FD型RX7、この頃から3ローターの話はあったが・・・。

SA⇒FC⇒FDと続いたRX7、ロータリーエンジンとしては、殆どのレースカテゴリーからは排除されていた存在。日本メーカー初の、しかもロータリーによるル・マン制覇はバカな主催者の"最後だから"に依るBOPお目こぼしのおかげだった。

FC以降、"とにかく良い市販車を造る"コトしかなくなったマツダ。FCで、最高の5ナンバースポーツカーはデキた。ならば、次にやるべきコトは決まっていたハズ。次も最高の5ナンバースポーツカーを煮詰めるか、無差別級に討って出るかだ。

FCを継続した2ロータリーなら、5ナンバースポーツカー路線であるべきだった。2ロータリーと他の車種で3或は4ロータリーを並行など苦しい。FDは、車幅3ナンバーになってしまった。

マツダの原価設定の杜撰さは、ココにも表れた。ロードスターに2+2クローズドクーペやセダンの共用車種を設けなかったコト、FDを2ロータリーなのに無差別級の車幅3ナンバーにしつつ、コスモを3ロータリー無差別級に出してしまった。

FDを3ロータリー無差別級スポーツカー、コスモを3ロータリーラグジュアリークーペとして共用し、2ロータリー設けなければ、原価的に遥かにマシだったろう。

個人的には、FDをFCから引き継いだ5ナンバー最強スポーツカーとし、コスモを3ロータリーラグジュアリークーペ、ルーチェを3ロータリーラグジュアリーサルーンにし、皇室使用車を狙って欲しかった。燃費悪かったろうけど、ディアマンテやレジェンドより遥かに良かったハズ。

ル・マンに勝った3ロータリー末裔を皇室使用車にデキたら、スゴかったハズ。

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バブル末期に生まれたマツダFD型「RX-7」の奇跡! ロータリースポーツの傑作は見た目も中身も贅沢の極みだった
8/3(水) 12:11 Yahoo!ニュース
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クルマ好きにトキメキを与えてくれた「FD」
 
3代目RX-7FD3S
「FD(3S型)」。車両型式でそう呼ばれる3代目マツダアンフィニ)「RX-7」の登場は、1991年10月のこと(発売は同年12月)。今からもう31年も前のことになる。初代「サバンナRX-7」がオイルショック後の1978年、センセーショナルに姿を現し、1985年には2代目(FC3S型)にバトンタッチ。いずれも「コスモスポーツ」以来のロータリーエンジン専用搭載スポーツカーとして、マニアからの支持を集めた。それら偉大だった先達2世代の跡を継いで登場したのが、この「FD」だった。

【画像】今も色あせないカッコよさ! FD型RX-7の当時のカタログを見る(全24枚)

開発時のキーワードは「志凛艶昂」
「スポーツカーに、昂る(たかぶる/送り仮名は原文ママ)」。当時のカタログを開くと、真っ白な1ページ目にそんな1行だけが記されているのが目に飛び込んでくる。ちなみに1989年登場のZ32型日産「フェアレディZ」は「スポーツカーに乗ろうと思う」と、ずいぶんと静かなコピーを打ち出してきていて、そのことを意識したのかどうかの確認はしそびれたが、「昂る」に並々ならぬ熱い思いが秘められているのは、誰にも伝わった。
 同じマツダからやはり1989年に登場した初代「ユーノス・ロードスター」が「人馬一体」を掲げていたのに対し、FDでは同じ漢字4文字でもより概念的に「志凛艶昂」をキーワードに開発されたと、当時の資料には記されている。引用しておくと「志」はクルマをとおして造り手の志が明確に感じられること、「凛」はその志を達成するための凛とした割り切りのよさが感じられること、「艶」は思わずひきこまれるような艶めきに満ちていること、そして「昂」は見て、触れて、乗って、あらゆるステージで人の心を昂ぶらせずにはおかないこと、となっている。

ピュアスポーツの名に相応しいメカニズム
 ところでFD3Sというと、1290kg~の軽量ボディに255ps/30.0kg-m(いずれもネット値)のロータリーエンジン、「13B-REW」型シーケンシャルツインターボ(=低速域でそれまでの2倍の過給率、加速性能で約35%の性能向上)を搭載。2000rpmで25.0kg-mのトルクを発生して、最高許容回転数が8000rpmに高められるなどし、654cc×2ローターを基本に、性能に磨きがかけられていた。
 マニュアルトランスミッションは2代目FC3Sターボのそれに2&3速のダブルコーンシンクロ化、新しいシフトリンケージなどを採用している。ロードスターでも採用した、トランスミッションとリヤデフをつなぐ「P.P.F.(パワー・プラント・フレーム)」は、このFD3Sにも採用された。
 サスペンションには前後ともダブルウィッシュボーンを採用。自然でリニアな反応を求め、電子制御や油圧制御を用いなかったのは、マツダの開発エンジニアのこだわりだった。もちろん、ロータリーエンジンのコンパクトさを活かした、初代サバンナRX-7以来のフロントミッドシップは踏襲、前後50:50の重量配分を実現したうえ、車両重心高はFC3Sに対しさらに25mm下げられ、「ゼロ作戦」と呼ぶ、グラム単位の軽量化も実施している。
 そうしたこだわりの施策の積み重ねで5kg/ps以下のパワーウエイトレシオを達成して、「ロータリーエンジン・ベスト・ピュア・スポーツ」のコンセプトを実現したのだった。

見る人を魅了する随一のスタイリング
 FD3Sというと、当然ながらピュアなスポーツカーとしての動力性能および運動性能で、多くのファンの心を掴んだことは言うまでもない。
 だが、見逃せないのが(というよりも最初から十分に「魅了」されていたことだったが)、何といってもひと目見れば目に焼き付いて忘れることができない、ひと際の個性、存在感を発揮したスタイリングだった。全長4295×全幅1760×全高1230mmという3サイズを持つFD3Sはとにかく低く、短いフロントオーバーハングで始まるかなり大胆な3次曲面で構成された薄いアンダーボディと、その上に乗ったギュッと引き締まったキャビンなど、どのアングルから眺めても見応えのあるフォルムをしていた。
 さらによく見れば「エアロウエーブルーフ」や、ヒンジ式で開閉する(FCは並行移動でせり上がる方式だった)専用品のランプユニット、スモークのかかったガーニッシュと一体化したリヤコンビランプなど、ディテールにもこだわりが見られた。
 一方で極めて低いドライビングポジションのインテリアは、ドライバーを中心にデザインされたもの。タコメーターを正面に据えたメーターはクロームのリング付きで、オーセンティックな味わいを醸し出していた。もともとは4名乗りでスタートしているが、「TYPE RZ」、「TYPE RII」などの2シーターモデルも設定。搭載エンジンも最終的に280ps/32.0kg-mにスペックを高めている。
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 2003年4月まで、11年4カ月の販売期間を全うしたのがFD3S型3代目RX-7だった。1970年代初頭のオイルショック後、気骨のあるスポーツカーとして初代が登場して以来、2代目、そしてこの3代目と、つねにその登場はセンセーショナルで、クルマ好きなら気にならないはずはない存在だった。振り返ると、登場の度にいてもたってもいられずにディーラーのショールームに走った……そんなトキメキを覚えたクルマ好きは決して少なくないはずだ。アンフィニ名義だった最初のカタログは、前半は写真で見せ、後半にたっぷりとした文章でRX-7が語られている、マニア心をくすぐる構成だった。
島崎七生人

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