宇崎竜童に認知症チェックするなら・・・

宇崎竜童の認知症チェック手段を思い付いた。

阿木燿子に限らず、スタッフだろうとタマタマだろうと、オンナがヨコに見えたら、ヨコハマにいようとヨコスカにいようと、「アンタ、あのコの何なのさ?」と聞くコトだ。

素早く、誰のコトを聞かれているか悟り、関係無関係含め正確に答えるかを聞き取れば良いのだ。

しかし、世間身内含め、宇崎竜童と阿木燿子夫婦がこんなに長く続くと思っていただろうか?石坂浩二浅丘ルリ子だって約30年、60歳の区切りで別れたんじゃなかった?

 

 

 

 

 

 

 

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後期高齢者となった宇崎竜童「物覚えが悪くなったかも」免許更新で認知機能検査を経験
11/21(月) 16:01 Yahoo!ニュース
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内閣府によると、総人口における後期高齢者の割合は現在14.9%(1,867万人)で、その割合は年々増加し2065年に25.5%に達するという。その増加に応じて、厚労省が75歳以上の医療保険を引き上げることを検討していることが、最近報じられたばかりだ。音楽家の宇崎竜童さんも今年76歳になる後期高齢者の一人。同世代のミュージシャンが次々と引退している中、宇崎竜童さんは老いること、そして“残りの人生”にどう向き合っているのか聞いた。(ジャーナリスト・中村竜太郎/Yahoo!ニュース Voice)

免許更新で「認知機能検査」を経験
 
後期高齢者になり老いについて語る宇崎竜童さん
――宇崎さんはいまも精力的にステージ活動をされていて、年齢を感じさせません。しかし誰もが老いを迎えます。それをどう捉えていますか。

宇崎竜童: この間、「俺、76歳なんだ」って初めて意識したのが後期高齢者向けの免許更新・認知機能検査を受けたこと。まわりは当然、みんなシニア。つい忘れがちですけど、改めて自分もそうなんだよなあと実感しました。音楽や俳優の仕事の際も、たいがい僕が最年長でまわりはみんなうんと若い。共演者が気をつかって椅子を出してくれるんだけど、「年寄り扱いするなよ」と言っているくらいなんです。で、テストは100点満点中95点でパス。ところが後日交通違反してしまい、もう一度そのテストを受けたら、前回より点数が落ちていた。こんなふうに自分が若ぶっていても、脳はだんだん衰えているんだろうなと思いました。

もともと若い頃から物覚えは良くなかったんですけど、先日ドラマの撮影でワンカットが結構長いシーンがあり、「てにをは」を間違えて3、4回カメラ止めちゃったんです。なんでこんなにちゃんと言えないんだろう。暑さのせいかと、その時は自分を納得させたんですけど、一方で、物覚えが悪くなってるかなという自覚は最近し始めています。

――“終活”は具体的に考えていますか。

宇崎竜童: 僕と阿木(燿子夫人)には子供がいないものですから、お墓に入っても、誰がお墓の面倒を見るのかという問題があります。海に散骨するとかは自分らしくないし、どこかへ置いとけばいいかなくらいの気分ですね。夫婦で「お墓に入れなくてもいいんじゃないの?」みたいな会話をすることもあります。

ただ僕は、葬儀だけはちゃんとやりたい。棺桶を置いて、どんな顔して死んだのか、たくさんの人に見てほしいんです。音楽関係者の葬儀でも、本葬とは別に偲ぶ会を設けることがありますけど、いやそれより、僕の“死に顔”を見てほしいなっていうのがあるんですよね。ミュージシャン仲間に音を出してもらって、ニューオーリンズの「ジャズ葬」みたく行進はしないまでも、にぎにぎしく音楽を鳴らしてもらいたい。一般の方にも来ていただいて、「死んでも眠っているみたいだね」って思われたい。本当に美しい顔で亡くなられている方を何人も見ているので、あんな“死に顔”になるには、僕の経験上、いい生き方しないとそうならないと感じていたんです。

じゃあ、「いい生き方ってどういうのかな?」というふうに思っていて。いまのところ僕が目指している寿命は100歳なんですが、だとしてもあと24年しかない。その間に何か人のためになることをしたいと考え、まずはライブのたびに寄付金を集めるようになりました。それと僕が死んだあとも70年印税が入ってきますから、財団みたいなものを作って印税を寄付に回せるよう、いまのうちにシステムを作っておこうと考えています。

