本来、ポルシェも認められるハズだった!

そもそも、ポルシェのネーミングフィロソフィーはプジョーとは違った。ポルシェが適切な反論をすれば、ネーミング901でも通せたろうし、あくまで車両型式901で展示しただけだった。

まあ、確かに紛らわしかったろう。アタマ9に4気筒や6気筒で、レーシングモデル904や906などを発表していた。かと言って、917は12気筒、全然関係なかった。単に、開発順番みたいなモノだった。プジョーなんかとは、更々違う。フツ~に主張すれば、終わっていたハズだった。

フェラーリは、シリンダー1気筒辺りの排気量や排気量+シリンダー数で3ケタを作った。ハナっから、プジョーのネーミングフィロソフィーなど、意にも介さなかった。タマに355など、3.5リッター5バルブというのもあったが。

プジョー308とフェラーリ308GTB、更々違った。フェラーリは3リッターV8、プジョーは3リッターでもV8でもない。ピニンファリーナデザインという共通項しかない。

フェラーリだったら、プジョーが難癖つけても、無視したろう。

 

 

 

 

 

 

 

******************************

ポルシェは拒否られるもフェラーリならOK!? プジョーフェラーリに同一車名の「308」が存在するワケ
2022/05/27 18:32 WEB CARTOP3

8/8
Prev
すべてみる
全8枚
309の価格・グレード・レビューなどの情報を見る
 この記事をまとめると

■308として3世代目を数えることになる新型308をプジョーが発表した

A・B・Cと続くが「Dがなく」てE? メルセデス・ベンツの車名に「抜け」がある謎

プジョーは101から909までの真ん中がゼロの3桁の数字を車名として登録している

■901で発売しようとしたポルシェは認められなかったのにフェラーリ308はお咎めなしだった

 101から909までの真ん中ゼロの3桁数字を登録しているプジョー

 春先より、日本市場にもついに導入されたプジョーの新しい308。ぼやっとしていると忘れがちだが、「308」というネーミングですでに3世代目に突入しており、フランス本国や欧州では区別する際には「308III」とか、ローマ数字を末尾にかまして世代を表すことになってしまった。まるで革命前のフランスでルイと名のつく王様が、18世代あたりまで続いたように……。

「308」が308でネーミング上では時を止めた理由は、「309」が存在していたことが大きいといわれる。プジョー出世作にして売れっ子ハッチバックだった「205」と基本コンポーネンツは同じながら、ノッチバックボディに小さなトランクを備えた、あれだ。あちらには後があったのに、今になって後がなくなったとでもいおうか。

 プジョーのネーミングは、合理的なようでナゾに包まれていることが多々ある。戦前の自動車黎明期、エンジンにスターターというものがなくてクランクで回していた頃、車名のゼロがちょうどクランク棒を突っ込む穴になっていた、というのは有名な話。そして1930年代、まだ欧州でも登録商標という概念ができて間もない頃に、将来の車名を考えて3桁の101から909までの真ん中ゼロの数字を、プジョーは全部登録したといわれる。第二次大戦でガラガラポンが訪れた1950年代にもプジョーは再度登録したとか。

 それで1960年代になって、まだシュトゥットガルトの小さなメーカーだったポルシェが「901」の名で新しいスポーツカーを発表した際、プジョーに嚙みつかれて「911」となった逸話は、あまりに有名だ。

 ところが例外は当然、フェラーリ308GTB/GTSだ。21世紀のコンパクト・ハッチバックと丸かぶりすることが1975年の登場時に予想していなかったことも考えられるが、そのため万難を排して901の時はポルシェに噛みついたプジョーが、なぜフェラーリには無抵抗だったのか?

 フェラーリには1気筒辺りの排気量をネーミングに使っていたが、1970年代頃は排気量を頭の数字にもってきて後の2桁が気筒数を表す、というロジックとの過渡期だった。365BBか512BB、当初400iが後に412になったりしたのも、そんな理由による。問題の308は1975年に登場。

 246ディーノの後継という位置づけで、この頃になるとエンツォ・フェラーリもさして興味のなかったロードカーの重要性を意識するようになっていたといわれる。よって308のネーミングには新しいロジックが適用され、排気量3.0リッターに8気筒エンジン、という意味で真ん中はゼロとなった。

 エンツォの愛車とピニンファリーナが暗黙の了解を生んだ?

