ホンダ最大のチョンボ、総アルミ作りNSX!

ホンダが自動車作りに於いて犯したサイテ~のチョンボが、総アルミ作りNSXだ!

ホンダは元々、オートバイをアルミフレーム作りしていたから、オートバイフレーム技術を活かして軽量高剛性化するなら大賛成だったし、高出力化するエンジンをマウントする技術にも貢献したハズ。特に、FF用にキチンとフレームでリジットマウントする技術がデキれば、FFのハンドリングも向上したろうし、FFユニット流用の横置ミドシップの高剛性軽量化にも道が拓けたろう。

それが、ワザワザ工場新設してまでアルミでペラペラモノコックや足回りを作るなんて、車両構成上のリスクだけでなく経営上のリスクまで発生させた。車両構成のせいで、ディーラーでの修理サービスすら困難になったし、パーツ流通も更なる負担になった。

NSXを作る上で、優れたクルマならレースに使うコトは不可避なハズ。しかし、オールアルミでは、レギュレーション上必要なロールケージを溶接デキない。まるで、佐々木朗希に160キロ投げさすだけ、連戦を勝ち抜き甲子園やプロ視野のない育成メニュー作った筑波大運痴学者達みたいなモノだ。結局、ホンダではワークスでグループAやレーシングNSXを出せずに、童夢などに委ねた。

二輪の技術や生産設備を活かした鋼管フレームないしアルミフレームにFRPカウルでNSXを作っていれば、バカな経営リスクもなく、コストも高くならずに済んだ。たかだかレジェンドのV6にツインカム&VTECのヘッドに換装しただけのエンジン積んだクルマに、800万だの1,200万だの値札をつけずに済んだのだ。

トヨタの3Sの2リッター直4ターボで安く優れた横置ミドシップ出した、SW20型MR2の方がコストパフォーマンスから見ても優れている。

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90年代の国産車代表! ホンダ「NSX」という世界初のアルミモノコックボディ量産車
3/10(日) 17:31 Yahoo!ニュース
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黄金時代の自動車革命
 
ホンダNSX(画像:本田技研工業
 1990年代は、日本の自動車メーカーが自由な発想での量産市販車を市場に送り出していたという意味では、日本の自動車史のなかでは特異な時代だった。

【画像】えっ…! これがホンダの「年収」です(計9枚)

 もちろんこれは突然訪れたわけではない。1980年代から継続していた好景気が1986(昭和61)年末から1987年に掛けていわゆるバブル景気として爆発。高騰をつづけていた土地神話を背景とした潤沢な銀行資金はクルマ業界に流れ込んで来た。

 ちょうどこの頃、日本車は

「ターボエンジンの高性能化」

など、技術的な革新が進んだ。好景気を背景とした潤沢な資金。そして魅力的な新技術。これらの相乗効果で自動車業界が活性化したのがまさしくこの時代だった。

 ホンダNSXはちょうどバブル経済真っただなかの1989(平成元)年にホンダのフラッグシップとなるべきプロトタイプとして発表された。発表の時点での完成度は極めて高く、早い時期での市販化も予感させるものだった。そしてその予想どおり、翌1990年9月に発売された。

 ホンダNSXのスタイルとスペックはともに刺激的だった。ホンダとしては初の量産ミドシップ2シータースポーツカー。量産市販車としては世界初というオールアルミモノコックボディ。エンジンは3リッターV型6気筒DOHCであり、ホンダの“お家芸”というべきハイテクである可変バルブタイミング/バルブリフトのV-TECも装備されていた。

 そのスタイルはあくまで低くワイドなスポーツカーとして好ましいものだった。しかし実用性能に対する配慮にも抜かりはなく、運転操作に対して気難しい箇所は一切なかった。

 さらにその充実したスペックを裏付けるかのように販売価格も極めて高価であり、

「800万円」

というその価格は、まさしくホンダのフラッグシップにふさわしいものだったといってよいだろう。

納車まで「3年待ち」
 
量産車世界初のオールアルミモノコックボディ(画像:本田技研工業
 ホンダNSXは発売直後から注文が殺到することとなり、一時は納車まで

「3年待ち」

といわれることとなる。その上、納車済みの車両のなかからは、プレミアム付きで転売される例も多々見られることとなった。いずれもバブル景気ならではの現象とはいえ、それまでの日本車市場では見られなかった、かなり異質な光景だった。

