RX7、コスモ、ロードスター、AZ1、マツダの場当たりクルマ作り!

自動車メーカーのクルマ作り、単にクルマ単体を作って、売るだけではない。如何に上手く早く安く作れるか考えられず、単に個別に車種を設計して作って出しただけだからだ。RX7、コスモ、ロードスター、AZ1みんなそうだ。優れたストラクチャーのクルマを組み上げて出したが、単にそれだけだった。

例えば、RX7をFC⇒FD化する時に車体を3ナンバー化するコトが不可避なら、RX7とコスモを3ロータリーエンジンと車体を共用した車両にし、AZ1を軽ではなくロードスターとエンジンや車体を共用した5ナンバーミドシップにすれば、それだけでもコスト管理上マシだった。

また、RX7をFC⇒FD化する時に車体を5ナンバーに収められるなら、RX7とロードスターを2ロータリーターボやレシプロエンジンや車体を共用した車両にデキた。レシプロRX7やロータリーターボのロードスターを生み出す可能性があった。軽のAZ1ではなく、3ロータリーコスモとエンジンと車体を共用した4ドアルーチェを作れば、トヨタセンチュリーやニッサンロイヤルとは違う皇室御用車がデキたかも知れない。イヤ、宮内庁からワンオフで4ロータリーの御用車オーダーが来たかも知れない。

せっかく技術も商品も安い生産地盤もあるのに、共用を上手く設定しないコトで、自らのクビを絞めた。

************************************

こんなクルマよく売ったな!! 【愛すべき日本の珍車と珍技術】 世界最小のスーパーカーとして歴史に名を刻んだAZ-1
7/17(月) 11:00 Yahoo!ニュース
  7

ベストカーWeb
 これまで日本にはたくさんのクルマが生まれては消えていった。そのなかには、「珍車」などと呼ばれ、現代でも面白おかしく語られているモデルもある。しかし、それらのクルマが試金石となったことで、数々の名車が生まれたと言っても過言ではない。

【画像ギャラリー】チャレンジ精神の塊のような軽スポーツAZ-1の写真をもっと見る!(5枚)

 当連載では、これら「珍車」と呼ばれた伝説のクルマや技術などをピックアップし、その特徴を解説しつつ、日本の自動車文化を豊かにしてくれたことへの感謝と「愛」を語っていく。今回は、オートザム AZ-1について紹介していこう。

文/フォッケウルフ、写真/マツダ

■バブル景気が生み出したドリームカー
 1989年に行われた第28回東京モーターショーは、当時のフランクフルトやパリと並ぶインターナショナルショーとしての体裁が整ったモーターショーとして多くの人の記憶に刻まれている。

 晴海から幕張メッセへと移転して展示規模が大幅に拡大された会場には300社以上のメーカーと800台を超える車両が集い、見どころ盛りだくさんだったわけだが、そこにマツダは「オートザム AZ550スポーツ タイプA、B、 C」と名付けた軽自動車規格のスポーツカーを展示していた。

 タイプA、B、Cと銘打つ通り、出展されていたのは3台。リトラクタブルヘッドライトとガルウィングドアを持つタイプA。丸みのある個性的なクーペフォルムを特徴とするタイプB。そして、グループCカーのイメージをそのまま表現したタイプC。いずれも3気筒エンジンをミッドシップ配置として後輪を駆動するなど基本となるメカニズムを共通としたモジュラータイプのスポーツカーだった。

 そしてモーターショーから3年後の1992年、オートザム AZ550スポーツは「オートザム AZ-1」と名付けられ、参考出品だったショーカーの姿をほぼ踏襲して市販化される。

 地を這うような低さ、上下に開くガルウィングドアを採用した斬新なスタイル、アウターパネルをオールプラスチック製とした軽量ボディなどによってAZ-1は軽自動車ながら「世界最小のスーパーカー」と称された。

■小さくても走りのパフォーマンスは本格派
 AZ-1のボディサイズは全長3295mm×全幅1395mm×全高1150mmで、ホイールベースは2235mm。エンジンは64ps/6500rpmの最高出力と8.7kgm/4000rpmの最大トルクを発生するスズキ製のF6A型660cc3気筒ターボを搭載。720kgという超軽量ボディの恩恵もあってパワーウエイトレシオは11.25kg/psという、当時の軽自動車ではトップクラスの能力を発揮した。

 トランスミッションは5速MTのみの設定でAT仕様の設定はない。また、ミッドシップレイアウトとしたことにより2名乗車時で前後重量配分は44対56を実現。超低重心であることやロックトゥロックが2.2という鋭いハンドリングも相まって、スーパーカーと呼ぶにふさわしい走りが味わえた。

 軽自動車という限定されたカテゴリーに属するクルマながら、本格的なスポーツカーとしての走りが楽しめるという点は、先に発売されていたホンダ ビートやスズキ カプチーノにも共通するが、AZ-1は技術的な部分においてライバルと明らかに異なる価値を有していた。

 なかでも一般的なモノコックボディとは異なる特徴を持つ、スケルトモノコックボディの採用は注目すべき要素のひとつだ。ボディパネルに頼ることなく骨組み部分のみで車体の強度が確保できることから、ガルウィングドアやアウターパネルがオールプラスチックというAZ-1ならではの特徴をもたらした。

 ただし、スケルトモノコックボディはサイドシル部分を太くする必要があるため乗降部が狭くなって一般的なヒンジドアでは乗り降りがしづらくなる。ガルウィングドアは乗降性における不利を補うという意味でも採用は必然だった。

 乗車定員は2名で、車内のスペースはかなりタイト。コクピットまわりは不要な加飾を廃したスパルタンなデザインで、MOMO製のステアリングや、真下が0指針の4連ホワイトメーターは、中央に大径のエンジン回転計が配置される。

 また、運転席はシートスライドが可能だったが、助手席は固定式でリクライニング機構も備わっておらず、エアコンを除く快適装備がオプション設定となるなど、スポーツカーとしてのこだわりが散見される。

国産車史上に名を残す伝説のクルマ
 車両コンセプトやスタイルの特異性で発売当初こそ話題を集めたが、149万8000円という当時の軽自動車としてはかなり高額だったこと、ATの設定がなかったことや実用性が極めて低かったことに加え、「平成ABCトリオ」のなかで最後発だったこと、さらに不運にも発売時期がバブル崩壊の真っ只中であったことが影響して販売は低迷してしまう。

 生産期間こそ違えど、平成ABCトリオのビートが3万3892台、カプチーノが2万6583台という総生産台数を記録していながら、AZ-1は約3年間で生産されたのはわずか4409台にとどまった。

 しかし、生産台数が少ないことや軽自動車ベースのスーパーカーという特異性は、28年を経た現在の中古車市場におけるプレミアとなって、新車時価格を遥かに上まわる値付けがなされている。

 AZ-1マツダ黒歴史のひとつである5チャネル戦略のなかで生まれた1台だが、マツダらしいチャレンジの賜物であり、日本がもっともエネルギッシュだった時代を象徴する存在である。

 スカイアクティブテクノロジーや魂動デザインといった現在のマツダが掲げているブランド表現にはまったく当てはまらなくても、国産車史上に残る伝説のクルマであることは間違いない。

 記事に関する報告

************************************