 フェラーリプジョーに許可を求めたという話も記録もないし、プジョーの側でも許諾したという公式な話はない。なのに、なぜ揉めもせず? というナゾには、諸説ある。

 ひとつは、フィアットと合併する以前、エンツォ・フェラーリが1960年代からプジョー404を普段使いで乗っていたという事実。いわばプジョーにとっては顧客であり、文句をいえる筋合いになかったという説だ。もうひとつは、そもそも実用車然としたプジョーと、エキゾチック・スーパーカーの粋であるフェラーリとは、世界観がまるで違うから、真ん中ゼロの似たネーミングでも混同される恐れはないだろう、そんな暗黙の了解があったというもの。互いの領分を認め合っているからこそ、という話だ。

 もうひとつ有力なのは、1970年代頃からプジョーピニンファリーナをデザイン・コンサルタントとして仰いでいた。当然、その顧客にはフェラーリも名を連ねており、各社のお偉いさんレベルが互いに赤の他人であるはずも、仏伊間でワインや食事を挟まない交流などあるはずも、ない。というわけで雑談的紳士協定が結ばれていたことは、ビジネス期間の長さを考えれば確実……というものだ。

 その後、1980年代半ばになってプジョーが自社のデザインスタジオから生まれた205を大ヒットさせ、そのカブリオレ・バージョンのリデザインと生産をピニンファリーナの生産拠点が請けたことが、転換点だった。

 むしろスーパーカーの領域を侵したのはプジョーの側だ。2004年、プジョーはデザインセンター「ADN(英語でいうDNA)」落成の記念として、V12気筒のスーパースポーツGTコンセプトを制作した。それが907で、大口グリルに攻撃的なとんがりノーズは、初代こと308Iに継承された。手がけたのは当時のスティル・プジョーを率いたチーフデザイナーで1970年代からの生え抜き、故ジェラール・ヴェルテールだ。彼は自分のプライベートチームでル・マン24時間に参戦するほどのカーガイでもあった。

 つまり308とは、308Iの当時に立ち返れば、「スーパーカーになろうとしたコンパクト・ハッチバック」。308II、308IIIになってもシュッとした見た目のカッコよさは欠かせない要素で、スーパーカーに文句をいえる立場では全然ない! という一台なのだ。こんな成り立ちのクルマが先代あたりから、あの生真面目なゴルフを越える完成度にまで高められたと評されているのだから、世の中すっかり変わったものだ。

******************************

今宮に投げさせ・・・藤本監督、その程度の理解!

ソフトバンク藤本監督、中日立浪監督の根尾二刀流起用に「今宮がおったら投げさせたかも。」だって?二刀流に対して、いや、投手スキルに対してこの程度の理解しかないのか?確かに、今宮は甲子園でもマウンドに立ったが中田翔同様、それほど投げても勝ち抜いてもいない。甲子園4季を投げ、勝ち抜いた投手とはスキルレベルが段チなのだ。

ソフトバンクにも、ソコまでの甲子園勝ち抜き経験者はいない。春夏制覇の島袋も大学で壊れた後の入団で、東浜も亜細亜大イメージだろう。

単なるポジションスキルと、投手/捕手スキルは精神面含めてレベルが違う。

甲子園でなくとも、どんなスポーツや部活動でも全国レベルの大会を勝ち抜くスキルは、勉強で国公立大に行くスキルにも相当する。

結構節穴指導者のように感じる。

 

 

 

 

 

 

*******************************

ソフトバンク】藤本監督、中日根尾登板に理解「今宮おったら投げさせてるかもわからんもんね」
5/27(金) 15:56 Yahoo!ニュース
  9
ソフトバンク藤本監督(2022年5月20日撮影)
日本生命セ・パ交流戦ソフトバンク-広島>◇27日◇ペイペイドーム

