アルテッツァ、セリカ病シルビア病に感染!

バブル期、80年代終盤のシーマやR32GT-RやZ32の好評で、ニッサンだけでなく、日本自動車メーカー全体が迷走を始めた。シーマなどを買う顧客層とその下のクルマを買う顧客層との差を読めず、日本市場の5ナンバー枠軽視、日本国内購買力の見誤り、90年代車両のサイズ設定を根刮ぎ誤った。

何故5ナンバーか、それは当時の道路や駐車場や車庫がそのサイズの普及を念頭に設定されているからだ。もちろん、通るコトや停めるコトはデキても、ドアを開けて昇降し、トランクやボンネットを開けて荷物を積み降ろしするコトも必要になる。クルマとは生活の一部なのだ。

本来、技術者が暴走してハミ出そうとしても、ソコにブレーキをかけるのは事務職や役員らの仕事だ。

80年代終盤から90年代序盤に企画されたクルマ、トヨタセリカニッサンシルビアやホンダプレリュードは軒並車幅3ナンバー化した。それも、たった2・3センチというみみっちさ!エンジンも2.5~3リッター化して、車幅も1.8mくらいにするなら潔いが、バカが過ぎた。

アルテッツァセリカ系3SGを積み、その流れに続いたクルマだ。たった2センチハミ出した車幅3ナンバー車両だ。日本のクルマ作りのリーダーとして、トヨタが範を示すべきだったのだ。2リッター直4に6MT、優れた機能を持つ5ナンバーセダンとして出すべきだった。イヤ、仮にジータ同様、アリストの3リッター直6を積む目論見があったなら、車幅1.8mくらいにして、3リッター直6ターボすら積めば良かったのだ。そうすれば、完全にニッサンスカイラインすら凌駕するセダンにデキたのだ。もちろん、マークⅡ系も凌駕したろうが。

ソレくらいの迷車だ。

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アルテッツァって名車? それとも迷車? トヨタ渾身の力作ミッドサイズセダンはなぜ1代で消えてしまった?
4/17(水) 22:00 Yahoo!ニュース
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ベストカーWeb
 トヨタアルテッツァを覚えているだろうか?1998年10月30日にデビューした4ドアセダンだ。全長4400mmと比較的コンパクトで、ハイパワーエンジンを搭載。このクラスのFF化が推進される当時の流れにあって敢えてFRを採用するということで、開発の情報が漏れ伝わった前年頃から「ハチロクの再来か?」とか「BMW3シリーズに比肩するスポーツセダンがトヨタから登場する」など、ベストカーのみならず、自動車雑誌界隈では話題沸騰!!期待がワクワク盛り上がったのでありました。さて、アルテッツァとはどんなクルマだったのだろうか!?

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 文/梅木智晴(ベストカー編集委員)、写真/ベストカー編集部

期待にたがわぬスペックに胸膨らむベストカースタッフ
 トヨタアルテッツァがデビューしたのは前述の通り1998年10月30日。形式名を「E10型」といい、海外に向けてはレクサスブランドのコンパクトセダン「レクサスIS」としてデビューした。この当時、日本国内ではレクサスブランドを展開していなかったため、国内向けにはトヨタブランドで「アルテッツァ」と名付けられたのだった。

 全長4400mm、全幅1720mm、全高141mmでホイールベースは267mm。サイズ感としては同時代のコロナプレミオ(11代目、T210型)の全長が4520mm、日産プリメーラ(2代目、P11型)が4430mm、ブルーバードSSS(10代目、U14型)が4565mmなので、4700mm級のマークやローレルクラスよりもワンサイズ小さい、ミドルサイズセダンという位置付けだったことがわかる。

 同クラスのライバル車はみなFFなので、敢えてFRを採用したアルテッツァにクルマ好きの期待が高まるのは当然のことだった。ちなみに、当時も今もミドルサイズセダンのベンチマークとされるBMW3シリーズ(E36型)の全長は4435mm、全幅1695mm、全高1395mmだったので、サイズ感的にも3シリーズとガチンコを狙ってきたことが見て取れる。

 比較的短い2670mmというホイールベースにフロントオーバーハング=750mm、リアオーバーハング=980mmと前後を切り詰めたプロポーション。直4エンジンを搭載する「RS200」グレードではエンジンをバルクヘッド側に押し込んで前後重量配分を54:46とするなど、パッケージングもフロントミドシップ的で本格派だ。

 搭載されるエンジンは直列4気筒DOHC、1998の3S-GE型と、直列6気筒DOHC、1998の1G-FE型。いずれもNAで、特に6速MTが組み合わされる3S-GEは最高出力210ps/7600rpm、最大トルク22.0kgm/6400rpmというハイスペックがおごられた。

 これはいやがおうにも期待が高まるというものだ。

 それを証明するように、アルテッツァ初めて紹介する1998年12月10日号(11月10日発売)では「FRの守護神」と題し、16ページを割いて徹底的に、多角的に解剖している。ちなみにこの号では2カ月後の1999年1月にデビューするR34GT-Rが、ニュルブルクリンクで初めてベールを脱いだ姿で走った姿を伝えてもいる。そう、初出しのGT-Rを抑えた大特集を組んだのだ。期待の高さがうかがえるだろう。

