大阪桐蔭西谷監督の情けない言い訳!

日本最強の野球部・・・この称号を冠するのは、大阪ではPL学園以後、大阪桐蔭しかない。コレを満たすには、最高の中学選手スカウティング、最高の練習育成環境により、最高の実績を挙げ続けるコトだ。

藤浪晋太郎の時に最初の春夏制覇、根尾昂の時は2年の時も春夏制覇の可能性があった。3年の春夏制覇達成により、史上最強の高校野球部がデキ上がったハズだった。

しかし、西谷監督、せっかく最高尽くしの環境を与えられているのに、最高の実績を挙げられていない。PL学園中村監督が、監督から引いた感じに似ている。

この最高の環境で、最高の結果を出せないなら、ソレは阪神カネモト⇒矢野や巨人原らと何ら変わりはない。

甘えている場合ではない。

コレで勝てねば、キサマは無能だ!

そう言うしかない。

 

 

 

 

 

 

 

************************************

大阪桐蔭・西谷監督が激白する“絶対王者視される”苦悩「試合内容も知らずに…」「黙ってやっていくしかない」異常な人気…“桐蔭バブル”の今
8/20(日) 11:06 Yahoo!ニュース
  284
  
大阪桐蔭を率いる西谷浩一監督がロングインタビューに応じた photograph by Hideki Sugiyama
 昨夏の甲子園、注目はただ一点に絞られていた。どこが大阪桐蔭を止めるのか――。そのダントツの優勝候補が、下関国際の前に準々決勝で散った。なぜ大阪桐蔭は土壇場9回に逆転を許したのか。なぜ下関国際は異様なまでに冷静だったのか。西谷浩一と坂原秀尚。両校監督へのインタビューから、ノンフィクション作家・中村計氏が迫った。【NumberWeb集中連載「計算された番狂わせ」全7回の#2】

【現地の写真】「令和の大番狂わせ」大阪桐蔭が敗れた下関国際戦…西谷監督・坂原監督のコメントとともに“歴史的激闘”を振り返る…緊張感がスゴい「大阪桐蔭の筋トレ風景」まで一気に見る

 思えば、2022年夏の甲子園の注目は、ただ一点に絞られていた。

〈どこが大阪桐蔭を止めるか〉
〈ストップ・ザ・大阪桐蔭

 ネット界隈を中心に、そんな論調の記事が溢れ返っていた。

 その心情はわからないでもなかった。「3番・捕手」の松尾汐恩(DeNA)を中心とする世代は、まずは2021年秋の明治神宮大会を制する。そして、続く2022年春の選抜大会は記録ずくめで頂点に立った。17-0で大勝した準々決勝の市立和歌山戦でマークした1イニング3本塁打も、1試合6本塁打も大会記録。続く準決勝の國學院久我山戦は13-4、決勝の近江戦は18-1と準々決勝以降は3試合連続2桁得点し、1大会を通じてのチーム本塁打新記録(11本)も打ち立てた。大阪桐蔭は、2回戦は、対戦相手の広島商業に多数の新型コロナ感染者が出たため、不戦勝している。つまり4試合でチーム最多本塁打記録を塗り替えてしまったのだ。

 ここから「桐蔭狂騒曲」が始まったのだ。西谷浩一は、ため息交じりにこぼす。

「(2022年の)選抜が終わってから、世の中のマスコミがおかしくなった。春夏連覇した根尾(昂=中日)たちの代のときもすごく言われましたけど、ここまでではなかったですよ」

絶対王者と言われて…西谷の本音
 西谷の下関国際戦に関する回想は淡泊だった。「僕、すぐ忘れるので」と。嘘だ。西谷ほどあらゆるところに神経を配り、その分析と保存に長けたリーダーはそうはいない。

 あの試合を、忘れられるはずがない。だからこそ、表面上は、さばさばとした風を装ったのだ。

 しかし、メディアが過剰に大阪桐蔭絶対王者視する昨今の風潮に話が及ぶと、積もり積もったものがあったのだろう、西谷の口からは堰(せき)を切ったように不満の言葉があふれ出した。

「謙遜してるって思われるだけだから言わないんですけど、選抜は、相手ピッチャーのコンディションが悪いときにたまたま自分たちがぶつかったんです。市立和歌山戦も、近江戦も。その点、うちらは余裕をもって決勝までいけたので、投手陣はピンピンの状態だった。普通にやったら、あんな大差になってない。でも点数だけみたら、そういう事情まではわからないからって、そこを焚きつけてきて」