ソフトバンク藤本博史監督(58)が、中日の「ピッチャー根尾」に共感した。

【写真】21日の広島戦、6番手で登板する中日根尾

監督就任後初めての交流戦で、セ・リーグ本拠地でのDeNA3連戦を戦い終えて、投手起用の難しさに言及。藤本監督はこれまで、中継ぎ投手の3連投をさせないようやりくりしてきており「昨日は最後の板東使いたくなかったんよね。わかるわ、中日の立浪が根尾を投げさせたの。心境わかるわ、本当に。今宮おったら投げさせてるかもわからんもんね」と、思わぬ形で板東が2連投になってしまったことを嘆いた。

前日26日のDeNA戦では8回の攻撃で、2死一塁から8番打者の代打デスパイネが中前打。3番手で登板していた笠谷に打席が回ったことで、代打を送る選択となった。「言い方悪いけど、デスパイネが打たんかったら、板東が投げんでよかったんよ。そんな感じになってくるよ。でも打たんかったらって思わないよ。打ってくれって思うしね。試合やってる以上ね。でも打ったら板東使わなあかんなってなってきたら、セ・リーグ難しいよね」と悩ましそうに振り返った。

*******************************

ほぼ170キロ!ベン・ジョイス、投げ方が大勢みたい。

ほぼ170キロ!テネシー大ベン・ジョイスのクローザー?本人はファーストボールしか投げてなくても、リリースの時のかかり具合でホップしたりツーシーム的に動く。

あの溜めたスリークオーターの投げ方が、早実斎藤佑樹の投げ方をリズミカルにしたようにも見えるし、巨人の(翁田)大勢に似ている。大勢の方が、よりスピンを効かせたボールリリースになっているように見える。

9点リードしてるのに、ワザワザ起用されてるのは多少不思議だが、今にメジャーで見れるのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

********************************

最速170キロ大学生、力勝負で投じた“浮き上がる103マイル”に米興奮「ライズボール」
5/27(金) 13:33 Yahoo!ニュース
  10 
テネシー大のベン・ジョイスが1回全て直球勝負
 
テネシー大のベン・ジョイス【写真:Getty Images】
 米大学野球で、最速105.5マイル(約169.7キロ)を誇るテネシー大のベン・ジョイスが26日(日本時間27日)のヴァンダービルト大戦に登板。9回の1イニングを無安打1奪三振、3人で封じて10-1の勝利に貢献した。11球全てが速球で、しかも100マイル(約161キロ)超え。「ライズボール」「ワオ」と米ファンも衝撃を受けている。

【動画】「ライズボールだ」「ワオ」 高めは伸びあがる凄まじい剛速球、ジョイスが11球全て直球勝負を挑んだ実際の映像

 相変わらず速い。大量リードの9回にマウンドに上がったジョイス。この日は打者3人に、全球ストレート勝負だ。低めにズドンと決まったボールもあれば、高めに伸びあがるような103マイル(約165.7キロ)の剛速球も。結局投げた11球全てが100マイル超え。力勝負で外野フライ2つと空振り三振に仕留めて試合を締めた。

 MLB入りが期待されるジョイスの投球を「ピッチングニンジャ」の愛称で知られる米国の投球分析家ロブ・フリードマン氏がツイッターに公開。米ファンからは「明日からMLBで活躍できる」「ワオ」「9点ビハインドでこんな速球投げられる気持ち想像してみて」「ライズボール」「この球を捕れる捕手も一緒にドラフト指名しないといけない」などとコメントが集まっていた。
THE ANSWER編集部

********************************

大魔神、解説者目線!ベンチやブルペン視点ナシ。

オリックスと巨人の試合に、"大魔神"佐々木主浩が解説者やっていた。

カレは引退以降、監督はもちろん、コーチもやっていないハズ。その視点を持ち得ないのはわかる。しかし、中継や抑え投手としての"ブルペン"視点もないのか?

"ボール見てたら"のボールとは、タマの威力やキレの話か?コントロールが思うように行ってるか、抜けがないかまで見て、言ってたのか?

