中日根尾、自由契約後のMLB挑戦の準備を!

中日根尾昂、もうこのチームこの監督は見限ってしまえば良いのだ。元々、フロントはナゴヤ阪神タイガース目指して、集客のためのチーム作りをしたいのに、KY立浪監督は未練がましく勝ちたい野球にしがみついている。

そして、自らが廃部になったPL学園だったから、中日内の大阪桐蔭を廃部に目論見、平田を辞めさせ、根尾の閑々干し&今季退団を意図している。

根尾も立浪監督の意図を汲み、外車にモデルでリフレッシュしている。こんなチームの惨状に痛めてやるココロは要らない。立浪監督だけが悪いのではない。見れば誰でもわかる。中日投手陣で、日本人では小笠原や高橋宏に次ぐ3番手の力はある。去年も、立浪監督が柳らに配慮して、シーズン中盤以降ワザと根尾の防御率を落とすべくロクでもない場面や準備デキてない場面の起用を繰り返した。

中日フロントも、立浪監督の根尾閑々干しはわかっているし、今季戦力外通告するだろう。

後は、根尾がMLB挑戦をブチ上げ、捕手以外全ポジションOKな日本人選手として、頑張って欲しい!イヤ、強肩活かして捕手の練習も始めたら?

藤浪に不毛な7年を与えた阪神に続き、根尾に不毛な5年をくれた中日には、バッチリとダメ球団のレッテルを貼ってやりたい!

まあ、中日はヤクルトのおかげで最下位を間逃れるし、阪神は矢野の最終前年の繰り返しになるだろうから。サトテルで兆しは見えてる。

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窮地に立ったときこそ前を向く。“不器用な努力家”中日・根尾昂が乗り越えた「3つの壁」
6/30(金) 11:12 Yahoo!ニュース
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根尾昂 ©時事通信社
 投手根尾昂が誕生して1年が経った。去年6月21日、中日は根尾の登録を野手から投手に変更。この時の心境はどうだったのか。

「立浪(和義)監督とは何度も話をしていました。僕の一番適しているところはどこかという話です。最終的には札幌ドームの日本ハム戦の試合前練習で『交流戦明けからピッチャーで勝負するか』と登録変更も含めて言われました。やるしかないと思いましたし、気持ちはスッキリでした。腹を括りました」

 すでに野手として3試合に登板していたが、投手登録後も主に救援で25試合0勝0敗防御率3.41。7月の阪神戦で初ホールドを挙げ、10月の広島戦で初先発も経験。シーズン終了後のみやざきフェニックス・リーグからは本格的に先発挑戦が始まった。

「去年は技術うんぬんではなく、バッターを抑えたい気持ちだけで投げていました。今思うと、もっとこうすれば良かったというところがある反面、無意識にできていた部分も多かったです」

 最後の言葉が引っ掛かった。無意識にできていたことができなくなったのか。そう、根尾は昨オフから決して順調とは言えない道を歩んでいる。これまで少なくとも3回のブレーキがあったと私は思う。その全てに触れた。

「投手として一番大切なことを見失っていたんです」
 まずは去年の秋季キャンプだ。北谷球場のブルペンで制球力を試すストライクテストが行われたが、根尾はコントロールを乱し、落合英二ヘッド兼投手コーチは「投げるレベルじゃない」とテストを受けさせず、普通の投球練習に切り替えた。根尾は「投げるのが下手くそだったからです」と一言で振り返ったが、踏み込むと、詳しく教えてくれた。

「技術が伴っていないのに自分のやりたいことを求めすぎて、投手として一番大切なことを見失っていたんです。要は新しい球種を増やそうとした結果、ストレートの投げ方がバラバラになりました。上半身と下半身が合わなくなったんです。無意識で投げられていた真っ直ぐが投げられず、ずっと気持ち悪いままでした」