大阪桐蔭の“バブル化”
 準々決勝の市立和歌山戦は、大会ナンバー1とも称されたエースの米田天翼が、1、2回戦の疲労が大きかったため、先発を回避。5回途中に緊急リリーフしたものの、本来のボールとはほど遠く、3本塁打を浴びるなどし6回途中で降板した。決勝の近江戦は、エースの山田陽翔(西武)が前日の準決勝で足を負傷しながらも延長11回を投げ切り「筋肉の疲労回復が追いついていなかった」という状態で先発。3回途中、松尾に2ランを喫し4失点したところで、自ら申し出て降板した。

 西谷が言う通り、この2試合に限って言えば、相手校のエースはほぼ投げられる状況になかった。その上、エースと2番手以降の投手の実力差が大き過ぎた。とはいえ、あれだけ打ちまくるのはすごいとしか言いようがないが、確かに、持ち上げ過ぎている感は否めなかった。ある意味、大阪桐蔭のバブル化だ。

 西谷の「不服申し立て」は終わらなかった。

「だって、選抜も初戦(鳴門戦)は3-1だったんですよ。そうやって普通に勝ち上がってきてるんですから。なのに、僕が『まだまだこのチームは弱いので』みたいなことを言うと、謙遜していると思われる。謙遜でもなんでもないのに。だから、もう、すごく嫌なんです。試合内容も知らずに強過ぎる、って。選手を獲り過ぎだとか。何でも言われる。マスコミの悪ノリじゃないですか。売ろうとしているだけですよ。でしょ? おかしい。おかしいんだけど、神宮、選抜と勝ったのは事実だし。そういうものとも戦っていかなければならない。言えば言うだけ、また何か言われるだけだし。僕が取材をもう受けたくないと言っているのは、そういうことなんですよ。静かに、黙ってやっていくしかない。そっとしておいて欲しいんです」

 これまで「取材を受けたくない」とはっきり拒否されたことはなかったが、遠回しにそういうことなのだろうなと思ったことは何度もあった。

 西谷が、そういう空気を発し始めたのはいつ頃からだろう。

身に覚えのない噂も…
 もともと西谷は典型的な関西人で、サービス精神旺盛なタイプだ。中村剛也(西武)が在籍していた2000年前後は、いつだって気さくに応じてくれたものだ。そこから西岡剛(元ロッテなど)、平田良介(元中日)といったスター選手を抱え、チーム成績も右肩上がりになっていったが、少なくとも2000年代は、むしろ歓迎ムードだった。

 2012年に藤浪晋太郎(アスレチックス)-森友哉(オリックス)のバッテリーで春夏連覇した頃になると、忙しさも手伝い、さすがに昔のような気安さはなくなったが、今のようにピリピリはしていなかった。

 変わり始めたのは、根尾、藤原恭大(ロッテ)らを擁し、史上初となる2度目の春夏連覇を達成した2018年頃からだと思う。西谷は当時、メディアが名付けた「最強世代」というコピーに辟易としていた。そこまでの手応えがあったわけではない上に、彼らが3年生のときに迎える第100回選手権大会を視野に西谷が全国からかき集めた世代のように書き立てられたからだ。

 岐阜出身の根尾の父親が医者だったため、西谷は患者を装って接触をはかったと噂された。また沖縄の球場でも西谷を見たという、まったく身に覚えのないスカウティング活動の噂話が次から次へと耳に入ってきた。そんな話を西谷は笑いながらしていたものだが、内心では、ほとほと嫌気がさしていたはずだ。

 そして2022年以降、報道の過熱ぶりが西谷の許容量を超えてしまったのだ。取材を抑制しても、連日のように大阪桐蔭の記事がネットに上がる。これでしゃべったらどんなことになってしまうのか。答えは一つしかなかった。黙る、だ。

大阪桐蔭=強い」揺るがぬイメージ
 2022年秋、これも「大阪桐蔭ネタ」として、一つのことが話題となった。ドラフト会議において、大阪桐蔭の選手、あるいは大阪桐蔭を経て大学・社会人に進んだ選手計10名が志望届を提出したのだが、松尾以外、全員が指名漏れしたのだ。その原因は、育成力の低下と見る向きが強かった。

 しかし、在校生以外の選手に関して言うならば、育成力は大学や社会人チームの方の問題だろうし、それこそ、大阪桐蔭が「獲り過ぎ」てはいないことの証左として見ることもできる。どこよりも豊富な練習をこなしているから、ドラフト指名されないような選手たちでもこれだけの結果を残しているのだ、と。

 ところが、そういう論調にはならない。誤解を恐れずに言えば、世間に商品として定着している「大阪桐蔭=強過ぎる」というイメージを壊したくないのだ。

 そこへ行くと、あの夏、等身大の大阪桐蔭を正確に把握していたのは下関国際だけだったのかもしれない。だからこそ、警戒こそすれ、怯むことはなかった。

〈つづく〉
(「野ボール横丁」中村計 = 文)
 
 記事に関する報告

************************************