ブルペンにも大抵テレビ設置されてて、ゲームの進行やマウンドの様子は見えていたハズ。カレが9回完投行けるのか、どうせ8回までか、打順の巡り合わせまで見てないと行けない。まして、ブルペン陣にとって、回の途中で走者がタマって交替はされたくない。

そうあわせて考えたら、先発山崎福の余力あっても仕方ないのだ。

オリックスには、左右中継は結構いる。抑え平野まで、タマ筋違う継投がデキる。

 

 

 

 

*********************************

佐々木氏、7回1失点のオリ・山崎福の交代に納得いかず…
5/27(金) 8:00 Yahoo!ニュース
  86
オリックス・山﨑福也
● 巨人 2 - 3 オリックス ○
<3回戦・東京ドーム>

 26日に放送された『ニッポン放送ショウアップナイター 巨人-オリックス戦』で解説を務めた佐々木主浩氏が、オリックスの山崎福也の交代について言及した。

 山崎は巨人打線を3回まで完璧投球。2-0の4回に先頭打者の丸佳浩に一発を浴びたが、5回まで2安打1失点に抑える。6回と7回にも安打を打たれたが、いずれも内野安打。7回を投げ終えた時点で、109球、4安打、5奪三振、1失点と抜群の投球内容だった。

 佐々木氏は8回表の攻撃中、「ボールを見てたら全然いけますよ」とチクリ。「球数がどうのこうのという時代ですけど、ボールを見て代えた方がいいですね。(巨人は)嬉しいですよ。全然打てないピッチャーが代わるわけですから。80球でも精神的に疲れるピッチャーがいますから、ボール見て判断するのが一番いいと思います」と山崎の交代に納得がいかなかったようだ。

 山崎のかわった直後の8回に、2番手・本田仁海が丸佳浩に適時打を浴びたが、オリックスはなんとか逃げ切り山崎は勝利投手を手にした。

 試合後、佐々木氏は山崎の投球について「テンポ、コントロールが素晴らしかった。巨人打線にスイングをさせなかった」と評価していた。

ニッポン放送ショウアップナイター
BASEBALL KING

*********************************

ニッサンシルビア、フェアレディーZと共用復活できなかった?

ニッサン初代シルビア、当時はフェアレディーと共用、SR311に対するSP311だったか。2代目はロータリー搭載の話もあったが立ち消えた。3代目以降もレースやラリーに使われ、FJ24を積んだ240RSなどもあった。S12型は、R30型スカイラインとFJ20を共用したが、マイチェン後CA18に統一された。CA18はS13型まで引き継がれ、マイチェンでSR20にチェンジされた。S14で車幅1.7mを超し、顧客が離れた。S15でサイズを戻しても、他メーカーの同級車両の戦闘力には遥かに劣った。

今回、フェアレディーZに新しいプラットホームを充てられず、Z34型をキャリーオーバーする破目になっている。何故、シルビアと共用してでも、いっそR35GT-Rと共用してでも、別のプラットホームを充てられなかったのか?

ニッサンのクルマ作り、発想もリソースも末期的状況になっている。

 

 

 

 

 

 

 

********************************

これぞ「桁違いプライス・カー」 初代日産シルビアを振り返る
5/26(木) 19:00 Yahoo!ニュース 
ベストカーWeb
 佳き時代の日本に「桁違いプライス」のクルマがいくつか存在した。クラウンが3台買えるといわれたトヨタ2000GTは、特別性能、特別仕立てのスーパーGTだった。

【画像ギャラリー】名車の源流がここにある!!今も熱心な愛好家が存在する初代日産 シルビア(4枚)

 ロータリー・エンジンを引っさげて登場してきたコスモ・スポーツは確かに世界に無二の存在だった。もうひとつの桁違いプライスのクルマ、いすゞ117クーペはイタリアンテイストの手づくりボディが個性を輝かせていた。そんななか、日産が送り出したのは……そう、シルビア。

 120万円という価格はセドリックの最上級モデル「カスタム6」よりも20万円高の設定。さて、それをどう考えるか。前二者に較べると価格差はそれほどでもない。特別感が少し足りなかった、と見るのか、「真っ当な」上級車と見るのか。

 ともあれ、わが国自動車史の中で、ちょっと気になる存在であることはまちがいない。

 いまも熱心な愛好家が存在する。初代シルビアの誕生からその後について紹介しよう。

文、写真/いのうえ・こーいち

■1964年の第11回「東京モーター・ショウ」
 
1965年に発売された初代日産 シルビア(トヨタ博物館収蔵)
 1964年といえば、初めての「東京オリンピック」が開催された年だ。それまでの「全日本自動車ショウ」から東京モーター・ショウに名前を変えたショウは、オリンピックの聖火を運んだグロリアも展示され、華やかなモデルが並んだ。

