芸能事務所、枕営業のMe tooやったら?

芸能事務所、それぞれやり方違ってても枕営業やってるだろう。大きくは、使うヒトに直課するやり方と、所属タレント色分けとして枕営業専門を設けるやり方だろう。

86年に自殺した岡田有希子の件、サンミュージック岡田有希子の両親はそれぞれの都合で隠し、峰岸徹に全て被せた。もちろん、濡れ衣を被るコトで、峰岸には悪役でも仕事を保障する条件だった。

主に女性タレント、事務所が若い内からヤらせてる場合もあるし、本人が売れるためにその気な場合もある。きっと、小泉今日子などは喋らないだろう。突き合うコトでいい目を見る部分もあったろう。早見優舘ひろしとヤったのは、どちらだろうか?膣痙攣起こしてバレてしまい、引っ込むコトになった。河合奈保子ジャッキー・チェンはどうだったのか?事務所や本人に、補償や見返りあったのか?

いっそ、芸能界枕営業について、Me tooやったら?

 

 

 

 

 

 

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いじめ、給料ゼロ、枕営業…引退する32歳グラビアアイドルが歩んだあまりに残酷な“夢への道”
12/7(木) 17:10 Yahoo!ニュース
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「カメラの前にいるとこのために生きているんだってすごく感じられたんです」(撮影・徳重龍徳)
 林美佐さん(32)は過去に7枚のDVDをリリースした中堅グラビアアイドルだ。現在は舞台を中心に女優として活動する。赤ちゃんのような顔をくしゃっとさせる笑顔が印象的な人だ。

【写真21枚】「私はかなり枕をやらされた方だと思います」と赤裸々に明かす

 そんな彼女から連絡がきたのは11月の半ばだった。子宮頸がんと診断されたといい、12月12日からスタートする主演舞台「誰が為の歌姫」(17日まで、新宿スターフィールド)を最後に芸能界を引退するという。舞台は林さん自身の人生を重ねた脚本だというので、その人生を聞き驚いた。夢のために進んだ道のりは痛ましく、そしてあまりに残酷だった。【徳重龍徳/ライター】

いじめられた小中学生時代、歓楽街での恐怖
 愛知県出身の林さんは、小さいころから芸能界に憧れていた。今はスレンダーな体型だが、小学校、中学校と太っていて、いじめの対象だったという。

「当時はめちゃくちゃ太っていて65キロくらいあったんです。それでも芸能人になりたいと思っていたから化粧をして学校に行ってました。それを男子が年配の女性の先生にチクったら、その先生に放課後呼び出されて『なんだ、この化粧は』と殴られたこともありました」

 それでも芸能界入りを夢みて、児童劇団に所属しオーディションを何度も受けた。ただ16歳ごろから精神的不調となり、それ以来現在まで薬が欠かせなくなった。

 高校生になり「グレ始めた」という林さんは名古屋の歓楽街である錦を夜な夜なうろつくようになる。

「一人で歩いているといろんな人が声をかけてきて、知り合いが増えていきました。いわゆる夜の世界の人で、お酒を飲んだり遊びまくっていました」

 ある日、友人だと思っていた女性にだまされて、暴力団も絡む恐怖体験をする。そこから夜の世界が怖くなり、錦には足を向けなくなった。心も体も傷ついた林さんを支えたのは芸能界への夢だった。

「女優になってドラマ、映画に出るんだ。主演するんだ。夢のために私は生きるんだって、自分のベクトルをすべてそこに向けました」

 18歳から地元のモデル事務所に所属し、21歳からは農業をPRする音楽ユニット「トランスファーマー」のメンバーとして3年間活動する。

 一方でメンタルの不調は悪化。高校を卒業し、演技の専門学校に入るも「精神が不安定で、過呼吸発作になったり、屋上に行って飛び降りようとしたり……。その頃は専門学校よりも精神病と戦う時間が長かったです。ただ両親は根性論の人で『あんたが気が弱いだけだよ』と言われるので、薬もこそっと飲んでましたし、発作のことは言いませんでした」

