'89年日本車が世界の頂点?何言ってるの?

'89年、日本車が世界の頂点に立った?

ニッサンR32スカイラインGT-R?バカじゃないの?当時、世界のトップはフェラーリF40やポルシェ959で、最高速度320キロを超す。GT-Rは、最高速度300キロすらムリだった。グループA向けスカイラインの中、ホモロゲーション用グレードがGT-Rだった。台数的にも、然程変わりはなかった。日本のサーキットだったから、コレでも使えただけだ。昔のル・マンやポールリカールなら、直線だけでブッちぎられる。実際、R33型GT-Rル・マンはスタート即死だった。

マツダ(ユーノス)NA型ロードスター、単にMGBらを焼き直しただけだ。2座なのに、2+2のトヨタAE86レビン/トレノより重かったハズ。ミッションからデフを結合したPPF、プロペラシャフト結合のFRとしては必要なかった。挙げ句、3代目たるNC型では、エンジンは5ナンバー並なのに車幅だけ3ナンバー。4代目たるND型では、更にエンジンは小さくなったのに、拡幅された。

トヨタ(レクサス)LS400、独自路線インフィニティーQ45らで大ハズレを引いたニッサンに対して、似非メルセデス路線で作り、キッチリ売った。ニッサンは3リッターV6ターボのシーマ後に、4.5リッターV8NAを設定するチョンボを犯した。本来は、5リッターちょいに設定する必要があった。トヨタはクラウンなどにはスーパーチャージャーだったので、4リッターV8にはクレームがなかった。

日本車が世界の頂点に立った?違うョ!各日本自動車メーカーの技術屋が、勝手に有頂天になっただけだ。以後、日本の規格すらお構いナシの身勝手なクルマを作り続けて、勝手に沈没した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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【おじさんは見た・乗った】1989年は日本車が世界の頂点に!どんなクルマがあったのか?
12/12(火) 19:02 Yahoo!ニュース
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日本車の歴史を語るうえで、1989年は外せない年。日本車の転換点となった名車が3モデルも登場した年なのです。1989年生まれの3モデルを紹介しながら、それらが世界の自動車市場に与えた影響について、振り返ります。

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■世界に日本の技術力を知らしめた「日産スカイラインGT-R
1980年代当時、シェア縮小に悩まされていた日産。状況を打破するためにとった対策が、90年代に運動性能で世界1位になるという、いわゆる「901活動」とよばれるプロジェクトでした。最高の走りをするクルマを開発し、日産の技術力を世界にアピールするというもので、名車として知られるR32型スカイラインGT-Rは、その901活動の中で開発されたモデルです。

エンジンは2.6リッターの直列6気筒ツインターボRB26DETTを搭載。自主規制により最高出力は280psに抑えられていましたが、レース用のマシンとなれば最高出力700psものパワーを発揮できるポテンシャルを秘めていました。

 
R32型スカイラインGT-R。中古車相場は高く、10万キロ走行車であっても500~800万円が相場となっている
このハイパワーエンジンの性能を余すことなく使うため、R32GT-Rには、クルマの走行状況に応じて、前後駆動力配分を0:100から50:50へと制御する4WDシステム「アテーサE-TS」や、後輪をわずかに左右へ切ることで、コーナリング時の回頭性と高速走行時の安定性を向上させる「ハイキャス」などの新アイテムを続々と投入。これらによって高い運動性能を手に入れたR32スカイラインGT-Rは、海外のテストサーキットで、BMWやポルシェといった高性能車よりも速く走り、世界中に衝撃を与えました。

 
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この経験で自信をもった日産は、その後も世界最高の走りを目指して、R33型、R34型へとGT-Rを進化させ続けてきました。R32型スカイラインGT-Rは、日産のみならず、日本車の性能において、ターニングポイントとなったモデルなのです。

絶滅危惧種だったライトウェイトスポーツを復活させた「ユーノス ロードスター」 

ハイテクな装備や高性能なエンジンを持たず、軽量かつシンプルな設計が特徴である、ユーノス「ロードスター」。その初代ロードスターが誕生したのも1989年でした。ロードスターのようなライトウェイトスポーツは、1950年~1960年代に世界の多くのメーカーから登場していたものの、安全基準の厳格化や環境問題の影響で次第に縮小。1980年代当時は絶滅に近い状態でした。

そんな時代に登場した初代ロードスター。エンジンは1.6リッターの直列4気筒、最高出力120psというパワーは、他のスポーツカーと比べるとやや見劣りするスペックでしたが、車両総重量950kgという徹底した軽量化と、前後重量配分50:50という重量バランスの適正化を追求。

 
1989年に登場した初代ロードスター。リトラクタブルヘッドライトの愛嬌あるフロントマスクも人気だった
パワープラントフレーム」とよばれる、トランスミッションとリヤデフを、アルミニウムのフレームで直結配置したシャシーは、アクセルペダルのオンオフ操作でデフが捩れるような余計な動きを抑えて、ダイレクトなレスポンスを実現し、サスペンションには高性能なダブルウィッシュボーンが採用することで、操縦安定性も確保していました。

これらによって、ドライバーの意思に忠実に反応し、正確で快適な走りを実現した初代ロードスターは、当時の価格で約170万円というリーズナブルな価格の効果もあり、世界中で大いに話題に。失われかけていたライトウェイトスポーツの魅力を復活させることに成功したのです。

■高級車のレベルを大きく引き上げた国産車 「トヨタ セルシオ
1980年代、日本車は「安くて壊れなくて燃費がいい」として、すでに世界で評価されるようになっていました。しかしながら、あくまで「大衆車」であり、ヨーロッパやアメリカの高級車と競えるような車種はなく、グローバルの自動車市場で生き残るには何かの強みや強いブランド力がないと勝負ができないと考えたトヨタは、世界の高級車に勝てる新型車を開発。それが、のちにレクサスのフラグシップの「LS」となる、トヨタセルシオ」でした。

 
日本では「セルシオ」として販売されたが、北米ではレクサスLS400として、日本でセルシオがデビューする2か月前である、1989年8月にデビューしている
初代セルシオ(レクサスLS)の開発チームが立てた目標は、当時の高級車として世界最高レベルとなる、最高速度は250km/h、燃費は22.5mpg(マイル・パー・ガロン、メートル法だと約9.56km/L)、空気抵抗値0.28、100km/h走行時の騒音58~59デシベルというもの。特に静粛性は、当時のライバルであったメルセデスベンツBMWGMといった高級車メーカーの音振性能を大きく上回っていました。初代セルシオの、まるで宙に浮いているような感覚を覚えている人もいるでしょう。

セルシオの静粛性に驚いたライバルメーカー各社は、セルシオをすぐさま買い、徹底的に研究したそう。セルシオは、その後の高級車の静粛性のレベルを引き上げるきっかけとなったモデルなのです。

Text:Tachibana Kazunori,MMM-Production
Photo: NISSAN,MAZDA,TOYOTA
Edit:Takashi Ogiyama
 
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