 参考出品のマツダ・コスモ・スポーツは注目の的だったが、のちにトヨタ・スポーツ800になるパブリカ・スポーツやホンダ「エス」などが市販車に近い形で並べられ、より身近かになった憧れのスポーツカーに大盛況のショウであった。

 そんななかで日産のブースに展示されたのが「ダットサン・クーペ1500」。シャープなエッジで構成されたクーペ・ボディはそんなに派手ではなかったけれど、充分に魅力的であった。

 そもそも、その時期わが国のメーカーはどう進化していくか、さまざまな模索をしていた。当時からデザイン的には一歩先んじていたイタリアン・カロッツェリアにデザインを依頼した例も少なくなかった。

 カロッツェリアメイドを売りものにするもの、逆に公表しないものもあった。カロッツェリアはデザインするだけでなく、試作車(それも走行可能な)まで製作してくれ、そのままショウに飾れるのも大きなメリットであった。

 シルビアはドイツ人デザイナー、アルブレヒト・ゲルツをコンサルタントに招いて、社内でデザインされた、という。

 最近でこそ、誰がデザインしただとかいろいろ個人名が発表されているが、「公式」には上記の通り。ゲルツは米国に渡って、有名な流線型デザイナー、レイモンド・ロウイに師事し、米国で多くのクルマをプロデュースした自動車輸入代理業を営むマックス・ホフマンの仲介でBMWの503や507をデザインした。

 シルビアの「クリスプカット」と呼ばれるエッジの立ったデザインは、普通の量産モデルでは見られない個性を際立たせていた。

 ゲルツはさらに日産-ヤマハでプロトタイプA550Xをつくった。日産2000GTとも噂されたそれは結局は試作に終わり、トヨタ-ヤマハのラインでトヨタ2000GTがつくられたのは、その背景の複雑さが伺い知れる。

■フェアレディのクーペ
 ショウでのダットサン・クーペ1500は、注目度の高さもあって、翌1965年3月にCSP311型、日産シルビアとして生産、発売に移される。

 エンジンは、フェアレディSP310型に使用されていた1.5L搭載のショウモデルとは異なり、1.6Lの新エンジンになっていた。

 このエンジンは、1.5Lに較べボアを拡大し、ストロークを縮小した1595ccだったことから、吹け上がりのよさなど1.5L時代とは大いに性格を変えたものであった。早速に、フェアレディにフィードバックされ、SP311型フェアレディ1600になっている。

 シャシーをはじめとするメカニカル部分はフェアレディに準じるが、ダイアフラム式クラッチ、前輪にディスク・ブレーキの採用などが目新しい。これもすぐにフェアレディに引継がれている。

 注目のボディは、殿内製作所(現在のトノックス)でセミ・ハンドメイドという形でつくられた。充実したインテリアもシルビアの大きな特徴となった。

 シルビアは、フェアレディにとっても有効なプロトタイプというような役も果たしているのだった。

■いまや貴重な趣味の……
 
内外装とも高級感のある丁寧なつくりで、今もイベントなどで注目を集める一台だ
 今回、シルビア、それもレアでマニアックというべきクルマを採り上げたのは、その後50年以上が経過して、いろいろな見方が生まれてきたことについても触れたかったからだ。

 1965年から1968年まで、554台という少数の生産に終わったCSP311型シルビア。その後、1975年にS10系として量産された2ドア・ハードトップとしてシルビアの名前が復活するが、それは、初代とはなんの脈絡もない、ただ同じクーペ・ボディだからその名を受継いだ、というような印象であった。

 同じ「Silvia」の字体ではあったが、その前に「NEW」の文字、「ニューシルビア」で通された。

 その後もシルビアは七代目までチェンジをつづけ、2002年まで生産がつづけられ、中にはS13系やS15系というヒット作もあった。

 それはまた別の機会に採り上げることになるだろうが、ニューシルビアからも20年が経過するいまとなっては、存在感という点ではわずか500台あまりの初代シルビアの方がグッと大きくなっている。

