スーパーカーブーム、牽引したのは週刊少年ジャンプ連載の池沢さとし「サーキットの狼」だったし、対抗に週刊少年サンデー連載の村上もとか(「JIN」の作者)「赤いペガサス」だった。「赤いペガサス」は、77年F1を描き切って赤馬研ワールドチャンピオンで連載終了したが、「サーキットの狼」は78年F1に参戦したトコでストーリーにハショリが入り、79年F1で飛鳥ミノル&風吹裕矢同着優勝で打ち切られた。
現実のブーム自体は、クルマの排ガス規制で打ち切りされたようなモノだ。単に、ミーハーで騒いだヒト達のブームが去ったというだけで、自動車メーカーは課題解決に努力し、更に高性能化した。当時は世界中で最高速度300キロを謳えるクルマが僅かだったが、今では日本車でも出て来ている。
*********************************
カウンタックに憧れた!カー消しにコーラの王冠…1970年代に起きた「スーパーカーブーム」って何?
10/8(土) 21:00 Yahoo!ニュース
31
マンガ「サーキットの狼」がブームに火をつけた
1970年代後半、「スーパーカーブーム」と呼ぶ旋風が日本を駆け抜けました。
フェラーリやランボルギーニ、ロータス、ポルシェなどの欧米のハイパフォーマンス・スポーツカーが「スーパーカー」と呼ばれて大人気となったのです。
【画像】懐かしい! あの頃憧れたスーパーカーたちの勇姿を画像で見る(37枚)
ランボルギーニ「カウンタック」
その呼び水となったのが、1975年(昭和50年)より週刊少年ジャンプ誌にて連載が開始された漫画「サーキットの狼」です。
同作品は、主人公の風吹裕矢がライバルと公道やサーキットで競うという内容です。“一匹狼”的に一人で戦う主人公の強さ、登場するスーパーカーのカッコ良さで、小学生や中学生などの子供たちは、すぐに作品の大ファンとなります。
そこでポイントとなったのは、登場するクルマのほとんどが、リアルの存在するモノであったこと。
主人公の愛車となったロータス「ヨーロッパ」やフェラーリ「ディノ」をはじめ、ランボルギーニ「ミウラ」、「イオタ」、「カウンタック」、「ウラッコ」、デ・トマソ「パンテーラ」、ランチア「ストラトス」、ポルシェ「911」など、登場するクルマは、当時の欧米のハイパフォーマンス・スーパースポーツそのものだったのです。
ファンになれば、その対象自体をより知りたくなるし、より見たくなる、欲しくなるもの。そのため、そうしたスーパーカーや輸入車を販売する都市部のカーディーラーに、カメラを抱えた子供たちが大挙して押し寄せる事態となりました。
また、人気にあやかり、「対決!スーパーカークイズ」といったテレビ番組や実写版の「サーキットの狼」の映画なども製作されます。
子供向けには、スーパーカーをかたどった「スーパーカー消しゴム」などの関連商品が多数登場します。当時、瓶で販売されていたコカ・コーラの蓋の王冠の裏にスーパーカーを描いた「スーパーカー王冠」も子供たちの収集アイテムのひとつとなりました。
ちなみにスーパーカー消しゴムは、ノック式のボールペンのパチンと飛び出るノック部で、消しゴムを飛ばして競うという遊びが大流行します。
スーパーカーブームはわずか3~4年で終了
また、リアルなスーパーカーを見るという展示会も、あちこちで開催されました。
1977年5月に東京・晴海にて開催された「スーパーカー・世界の名車コレクション’77」には、4日間で約46万人もの人が駆け付けています。
現在と比べれば、1970年代後半の日本では、クルマはまだまだ高級品です。とくに輸入車の数は多くないため、こうしたイベントでもなければ、漫画や書籍に登場するスーパーカーを身近に見ることはできませんでした。
ロータス「ヨーロッパ」。漫画「サーキットの狼」で主人公の風吹裕矢の愛車だった
ただし、翌1978年以降になると、ブームは沈静化に向かいます。
あれほど大人気であった漫画『サーキットの狼』も1981年には連載を終了。振り返ってみれば、「スーパーカーブーム」は、1976年から1977年の2年間をピークに、わずか3~4年で終わってしまったのです。
ちなみに、1976年から1977年にかけての日本の話題は以下のようなものがありました。
政治では「ロッキード事件で田中角栄元首相の逮捕」が大きな話題となりました。芸能関係では、ピンクレディがデビューし、「ペッパー警部」「SOS」「カルメン’77」「渚のシンドバッド」「ウォンテッド」「UFO」という大ヒット曲を連発。この時代の小学生は、皆こぞってピンクレディの踊りをマネしていました。
その一方でキャンディーズが「普通の女の子に戻りたい」と、涙の解散コンサートを当時の後楽園球場でおこなってます。
また、映画でアニメの「宇宙戦艦ヤマト」と「八墓村」が公開されます。
八墓村のCMでの「たたりじゃ~」のセリフは子供たちにも大流行となりました。スポーツの世界では「アントニオ猪木VSモハメッドアリ異種格闘技戦」が行われ、巨人軍の王貞治選手はホームラン世界新記録765号を達成。
また、富士スピードウェイでは、日本初のF1が開催されています。
※ ※ ※
1950年代から60年代へと続いた高度経済成長の後、二度のオイルショックで足踏みを強いられたのが1970年代前半の日本でした。
しかし1970年代後半になると、日本経済はショックを克服して成長へ。そしてバブルの好景気の絶頂となる1980年代へ向かって加速をしていった。
そんな、力強い日本でブームになったのが「スーパーカー」だったのです。
鈴木ケンイチ
*********************************