゼーションプログラムも充実。個人が後付けでカスタムする余地は、どんどん狭まっている。私も458イタリアには改善する余地をまったく見つけられませんでした。
ただ個人的には、人生を捨てる覚悟で手に入れたフェラーリなどのスーパーカーを、そのまんまツルシで後生大事に乗っていてそれでいいのか!? という思いはある。何か多少は、自分好みの色に染めたくはないだろうか。
私の場合、初期型348tbと360モデナという、設計段階で欠陥のあるモデルに出会ったことで、その欲望が全開になり、「まともに走るようにするカイゼンカスタム」に心血を注ぐことができて、とてもシアワセだった。その余地がまったくないスーパーカーは、「買って乗るだけ」しかできないので、なにかちょっと寂しい。
現在所有するフェラーリ328の場合、ホイールを変えただけで、ものすごく下品になってしまったりする。だからいじる予定はゼロ。現状で300%満足しているが、それは、加齢による欲望の「枯れ」による部分が大きい。
清水草一
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