 決して希少価値が、というわけではないのだが、佳き時代のよくまとまったコンパクトなクーペは、いまも欲しいタイプのクルマ、ではないだろうか。ともすれば実用性、経済性が重視されるけれど、でもそれは道具としてのクルマの場合。もうひとつ趣味の対象としてのクルマを考えたとき、俄然輝きを増してくる。

 だって、1.6Lという手頃なサイズ、特別よくつくられたボディ内外、フェアレディ・ベースだから走りの性能も悪くない。もちろん時代は感じられるけれど、それはクラシカルな味わいとして、クルマ趣味実践者にとって悪いものではない。

 昨今もイヴェントなどで、オリーヴ・グリーン・メタリックのスタイリッシュなボディは、大いに目立つ注目の存在になっているのだ。

 【著者について】
いのうえ・こーいち
岡山県生まれ、東京育ち。幼少の頃よりのりものに大きな興味を持ち、鉄道は趣味として楽しみつつ、クルマ雑誌、書籍の制作を中心に執筆活動、撮影活動をつづける。近年は鉄道関係の著作も多く、月刊「鉄道模型趣味」誌ほかに連載中。季刊「自動車趣味人」主宰。日本写真家協会会員(JPS)

********************************

立浪の愚!三塁手ダメな高橋周平を遊撃手起用?

中日立浪和義監督、いよいよ無能を曝したか?現役引退して、中日の試合を解説したり見たりしているだろうに、高橋周平の三塁守備をちゃんと見てないのか?三塁守備ダメな選手を、遊撃手で使えると思っているのか?

コレは、金子が引退した日ハムで、大谷を二刀流で遊撃手にするプラン作ったり、近藤を遊撃手にしようとしたのに等しい。結局、大引を獲得して埋めたし、中島がレギュラーに定着したが。

マチュア野球の監督コーチの、チーム作りやポジション決めの基本すらわかってないのか?まず、一番上手い選手を投手にする。その次に上手い選手を遊撃手と二塁手にする。左右の動きどちらを得意にするかで、二塁/遊撃手振り分ける。捕球巧拙や走力や身長や性格などで他の各ポジション違って来る。

立浪和義はPL高出身だから、そういう経緯を理解せずポジション競争下にいて、理解できていないのか?ヘディング宇野を見てるから、遊撃手に重きを置いてないのか?

根尾昴に捕手もやらせたら?栗原やキムタクを超えて、全ポジションOKのユーティリティープレーヤーとして、全日本やメジャーへの道も拓けるのではない?

*********************************

遊撃起用の高橋周平が拙守連発 中日・立浪監督の采配に「迷走している」の指摘
5/26(木) 16:15 Yahoo!ニュース
  111 
Aクラスとの差が開いてきた立浪中日(時事通信フォト)
 5月中旬から失速している中日・立浪和義監督の采配に疑問の声が上がっている。波紋を呼んだのが、交流戦前に敢行した高橋周平の「遊撃起用」だった。三塁でゴールデングラブ賞を2度獲得するなど守備能力の高さに定評があったが、和製大砲・石川昂弥を育てたいチーム方針で今年から二塁にコンバート。ところが、シーズンに入って京田陽太のファーム降格など正遊撃手不在のチーム状況となり、指揮官は高橋周を遊撃で起用することを決断した。

【写真】根尾の二刀流、立浪清原のPL共演 今季の中日で話題を呼んだシーン

 だが、その試みが機能しているとは言えない。高橋周は5月21日の広島戦で試合途中に8年ぶりに遊撃の守備についたが、平凡な遊ゴロをトンネルする適時失策。5月24日の西武戦も1点差に迫った4回に滝沢夏央の打球をファンブル。ピンチを招き追加点を許した。打撃も3打数無安打と良いところがなかった。地元テレビ局関係者も首をかしげる

「攻守に精彩を欠いていた京田のレギュラー剥奪は理解できますが、なぜ高橋周を遊撃で起用したのかは不可解です。立浪監督は交流戦全18試合が人工芝なので対応できると話していたが、そんな甘いものではないでしょう。高橋周の脚力だと三遊間、二遊間の打球が厳しい。8年間守っていない遊撃は体に掛かる負担も大きい。そもそも、このような起用法をするならなぜ根尾を外野から遊撃に再コンバートさせたのか。チームを強くするビジョンが見えてきません」

