長嶋とは違う!吉井、監督になってまで背番号21?

ロッテ新監督吉井理人、単なる佐々木朗希のお守りが監督になっただけだ。手腕?実は結構疑問だ。現役時代、デカいだけの割にスピードある方でもなかったし、NPBでもMLBでもそれほど勝てた投手ではない。コーチになって、元メジャーリーガーというだけで、将来性ある若手を任されただけ、そりゃあどんな無能コーチでも芽を出す投手は何人かは出るサ!ハンカチ王子に対しては、体格を鑑みぬ去勢フォームを押し付け、ツブした。

佐々木朗希については、カレの口利役として、今日は投げたくないコレ以上投げたくない今日は走りたくないを井口監督に伝える役でしかない。実際、この3年間、カレのカラダつきや精神的変わり映えなさを見ても、腫れ物に恐る恐る触っている腰巾着でしかない。

背番号21つける監督?バカか?背番号11つけて監督した村山実や背番号3つけて監督した長嶋茂雄は、永久欠番だったからだ!王貞治助監督の背番号1は、王が選手契約更改した山籠り下山後で、間が抜けたからだ。背番号1が永久欠番になってからは、長嶋茂雄第1期の90-1=89などをつけていた。だが、吉井にワザワザ背番号21を与える必要がドコにある?

他球団でも、背番号21は右でも左でもエース投手の背番号だ。違うのは日ハムくらい。嘗て背番号18つける前の堀内恒夫やV9左腕高橋一三がつけた巨人でも、今や大したコトない投手にも21をつけさせている。

千葉ロッテ、優れた投手でも大きい数字の背番号をつけたヒトは多い。少なくとも、吉井がつけるより価値は高いハズ。

 

 

 

 

 

 

 

**********************************

ロッテ吉井新監督が選んだ背番号21の原点とは…「あのミカン畑でよく遊んだよ」
11/8(火) 8:00 Yahoo!ニュース
  3 
10月の監督就任会見で背番号21を披露した吉井監督
 もう10年以上前だと思う。「昔はよく東尾のおっさんの実家のミカン畑で遊んだんだよ」――。そんな思い出を、吉井さんから聞いたことがある。

 10月18日、ロッテ・吉井理人新監督の就任会見がZOZOマリンで行われた。そこで発表されたのが、背番号「21」だった。ちなみに、現役最後の球団となった07年ロッテでは「24」を背負い、ロッテで投手コーチを務めた19~21年は「71」だった。

 では、なぜ「21」なのか。吉井監督は和歌山県出身で、箕島高校時代は本格派右腕として甲子園でも活躍し、83年ドラフト2位で近鉄に入団。最初に背負った背番号は「36」で、「11」を挟んで、1990年から「21」となった。

 ミカン畑の思い出話を聞きながら、「右のエース番号は21番だと思っている」とも聞いた。21番は、母校・箕島高校の大先輩で、西武のエースとして通算251勝をマークした東尾修氏が現役時代に背負っていたものなのである。

 吉井監督と東尾氏の実家はすぐ近くで、卒業した小・中・高とすべて同じ。一番の憧れの存在だったのだ。ヤクルト、メッツ、オリックスなどでも21番を付けたぐらいだから、大切な番号なのだろう。

 ただ、現役を引退し、背番号にあまりこだわりを持っていないと思っていたので、今回21番を選んだことは意外に感じた。会見では「本当は侍ジャパンと同じ81番にしようと思ったけど、先に付けていた人(伊志嶺コーチ)がいたので、空いている番号の中から選びました」とその理由も明かした。

 「選手のときは、高校時代の先輩の東尾さんと同じ番号を付けたいと思ってプレーしていた。今はたまたま空いていて、誰も付けたがっていないので、一度、自分が付けてから、期待する選手に渡したいなと思っている」――

 そんな言葉にも21番への愛着が感じられた。(記者コラム・??市 勇)

**********************************