80年代終盤、ドライバーの感覚を勘違いしたニッサン!

パワーとトルク、80年代終盤、ニッサンはドライバーがクルマから感じ取る感覚を勘違いした。そもそも、今も、わかっているのか?

テストドライバー、日頃の運転がスロットルの開閉をムダに/頻繁に行なったりしないから、感じ取るのはパワーなのか?フツ~に、クルマでもオートバイでも、パワー感知できるくらいスルー加速できる状況など、公道には存在しない。

一般のドライバー、通常使いのスロットルオンオフ繰り返しで感じ取るのは、あくまでトルクなのだ。それも、ターボではブーストに依るトルクが違い、カタログでは表示されていない。日本やドイツ製品のカタログ、表示以上に性能がなければいけないから、ターボ車ではボトムトルクが表示されている。ある意味、計算値に近い。アクセルオン以降でブーストかかった時のトルクとは違う。

NAの出力&トルクは大抵近いが、ターボの出力は規制に合わせて抑えた値だし、トルクはフルブーストならNAの1.7倍を超したりする。

ニッサンは、初代シーマの3リッターV6ターボが売れてしまった。ブーストかかった状態では、NA5リッターに近いトルクを発生していたハズ。しかし、カタログ表示を信じ切り、インフィニティーQ45以降に搭載するV8の排気量を4.5リッターにしてしまった。また、2代目シーマには4.1リッターV8にしていた。

初代シーマに乗っていたヒトが、Q45や2代目シーマに乗り替えて、クレームで「パワーがない!」と言っていた。単に、排気量小さいから、ピークトルクが3リッターターボに劣っただけの問題だった。

ソレを全くわかってないヒト達が企画している組織だった。

トヨタは、ソアラスープラの3リッターにはターボあったが、クラウンの3リッターにはスーパーチャージャーだった。だから、セルシオで4リッターV8出しても、買い替えユーザーはトルク不足を感じなかった。

ニッサンは延々と4.5リッターV8やってるが、トヨタはV8を4リッター⇒4.3リッター⇒4.6リッター⇒5リッターと拡大している。完全に差が開いた。

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セルシオ」のライバルだった!? 日産「インフィニティQ45」は贅を尽くして話題をさらったバブル時代の悲しき名車でした
4/23(日) 7:10 Yahoo!ニュース
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トヨタセルシオ」のライバル的存在は贅沢の極みだった
 
バブル期に登場した高級セダンの代表格だ
今回紹介するのは、バブル景気に湧く1989年に登場した「インフィニティQ45」だ。1989年というのはR32型日産「スカイラインGT-R」など、今で言う名車が大挙登場した年であり、バブル真っ盛りというか、今思えば崩壊直前の絶頂期だった。それゆえ、各メーカーからさまざまなクルマが登場したが、基本的には豊富な開発費をバックにした質へのこだわり、そして豪華絢爛な作りが当たり前となっていた。いい悪いは別にして、日本車のレベルをグッと引き上げたのは確かだ。

【画像】クルマの鍵が18金! 贅沢なインフィニティQ45を見る(10枚)

バブル景気で多彩なクルマが登場した
と、総括的に言えばこうなるのだが、振り返ってみると行き過ぎた感じのクルマも少なからず存在した。大量発生という点では毎度お馴染みのマツダ5チャンネル勢はクルマとしてはよかったが、存在意義としてはよくわからなかったというのが正直なところだろう。

バブルといえば高級路線もひとつの特徴で、1989年には世界の自動車メーカーを震撼させた名車、トヨタセルシオ」が登場している。だが、その対抗馬として日産が投入したインフィニティQ45については、今思えばよくわからないクルマだった。ちなみにセルシオの登場よりも1カ月早く発売されており、ルーツとなるショーカー、「CUE-X」が登場したのは1985年のこと。どちらかがライバルとして当てたというよりも、時代の趨勢によってそれぞれが別個に登場したというのが正しいだろう。

まず車名がよくわからなかった。インフィニティとは1989年に設立された、今でもある日産の北米向けブランドである。つまり、開始と同時に最上級車種として作られたのがインフィニティQ45というわけだ。ただし、インフィニティブランドが日本に上陸するとのウワサはあったものの、現在に至るまで展開されたことはない。

インフィニティブランド日本導入のきっかけとなるはずだった
この点が当時から違和感はあった。バブルの勢いでインフィニティを日本展開したかったのかもしれないが、インフィニティQ45としてポツンと日本に投入したのだから当然だろう。レクサスが日本に未上陸なのに、セルシオだけがレクサスLS460というような車名でトヨタのディーラーで売っていたら違和感を感じるのと一緒だ。

それに対しての答えは、あくまでも「日産」インフィニティQ45であるというもの。つまりただの車名というわけだ。実際、小さいNISSANのエンブレムが付いていた。

七宝焼や漆塗りも使い贅沢に作り込まれていた
肝心の作りは贅を尽くしていた。和のテイストを取り入るというのはどのメーカーでも行われていて当時の流行りだった。インフィニティQ45ではフロントエンブレムは七宝焼。インパネは漆塗りで蒔絵も施されていたし、オプションながら18金製のキーも大きな話題になった。

走りもまさに1980年代の集大成的な成熟した内容。日本初の4.5LのV8は実質300psは出ていたとされ、足まわりも前後ともに日産お得意のマルチリンク式を採用し、さらにはオプションでアクティブサスも用意されていた。

このように売れて当然のように思えるが、実際はほとんど売れず。セルシオの対抗馬にすらなっていなかったと言っていい。理由は車名もあるだろうし、和のテイストもやりすぎた感もあったし、グリルレスとそこに輝く七宝焼きのエンブレムはなんだかバタ臭い感じもした。外国人が考える日本風と言ったらいいだろうか。

そしてなにより、狭かったのも関係していると思われる。サイズ的には全幅が1825mmで、全長も5090mmと巨大だったが、その割には狭いというのが正直な印象。当時、ピラーを内側に傾けたハードトップが人気だったので、その手法を採り入れたのはとくに変ではない。ただし、ライバルたるセルシオがキッチリとスペースを取って、クラウンの上級車種としてうまくハマっていただけに、なおさら。セドリック/グロリアからステップアップされるわけではないし、身内には大ヒット作シーマもいる。さらに1年後にはテコ入れ的に兄弟車のプレジデントまで投入されただけに、わざわざ買う理由がなかった。

インフィニティQ45は最終的に1997年まで販売され、国内的には3代目シーマとなって消滅してしまった。途中でグリルレスをグリルありにしたり、本木目を木目調にするなど、コストダウンという名のテコ入れが行われたが、当然ながら販売は回復するわけはなかった。

アメリカでは堅実に売れたからいいのだろう。またバブルのあだ花と言ってしまえばそれまでだが、今思えば出来は悪くなく、奇をてらわなければもう少し売れた気もする。セルシオ的な、日本人が本当に好むものをうまく入れていればよかったかもしれない。
近藤暁史 
 記事に関する報告

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