 立浪監督からすれば、根尾は遊撃としてまだまだ発展途上で、スタメンで使い続ける力が備わっていないと判断したのだろう。また、貧打を解消したいという思惑も見える。遊撃に高橋周を起用することで二塁・阿部寿樹、三塁に石川と「超攻撃型布陣」が完成する。だがこの見方に、スポーツ紙デスクは疑問を呈する。

「高橋周が打撃で結果を残しているかというとそうではない。長打を打てるわけではなく、機動力があるわけでもないので得点力が上がる布陣とは言えません。むしろデメリットのほうが大きい。高橋周が遊撃に入ることで守備のミスを覚悟しなければいけない。広いバンテリンドームを本拠地に置く中日は守り勝つ野球を突き詰めないと白星が積み重ねられません。落合博満元監督の黄金時代を支えた二塁・荒木雅博、遊撃・井端弘和の『アライバ』が象徴的な存在です。チームが下降線をたどっているので焦りもあると思いますが、立浪監督の采配は迷走しているように感じます」

 中日は交流戦前に中村紀洋1軍打撃コーチが波留敏夫2軍打撃コーチと入れ替えを発表するなど、ファンが不安に感じるニュースが続いている。前出のスポーツ紙デスクはある懸念を口にする。

「コーチ陣が立浪監督にモノを言えなくなるような空気になるのが懸念されます。高橋周の遊撃起用などコーチが反対しなければいけない案件だと思います。根尾や三ツ俣大樹、堂上直倫など遊撃を守れる選手がいるわけですから。その場しのぎの起用法だとチームが立ちいかなくなってしまう。守備位置がコロコロ変わる高橋周もかわいそうですよ。今年の戦力を考えた時に優勝は厳しい。CS進出を狙えるどうかでしょう。中日ファンもその状況は理解している。選手の育成に主眼を置いて根尾を遊撃に据えるべきだと思います」

 ギャンブルにも近い高橋周の遊撃起用。立浪監督の決断は吉と出るか。

*********************************

肩ヒジなら制限?死んだら騒ぐ?ランニングも制限?

詳しい要因は不明だが、こういうコトは、大学生でなくとも、小中高校生でも起きるし、実は起きているのに隠蔽しているかも知れない。大学生でも、たかだか外を1時間ランニングしたくらいで死ぬのだ。グラウンドスポーツたる、野球に限らない。ラグビーやアメフト、ヘタすればテニスでも起きるョ!

アメリカのスポーツ医学とやらを受け売りした運痴学者達が、鍛練のためのトレーニング抑制論を展開して、甲子園でも科学的根拠は何一つないタマ数抑制ルールをコジツケた。

ハッキリ言う!

準備運動や練習してない、鍛練できてないヒトは、1球投げても肩ヒジ壊すし、走塁で故障するコトもある。グラウンドに出たり、ロードワークで走ったりしてなければ、小中高大の体育の授業で走っても、死んだり転倒してケガしたりもする。

この2年超、コロナバカ騒動の無意味なマスクで、酸素摂取量が落ち、免疫力抵抗力も落ちている。ただでも、鍛練度合が落ちているトコに、何をやっても死んだりケガするョ!

もう、小中高大、体育も運動部も禁止するか?

逆に、鍛練として、個人の責任と引き換えに、認めるトコに戻すかしかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

********************************

岐阜協立大の野球部員、倒れ死亡 ランニング中に、救急車呼ばず
5/26(木) 12:02 Yahoo!ニュース
  1477 
記者会見の冒頭、頭を下げる岐阜協立大学長=26日午前、岐阜県大垣市
 岐阜協立大(岐阜県大垣市)は26日、硬式野球部の4年生男子部員(22)が14日、ランニング中に倒れて意識を失い、翌日に死亡したと発表した。当時、監督らは救急車を呼ばず、倒れてから約30分経過後、部の車で病院に運んでいた。部員は搬送後にコロナ陽性が判明。死因は「公表する立場にない」としている。

 大学によると、14日午前11時ごろ、約1時間走ったところで倒れた。グラウンドで数十人が練習に参加。通常は20~30分で、この日はやや長かったという。

 監督は救急車を呼ばなかった理由に関し「熱中症だと思った。部の車で運んだ方が早いと判断した」と説明しているという。

********************************