――人生の後半になると残りの時間を考えますよね。

宇崎竜童: 実は4月のライブの2週間前、急な腹痛で病院へ行くとすぐに緊急手術することに。小腸憩室炎でした。朝、病院のベッドで目が覚めると、体のあちこちからたくさん管が出ていて、おいおいって。そして、ああ生きてんじゃん、と。1週間の入院で、お医者さんから運動は1か月後とアドバイスされましたが、関係者と相談した結果ぶっつけに近い形で、リハと本番にのぞみました。これが、不思議なことにちゃんと歌えた。しかもいつもよりうまい(笑)。腹式で力を入れて歌えないので、わりと軽く歌ったんですよね。そしたら「宇崎さんいつもよりいいですね」って言われて、たまに入院するのもいいなとその時は思いました(笑)。

――現在の宇崎さんはすごく元気ですけど、音楽の影響はあるのでしょうか。

宇崎竜童: 音楽をやってるとか、音楽を聞いてるとかってすごく大きいと思います。特に生のステージですね。輝かしいキャリアで人気のある同世代のミュージシャンが次々と引退しているじゃないですか。でも、「いま辞めたらヤバいぞ」と逆に言いたいですね。ステージでは最初はこっち側からエネルギーを飛ばしているんですけど、それを受け止めてお客さんが拍手で返し、声や手拍子で応じてくれると、1000人なら1000人分のエネルギーをその場でもらえる。たしかに2時間集中してやると疲れるということもありますが、実はそれ以上に元気をいただける。だから演奏できるうちは、ミュージシャンやめないほうがいいと思います。

歌がうまい人は特にそうだと思うんですけど、「声が出なくなった」とか「コロナで休んでいたからちょっと怖くてステージ立てない」、そんな相談をされたこともあります。若い頃に出たこの音が出ないとか、キーを下げなきゃとか、これ以上恥かきたくないなって思うのかもしれません。僕はとにかく、肉体労働してないとただのボケボケになっちゃう。そっちの方が心配なんですよね。

「あの世でも一緒にいたい」阿木燿子さんの存在
――宇崎さんと阿木さんはおしどり夫婦として有名ですが、人生の終わりを二人で話し合ったりすることはありますか。

宇崎竜童: ありますね。違う次元に移るだけだっていう結論に、お互いなっています。大学時代阿木に一目惚れして交際が始まり、50年ずっと一緒にいて彼女の生き方を見ていると、明らかに僕より人間としてのレベルが高いんです。彼女はきっと天国に行くだろうから、「頼むから、僕があとから死んだとしても、ちゃんとあなたのいる所に連れてってね。そこに導いてください」と言っています(笑)。

もちろん人の死は悲しい。生きてる人間からしてみれば悲しいんですけども、僕ら夫婦としては笑って死にたい。ちょっと申し訳ないけど先に極楽に行かせてもらいます。いまはそういう気分でいます。

僕は阿木との関係を、「前世でも、前前世でも知り合いだったよね? その時恋したよね?」と勝手にそう思っていて、やっと現世で結婚できたんだと認識しているんです。初対面から三日目で「結婚することが決まっています」とプロポーズしたんですけど、あれは正解でした。その彼女とずっと暮らしていますけど、あの時思った感覚はそのまま。だからこの先も、どんな死に方するかはわからないんですけど、あの世でも一緒にいたいです。二人があの世に旅立って、雲の上から地上を見た時に、僕らが書いた歌を誰かが口ずさんでくれていたら最高ですね。先ほど話したように、印税は困った人たちのところに行くわけですから、カラオケでいっぱい歌ってもらえたらなと思います。

――改めて奥様に残しておきたい言葉はありますか。

宇崎竜童: それはもう「ありがとう」しかないですね。よく長い年月、引っ張ってくれた。だって阿木の言うことを聞いていたら、だいたい間違いなかったですからね。若い頃は逆らって自分の思うようにやったりして、あとで迷惑かけたりしてきたんですけど、特にコロナで四六時中一緒にいるようになってからは、もう一回感謝の気持ちが再認識できました。

最近でも僕は仕事で1日、2日旅に出ることがあり、彼女を家に一人残して行く時は心配になります。マネージャーがいない時なんかは、飼い猫に「面倒を頼むよ」と頭をなでて出かける。でも旅先から家に電話すると、妻に「なんの用?」と言われ、「なんなんだよ」ってなるんですけどね(笑)。まあ夫婦ですから、そういうものかもしれません。


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宇崎竜童
1946年、京都府生まれ。1973年に「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」を結成しデビュー。『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』などのヒット曲を生み出し、人気バンドとなる。作曲家としても活動し、夫人で作詞家の阿木燿子さんとのコンビで、山口百恵『プレイバックPart2』など、多くのアーティストへの楽曲を提供。また俳優としても、テレビドラマや映画に数多く出演している。

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