似非リベラル記事!問題の本質をわかってないなら、ライター辞めろ!

読者を稼ぐため、流行った方向と敢えて逆方向に書く似非リベラル記事!

今回の広末涼子の件、ホリエモンら同様、問題の本質を正気でわかっていないなら、芸能関係の記者やライターとして関わるべきではない!芸能人、勉強すらちゃんとしてなくて理解力もなく、同類相憐れむのはフツ~にあるコトだし、明日は我が身だから、予防線もある。

芸能人の不倫はいつから大罪に?

バカじゃないの?問題の本質を履き違えている!

今の芸能人、大抵は芸ノー人!イメージだけを商品とし、CMや仕事をしている。アイドルや家庭人など、イメージにスポンサーが付き、企業や広告代理店や局や制作会社から、サラリーマンの数年分のカネが所属事務所に振り込まれる。

そのイメージがウソだったら?本人が意図して隠しているなら、イメージ詐欺だ。学歴経歴条件などを偽りカネをダマし取るのは、オレオレ詐欺などと変わらない!

広末涼子の場合、本来、過去にもオトコ問題で撮られまくり、イメージは良くなかった。キャンドルジュンとの結婚後も、佐藤健他のコトも撮られた。しかし、節穴マスコミの手でベストマザーに祭り上げられ、ダマされたバカな企業や代理店や局や制作会社から仕事やカネを受けたのだ。

ソレらを解釈解説し報じるべき芸能マスコミ側の人間が、その仕組を理解デキてない状態で記事を書いているのか?それとも、不倫を庇う記事を書くよう、頼まれたのか?

コラムニストジャーナリスト?60歳近くにもなるなら、ホントのリベラルな思考脳が衰え、もうロクしてるのか?

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広末涼子の不倫騒動にみる「芸能人の不倫はいつから大罪に?」過去を紐解く
6/28(水) 8:53 Yahoo!ニュース
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熱が冷めない広末涼子の不倫問題
 
広末涼子の思考地図』(宝島社)
 広末涼子(42)とレストランのオーナーシェフ・鳥羽周作氏(45)とのダブル不倫問題が世の関心を集め続けている。

 注目されやすい材料が揃いすぎた。6月7日に不倫の第一報が『文春オンライン』で報じられた時点でインパクトがあった。最近の広末はエッセイなどで「家族第一」を強調し、昨年のベストマザー賞も受けており、落差が大きかったからだ。

 2人の交換日記の存在も同14日の文春オンラインで報じられた。さらに広末は『週刊文春』6月29日号の取材に対し、事務所への不信感を語った。いずれも耳目に値する話だった。

 だが、なにより関心の的となったのは夫であるキャンドル・ジュン氏(49)が同18日に行った記者会見だろう。その内容については賛否が分かれた。

広末の商品価値を下げたキャンドル氏の会見
 キャンドル氏の会見内容を批判する人の声はよく分かる。「女優としての広末」の商品価値を下げてしまったからだ。広末の過去の不倫を自分が内々に処理したと明かした下りなどである。広末が心に不安定性を抱えていると語ったこともプラスには成り得ない。

「過度なプレッシャーがかかったり、不条理なことに出くわしたりすると、派手な格好をしたり、眠れなくなったり、(夜中に)誰かに連絡したりと豹変してしまうのです」(キャンドル氏)

 半面、キャンドル氏は「人間としての広末」と向き合い続け、唯一の存在である夫として会見した。それは踏まえなくてはならないだろう。キャンドル氏が広末のことを語るのは初めてだった。所属芸能プロダクションから口にすることを止められていたからだ。庶民感覚では理解し難いが、芸能界ではよくある。

「(所属芸能プロの社長は)家族のことを語るのは禁止です、そういうルールを約束してください、と言いました」(キャンドル氏)

 キャンドル氏が広末を初めて論じたのは、やむにやまれぬ思いからだったのだろう。

「(これまでは)どんなことがあっても自分の友人にも家族にも誰にも言わず、自分の中に留めてきました」(キャンドル氏)。

 そう考えると、この会見を全面否定する気にはなれない。そもそもキャンドル氏は一般人だ。芸能人と違い、所属芸能プロが会見前に想定問答集を用意してくれるわけでもない。少なくともキャンドル氏の次の言葉にはウソがなかったのではないか。

「(自分と鳥羽氏の)子供たちは、自分と自分の妻のせいで、妻の不倫相手のせいで、とんでもない被害者になっています。自分がもっと早く彼女を止めていればよかった。もっと早く鳥羽氏の自宅に行っていればよかった。メディアよりも先に止めることができていれば、こんなことにはならなかった。自分にも責任があります」(キャンドル氏)