早朝のヤタベでアルテッツァvsライバル対決徹底テストを敢行!!
 続く1998年12月26日号(11月26日発売)ではデビューしたばかりのアルテッツァRS200とAS200をヤタベの高速周回路に連れ出してスカイラインインテグラタイプRなどのライバル車との比較テストを実施した。

 210ps、22.0kgmを発揮する直4、2リッターNAエンジンに6速MTを組み合わせたアルテッツァRS200のゼロヨンタイムは14秒836。1998年当時のテストデータを見ると、GT-Rランエボなどの280馬力ターボ4WD軍団は12秒台中盤。FD3SRX-7が13秒38というタイムをマークしている。

 2リッタークラスのNAエンジンを搭載するモデルだと、MR2 Gリミテッドが14秒73、三菱FTO GPXが15秒00、2.2リッターのプレリュードSiRが14秒20、3リッターNAのスープラSZ-Rが15秒05なので、アルテッツァRS200の動力性能は期待を裏切らない高性能だった。

 ハンドリング面でも基本的には軽快で心地よいと評価されたのだが、RS200 Zエディションに装着される215/45R17サイズのタイヤがややオーバースペックで、AS200などに装着される195/65R15タイヤのほうがマッチングがいいというのがベストカー執筆陣の評価であった。

2005年、1代限りでアルテッツァの名は消滅してしまった
 このようにデビュー直後には期待をもって受け入れられたアルテッツァだったが、当初の期待や評価のわりに販売面では今ひとつブレイクできなかった。それには当時も思っていた「理由」があった。

 たしかに動力性能は高く、ライバルを圧倒する加速を楽しめる3S-GEエンジンだったが、低速域でのトルクが薄く、高回転をキープしないとパンチを味わいきれない扱いづらさがあったのだ。8000rpm手前まで一気に吹け上がるのだが、トルクが盛り上がりアクセルレスポンスもシャープになる6000rpmあたりから振動や音が大きくなり、6速MTのシフトノブにビリビリ振動が伝わるなど、荒さが目立ったのだ。

 直列6気筒の1G-FEを搭載するAS200は滑らかなエンジンフィールでBMW320のような雰囲気を感じさせるものの、160ps/6200rpm、20.4kgm/4400rpmに4速ATの組み合わせがややアンダーパワーに感じられた。2000年5月にAS200に5速MTが追加されたのだが、これはエンジンのオイシイところをうまく引き出せて楽しかった。が、ミッドサイズセダンで3ペダルMTは、やはり主流とはならなかった。

 2001年7月に、ステーションワゴンの「ジータ」が追加されるのだが、ジータにのみ搭載された直列6気筒3リッターの2JZ-GEエンジン(最高出力220ps、最大トルク30.0kgm)が最初からセダンにも搭載されていたら、アルテッツァの評価は大きく異なっていたのではないかと思うのだ。北米や欧州に向けたレクサスISでは当初からセダンにも3リッターエンジン搭載モデルが用意されていたので、これの国内投入が当時は期待されたのだがかなわなかった。

 アルテッツァのデビューに際し、クルマ好きの若い世代は「ハチロクの再来」として、スポーティに走るFRスポーツを求めたし、一方でもうちょっと年齢層が上の世代は、BMW3シリーズを凌駕する上質で運転の楽しいスポーティセダンを求めたのだ。

 その意味でアルテッツァは、やや"どっちつかず"の存在になってしまったのだ。工夫を凝らしたクロノグラフ風のメーターは、デザイン的には面白かったけれどBMW3シリーズの雰囲気を望むユーザーにはちょっと子供っぽく感じられた。さらにAS200の4ATモデルでは動力性能に物足りなさがあり、BMW320のような乗り味には一歩及ばなかった。

 とはいえ、AS200の価格は207万円からという設定でBMW320に比べて圧倒的に安価だったのだから、しっかりとアピールすればバリューの高さで勝負できたと思うだけに残念だ。

 一方でFRスポーツらしいドリフトコントロールを楽しみたい向きには、RS200の低速トルクの薄さと1340という車重がネックとなり、自在なコントロール性を味わうことが難しかった。最高出力をちょっと落として低中速域のトルクのつながりを厚くしたなら、もっと軽快で楽しい操縦性が得られたかもしれない。RS200の価格は最上級のZエディション6MTで250万円だったので、今にして思えばお買い得だった。

 結局アルテッツァは2005年7月に販売を終了する。同年8月、日本国内でのレクサスブランド展開に伴ってアルテッツァ(海外ではレクサスIS)はレクサスブランドへと移行され、グローバルで2代目レクサスISへとモデルチェンジをした。このためアルテッツァの名称は1代限りで消滅することとなったのだが、現在のレクサスISアルテッツァのDNAは受け継がれているのだ。

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