 一方、実際にこのクルマを入手したオーナー間の評価はおおむね好意的だった。もちろんヨーロッパの高級スポーツカー、いわゆるスーパーカーの感覚でこのクルマを購入した一部の人々の間では「物足りない」という評価も散見された。しかし多くの場合、そうした感覚とは異なる、あくまで

「ホンダが手掛けるスポーツカーの形」

として評価する人々が多かったということである。すなわちオーナーの多くはスポーツカーのファンというよりは、あくまでホンダファンだったということである。

 ホンダNSXはこうして日本のホンダが手掛ける、あくまでホンダ流のスポーツカーとして順調なスタートを切ることとなった。国内販売とともに海外への輸出も開始され、そこでも好意的に迎えられた。日本国内価格は確かに高価だったが、諸外国の少量生産スポーツカーと比較してみれば、そのスペックに対しての価格設定はむしろ割安感さえあったといってよいだろう。

 ちなみにホンダはNSXの量産決定を受けて、そのオールアルミモノコックボディを生産するための溶接設備を整えた専用工場を栃木製作所のなかに新設した。NSXの“聖地”といわれることとなる高根沢工場である。

 一般に極めて高価な高性能スポーツカーとは、小さなファクトリーで手作り同然に製造されるものというのがスタンダードだった時代の話である。そのスペックはともかく、完成車はあくまで量産車とするというホンダならではの姿勢はこうしたところにもよく現れていた。

30年以上の時を超えた魅力
 
Honda NSX, version NA1 (1990-1996), 米国、カナダ、香港ではAcura NSXとして販売。この車は1994年以前のモデル(画像:ed g2s・talk
 ホンダNSXは本格的に量産体制が整った1991(平成3)年に至り、誕生する上で大きな動機となったバブル経済が崩壊という逆風にさらされることとなった。

 その結果、発売直後からの注文殺到は多くのキャンセルとともに解消することとなったが、クルマの価値がそれで毀損(きそん)されたわけではなく、生産ペースに余裕が生じたこともあって、

「本当に必要な人のもとに確実に届ける」

というスタイルで生産は継続された。

 発売から約15年が過ぎた2005年7月。海外での新しい排ガス規制への対応が困難となることが確実になったこと。さらに生産開始から既に長い時間が経過していたこともあり、同年12月での生産中止が発表された。

 この間、大々的なモデルチェンジは行われなかったものの、スペックやディテールの変更は適宜行われており、その中でも1992年の終わりに追加された高性能バージョンであるNSXタイプRは、さらなるイメージアップに大きく貢献した。

 NSXにおける「R」はタイプRの後にはNSX-Rが2002年に投入されているが、こちらは専用の炭素繊維強化プラスチック(CFRP)のボディパーツなどが採用された軽量化モデルだった。

 生産開始から終了までの総生産台数は1万8734台。このなかで日本国内での販売台数は7415台である。興味深いのは日本国内で販売されたなかの大部分は1991年までに受注した初期型であり、1990年代半ば以降の生産モデルや、いわゆるRが付くモデルはいずれも極めて希少である。

 NSXは、ホンダがその総力を注ぎ込んだ1台という意味では、まさしく

「1990年代の国産車を代表するモデル」

だった。現時点で既に30年以上も前の設計ではあるが、依然として熱心なファンのもとで、販売された個体の多くが生存している。

 1990年代の日本車は、全てのメーカーに共通した現象として次から次に新型車が登場し市場はにぎわった。その一方で後継車が産まれず一代限りとなったモデルも少なくない。

 そうしたなか、情熱あるファンのもとで大切にされている個体が多いNSXは、クルマとしては幸運な余生を送っていることは間違いない。願わくば、日本車の歴史に重要な足跡を残した存在として1台でも多く生きながらえてほしい存在である。
矢吹明紀(フリーランスモータージャーナリスト)
 
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