アマプロ問わず、野球で個人が勝利に最大に貢献するなら・・・。

野球、攻守でフィールドに出られるのは、両チーム9人ずつだ。試合の結果とは、その9人ずつが勝利のためにどれだけ攻守で良い結果を出せるか、得点を稼ぎ失点を防げるかなのだ。

特に、高校野球ではチームのグレードが分かれている。頂点は甲子園春夏制覇を狙えるチーム>甲子園上位進出するチーム>甲子園当落線上のチーム>地区予選のチームという感じだし、それぞれのチームの中で、どれくらいの役割を果たせるかだ。

大谷翔平がいた頃の花巻東、まだまだ甲子園当落線上の高校、デキる限り投げるし、投げない時も4番打者として活躍する必要があった。チームの勝敗を背負うエースメンタルをこうして育んだ。甲子園春夏制覇のため、投げるコトに専念デキた松坂大輔藤浪晋太郎にもない意識の高さだ。根尾昂は近かったが、投げるコトから少し解放されていた。

二刀流の形だけ模した選手を仕立てても、この10代中盤を経ていない選手にメンタルは伴わない。ソレは、勝負所での集中力やファイティングスピリットに如実な差となって表れる。

自分は投げるだけとか、スゴいタマ投げてたら甲子園出られなくても高校選抜に呼ばれるとか考える選手には全く備わらない。

 

 

 

 

 

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“二刀流”への批判は想定内だった…大谷翔平を応援し続けた、日ハム・栗山英樹が耳にした「衝撃の一言」
3/22(金) 7:03 Yahoo!ニュース
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写真提供: 現代ビジネス
 2023年のWBC侍ジャパンを世界一へと導いた監督・栗山英樹。その人生に刻む指針や言葉について綴ったのが、新著『信じ切る力 生き方で運をコントロールする50の心がけ』だ。「日本ではプレーしない」と宣言していた高校生の大谷翔平選手に対して、栗山氏はメジャーリーグでの豊富な取材経験に基づき、「日本でプレーする意味」を熱心に伝えたという。その時の大谷選手の様子、そして監督としての思いを本書から紹介する。

【写真】大谷翔平がメジャーに行く前に「熟読していた文庫本」…その「正体」

 記事前編は「『指名されても行きません』アメリカ行きを希望していた高校生の大谷翔平。それでも、日ハム・栗山英樹がドラフト1位指名をした“納得の理由”」から。

北海道日本ハムファイターズ、入団交渉の裏側
 
2023年WBCにて/photo by gettyimages
 翔平はあのとき(ドラフト指名後の面会時)も、何も言わず、じーっと僕の目を見て、しっかり話を聞いていました。うんでもなきゃ、すんでもない。でも、一番大事なとき、翔平はいつもそうやって人の話を聞くのです。

 12月9日、翔平が自ら最終決定を下したときは、実は喜びよりも申し訳なさでいっぱいになっていた自分がいました。「日本ではプレーしない」という高校生の宣言を、僕たちがひっくり返させてしまったからです。ただ、僕はそれが翔平のためになると信じていました。

 親御さん、花巻東の佐々木洋監督や流石裕之部長にもご迷惑をおかけしてしまいました。これは、結果で恩返しをするしかない、と思っていました。

 翔平自身が、どう考えて決断をしたのかはわかりません。侍ジャパンに来てくれたこともそうですが、最後にスイッチが入った瞬間は、翔平にしかわからない。ただ、どこに向かえば自分のやりたい夢に挑めるのか、その嗅覚はしっかり持っていたのだと思います。

どうして理解してあげられないのか
 僕は当初から、翔平の二刀流を一度たりとも疑ったことがありませんでした。ただし、環境は心配していました。入団後もプロ野球に携わる多くの大人たちが、こぞって「無理だよ」と言っていたのです。ピッチャーとバッターの両方なんて、できるはずがない、と。こうした環境こそが最大の難敵だと僕は思っていました。

 大リーグでも認められ、スーパースターとなった今ではすっかり忘れてしまっている人がほとんどだと思いますが、当初は日本で二刀流に対して、「そんなことができるはずがない」という逆風が吹き荒れていたのです。

 僕は「大丈夫か? まわりの声は」と翔平に聞いたりしていましたが、「え、何のことですか?」と返してくる。そんな反応をいつもしていました。本当に頭のいい子なのです。状況を瞬時に理解してしまう。

「いやぁ、想定内だったですね」大谷の返答
 
2017年に行われた入団会見/photo by gettyimages
 実は初めて会ったときは東日本大震災直後だったのですが、親を津波で亡くしたチームメイトがいる中、きちんと気遣いながら適切な対応を取っていることが、とても印象に残りました。野球のことだけでなく、いろんなことが考えられる子でした。

 ファイターズでの5年間が終わり、アメリカに渡るときのことです。まわりからの批判もある中での二刀流挑戦について、改めて「翔平、どう感じていた?」と聞いたことがありました。「いやぁ、想定内だったですね」という答えが返ってきました。

 何を言われるのかもわかっていた。その中で自分がどうやるかだけを考えていたのだと思います。

「本当に両方できるんです」と大声で伝えたかった
 
撮影/塚田亮平
 僕自身は当初、「18歳の少年が壮大な夢に向かって努力しているのに、初めから否定しないでほしい」「理解してあげてほしい」と寂しい思いをしていました。若い子が「これをやってみたい」と思っているなら、応援してあげるべきだと考えていたのです。

 ただ、そういうことも翔平はわかっていた。自分の耳に入ってきていると知ると、監督の僕が苦しくなると考えていたのでしょう。僕に気を遣って、そっけない返事をしていたのだと思います。

 僕は、できるだけ批判の矛先がこっちに向くように、と意識していました。翔平を壊すことに比べたら、それでクビになるほうがラクだと思っていました。反対意見はあるだろうし、その矛先を向けられるのは、監督であるべきなのです。

 ただ、二刀流に懐疑的な人たちは、もしかしたら翔平の本質を知らないだけかもしれないと思っていました。「本当にすごいんです」「本当に両方できるんです」と大声で伝えたかった。

 「下半身が疲れたらピッチャーは肩肘に負担がかかって壊れる」など、反対の理由が具体的に挙がってきたときには、それをしっかりとクリアするようにしました。

 さて、翔平が本来どんな選手だったか。大リーグでの驚くほどの活躍を見て、今や疑う人は誰もいないと思います。

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栗山英樹
1961 年生まれ。1984 年にヤクルトスワローズに入団し、1990 年まで活躍。その後スポーツキャスター、野球解説者に転身した。2011 年 11 月、北海道日本ハムファイターズの監督に就任。2021 年までファイターズの監督を 10 年務めた後、2022 年から日本代表監督に就任。2023 年 3 月の WBC では、決勝で米国を破り世界一に輝いた。2024 年から、ファイターズ最高責任者であるチーフ・ベースボール・オフィサー(CBO)を務める。
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栗山 英樹(野球指導者、元・野球選手)
 
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