 広末も辛いだろうが、妻を奪われたキャンドル氏も痛んでいる。

不倫は大罪なのか?時代性を考察
 不倫は民法上の不法行為で、パートナーに対する慰謝料支払いの義務を負うが、刑法上の罪となる行為ではない。それでも芸能人の不倫はときに大罪のような扱いを受ける。いつからだろう。
 昭和期を振り返ると、芸能人が不倫によって世間から糾弾されることは皆無に等しかった。火野正平(74)は1971年に一般女性と結婚し、2016年に離婚するまで、女優や歌手ら軽く10人以上と不倫したが、マスコミも世間も「プレイボーイ」と見ていた。半ば誉め言葉だ。本人は「11股をかけていた時期もある」と豪語していた。

 故・若山富三郎さんは今や死語となった「艶福家」と呼ばれた。1965年、若手女優(当時19)との不倫が理由で元タカラジェンヌの妻(故人)と別れ、その後も女性遍歴を重ねた。既婚女優らとの関係も噂された。しかし、やっぱり全く問題にならなかった。

 平成期に入っても似た状況が続いた。1990年、神田正輝(72)の妻だった松田聖子(61)は外国人青年とのデートを写真週刊誌に報じられたが、糾弾する声は上がらなかった。せいぜい関心を集めた程度。聖子が不倫を否定して幕となり、謹慎もしなかった。

 翌1991年、当時は独身だった斉藤由貴(56)と既婚者の故・尾崎豊さんとの不倫報道があり、斉籐は会見に臨んだが、やはり謹慎なんてしていない。直後から映画やドラマの仕事をバリバリこなした。

潮目が変わった、石田純一「不倫は文化」
 世間の空気に変化が生じたのは石田純一(69)とモデル(49)の不倫が報じられた1996年ごろ。この時、石田は「文化や芸術といったものが不倫という恋愛から生まれることもある」と強弁し、世間から総スカンとなる。この言葉は「不倫は文化」と縮められて報じられるようになる。

 翌1997年、テレビ朝日はニュース番組『スーパーJチャンネル』のMCに起用した。もう不倫しないはずだった。ところが、石田とモデルがまだ会っていると報じられたため、降板となる。テレ朝は許さなかった。不倫への対処が変わり始めた。

 石田の不倫が最初に報じられる1年前の1995年、フリーの女性アナウンサー(故人、当時29)と所属芸能プロ社長の不倫報道があった。アナは司会を務めていたテレ朝の料理番組を降ろされた。

 1997年、既婚で元体操選手のタレント・池谷幸雄(52)との不倫が発覚した元テレ朝の女性アナ(当時25)は画面への登場を自粛させられ、復帰までに1年4カ月かかった。その間、番組を下支えするアシスタントディレクター(AD)をやっていた。

不倫する人は「モラルがない」という評価
 芸能人の不倫への眼が厳しくなったのは1990年代半ばだ。くしくも「コンプライアンス」という言葉が頻繁に使われ始めた時期と重なる。1997年、野村證券による総会屋系企業への利益供与が発覚し、社会問題化すると、同社はコンプライアンスルールをつくると約束した。

 同年、第一勧業銀行(みずほ銀行)と総会屋の結び付きも露見。銀行界もコンプライアンスの徹底を訴え始めた。ビジネスでルール遵守の考え方が広がり始めた時期と、世間でモラル重視の考え方が広まり出す時期が一緒だったのは偶然ではないだろう。

 実業家も昭和期は大っぴらに不倫した。故・宇津井健さんらが所属していた映画会社「新東宝」の故・大蔵貢社長は、女優のキャスティングについて俳優から「社長と特別な関係にある女優が優遇されているのではないか」などと指摘された。大蔵社長はこれに怒り、「妾を女優にしたのだ」と開き直った。メチャクチャである。しかし、話題にはなったものの、糾弾はされてはいない。

 今は違う。昨年9月、アウトドアメーカーの女性社長(当時34)が既婚男性との交際と妊娠を理由に辞任した。「そこまでしなくても」という意見もあったが、今の時代を考えると、間違ってはなかったのではないか。モラルのない人がトップの会社と思われてしまう。

 不倫に寛大な時代は2度と来ない。ルールやマナーは時代が進むに連れて厳しくなるのが常。交通ルールや喫煙ルールを見ても分かる通りである。不倫に走る芸能人にはますます厳しい時代になる。

<文/高堀冬彦>

【高堀冬彦】
放送コラムニスト/ジャーナリスト 1964年生まれ。スポーツニッポン新聞東京本社での文化社会部記者、専門委員(放送記者クラブ)、「サンデー毎日」での記者、編集次長などを経て2019年に独立
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