 窮地に立った時こそ根尾は前を向く。

「原因は明らかに投球フォームだったので、改善に着手しました。色々と試しました。でも、『どこを直したのか』と聞かれても、僕は『ここです』とはっきり言えないんです。ピッチングは動き出しからフィニッシュまで一連の動作ですし、かなり感覚的なものがあるので」

 最後の言葉が気になった。根尾と言えば、頭脳明晰。全てを頭で理解し、言語化するタイプと思いきや、感覚派なのだ。しかも、その感覚を養うには人一倍の反復練習が必要で、体に染み込ませるまで長い時間がかかるという。何でもすぐできる天才ではなく、不器用な努力家なのだ。

アメリカ自主トレから帰ってきて、ナゴヤ球場で木下(拓哉)さんに受けてもらっていた1月下旬くらいですかね。やっと良い感覚が掴めました」

 迎えた春季キャンプ。2回目の躓きがあった。打撃投手として福田永将堂上直倫に投げたが、ボールが続き、福田には死球を当てる乱調だった。

「自分にイライラしました」

 約3カ月かけて改良したものが突如狂った。しかし、根尾は前を向き、苛立ちも力に変え、できることに集中した。

「投げることは投げることでしか覚えられません。全体練習が終わった後、ほぼ毎日1かご(約300球)はネットスローで投げていました。投げているうちに『これを続けたい』という感覚も出てきました。肩や肘は全く痛めませんでしたね」

 いくら投げても壊れない強靭な体に驚いた。成果は次第に表れ、キャンプ後に状態は良化。ウエスタン・リーグ開幕戦からリリーフ登板を重ね、立浪監督も一軍開幕前に「根尾は中継ぎに何かあった時の一番手」と評価していた。

壁にぶつかった根尾昂への浅尾コーチのアドバイス
 しかし、3回目の壁に当たる。4月5日のオリックス戦。根尾は2者連続四球の後、三振を奪ったが、また四球。わずか1アウトで降板した。

「その日まではストレートの勢いである程度抑えられていましたが、正直、少しずつズレを感じていました。それが一気に出たという感じです」

 翌日以降、ベンチ入りメンバーから外れ、再びフォーム修正の日々が始まった。

「山井(大介)さんと浅尾(拓也)さんには本当に感謝です。リリースの感覚を掴むドリルや下半身の使い方のドリル、その他にも現役時代に取り入れていた方法をたくさん教えて頂きました」

 2人のコーチに共通しているのは強制しないことだった。

「合わなかったらやめていいよと。浅尾さんには『自分の感覚を出していく方が(フォーム修正は)早い』と言われ、気持ちが楽になりました。より自分の感覚を信じようと思えました」

 2週間の試行錯誤の結果、左脚をピンと伸ばす今のフォームに行き着いた。

「球に力が伝わります。悪い時はどうしても上半身で投げてしまうので、下半身としっかり連動させるイメージです」

 止まった針が動き出す。根尾は5月2日のソフトバンク三軍との練習試合で実戦復帰し、5月27日のオリックス戦で先発。ロングリリーフを2回挟んで、6月23日の阪神戦に先発し、7回無失点。「もっと投げられると思いました。課題もたくさん見つかりましたし、次回までに潰したいです」と力を込めた。声も明るい。一軍登板の目処を聞くと、即答だった。

「早ければ早いほどいいです。それはここにいる誰もが思っていること。ただ、一軍の先輩たちは長いイニングを投げ切っています。まずは二軍で投げ切ること。それが絶対条件です」

 アマチュア時代は順風満帆も、プロ入り後に人生初の遠回り。そんな彼を不憫に思う人もいる。しかし、どうも違う。根尾は前から多くの失敗や挫折を味わい、そんな時こそ前を向き、できることに集中し、全てを力に変え、練習を重ね、感覚を磨き、乗り越えてきたのだ。壁にぶつかりながら、自力で這い上がる。それが根尾なのだ。

 最後に聞いた。内野、外野、投手となったこれまでをどう思うか。根尾は「振り返るのはまだ早いです」と笑った。そう、背番号7は常に前を向いている。

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若狭 敬一

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