ホームレス体験、念願の事務所入りも給料はゼロ
 名古屋で芸能界入りを夢見ていた林さんに東京の芸能事務所に入るチャンスが訪れる。

「ある事務所のオーディションに受かって、所属はできないけれど半年間レッスン料は無料になったんです。レッスンは大体週2~3日なんですが、そのためには上京する必要があったんです。東京に通うため、他の日はアルバイトをして、お金をためて東京に毎週来ていました」

 スーパー銭湯に居酒屋、スナック、塾の講師と必死でアルバイトをした。それでもお金は足りない。

「東京のホテル代って馬鹿にならないじゃないですか。心配するので、親にはカプセルホテルに泊まっているよと嘘をついて、実際は路上に泊まってました。新宿コクーンタワーの下です。周りのホームレスのおじいちゃんたちもウェルカムでしたね。季節は冬で寒かったんですけど、あのときダンボールの温かみを知りました」

 そこまでして通ったレッスンだったが、事務所に所属することはできず、今度は別の事務所の養成所に、お金を払って入所した。

「親は芸能界入りには反対していたので、費用は兄から借りて通っていました。でも実は事務所は名前を貸しているだけで、全く別の事務所が運営していたんです。なので仕事も全くきませんでした」

 ある時、養成所と提携している事務所のタレントが水着撮影会を急遽休むことになり、代わりに出られる子はいないかと話があった。

「名古屋で水着撮影会にも参加していましたし、水着に抵抗感もなかったので、すぐに手を挙げました。撮影会に参加すると、それをきっかけにその事務所に入ることができたんです」

 念願かなって芸能事務所に所属した林さん。24歳で上京し、東京での生活をスタートさせたが、厳しい現実が待っていた。事務所から給料が払われないのだ。

「その事務所に所属した期間、一度も給料明細を見たことはないです。DVDを撮ってもお金はくれませんでした。ただ、人気のある人には払っていたみたいで、先輩タレントの家賃を聞いて『えっ、すごい』と思ったことはあります。お金は深夜、飲食店で毎日働いて稼いでました。あとは当時の彼氏にちょっと補助してもらっていました」

 自分にはお金が入ってこないグラビアの仕事だが、林さんはすごく楽しかったと振り返る。

「カメラの前にいると、自分はこのために生きているんだってすごく感じられたんです。DVDの撮影をしていると、もうその時間が何時間でも続いてほしいと思っていました。子どものころから夢見ていた芸能人になれている。今の自分は夢に向かっているんだ、夢を叶えているんだって。それまでの経験から自分に価値を見出してなかった。だから自分が必要とされることが楽しくて仕方なかったんです」

「あそこの社長と寝てこい」
 しかし、林さんの人気は思うように出ず、グラビアのDVDを出してもどんどん売り上げは落ちていった。すると事務所からは枕営業をするように言われ始めた。

「事務所の人に『今からあそこの社長と寝てこい』と言われて。事務所にもそういうことが当たり前な雰囲気もありましたし、私自身、芸能界のイメージ通りだなとも思っていました。ただ周りと比べても、私はかなり枕をやらされた方だと思います」

 これまで取材する中で枕営業の話を聞くことはあったが、その見返りがあったというグラビアアイドルはほぼいない。芸能事務所は大切に売りたいタレントと、そうではない枕営業用のタレントとを線引きする。枕営業をするタレントはどんなに権力者に抱かれても、その恩恵は自分ではなく、別のタレントの手に渡ってしまう。

「ホテルに呼び出されて抱かれたのはテレビ局のプロデューサーだったり 、制作会社の上の人とかでした。でも私の仕事には一回もなっていないですね。給料ももらっていないのに、枕営業は続けていて。その頃は感覚がバグっていたんです」

 苦しみだらけの林さんの半生だが、さらに彼女を度重なる不幸が襲う。

後編【「夢を追うのにもリスクがある。沼ってあるんです」社長からの暴行、子宮頸がん…32歳グラドルが年内で引退を決意した理由】へつづく

徳重龍徳(とくしげ・たつのり)
ライター。グラビア評論家。大学卒業後、東京スポーツ新聞社に入社。記者として年間100日以上グラビアアイドルを取材。2016年にウェブメディアに移籍し、著名人のインタビューを担当した。現在は退社し雑誌、ウェブで記事を執筆。個人ブログ「OUTCAST」も運営中。Twitter:@tatsunoritoku

デイリー新潮編集部
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