マクラーレンF1

マクラーレンF1、当時のF1テクノロジーを駆使した究極のスーパースポーツカーを作るというコンセプトは、どのチームどのメーカーどのデザイナーでもあったろう。ただ、実行するには様々なハードルがある。

このマクラーレン、G・マレーが携わって数年を要した。その間に、マクラーレンはF1トップグループからコケ落ち、トップドライバーやホンダエンジンは離れた。

そんな中、エンジンサプライヤーBMWに落ち着いた。マクラーレンBMWはエンジン供給してなかったが、マレーデザインのブラバムにF1用直4ターボを供給していた。N・ピケで2度のチャンピオンを獲得した。そのBMWに、E32型750の5リッターSOHCエンジンをDOHC化6リッター化してチューニングした。600馬力超に1,150キロ、パワーウエイトレシオ2弱、トルクウエイトレシオ20弱は、20年近く経った今のクルマと比較しても遜色ない。

ただ、エンジンパワーはココまで必要だったのか?実際、おカネ持ちのバカは手痛いドライビングミスを犯した。右ハンドル/左ハンドルと比べて、センターステアリングは右にも左にも死角を作り、公道運用にはそぐわない。

ル・マンを制覇したドライバーラインナップに、トヨタワークスの関谷正徳もいた。

 

 

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当時最強のF1チームだった「マクラーレン」が生んだ究極のロードカー! その名も「F1」とは
2021/07/21 14:02 WEB CARTOP

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 創始者の夢が現実となった「マクラーレンF1」

 1992年年5月12日、伝統のF1モナコGPで賑わうモナコの地に、のちに20世紀の最高傑作と評されることになる1台のスーパースポーツが発表された。「F1」というシンプルな車名を掲げたそれは、マクラーレン・カーズリミテッド社の手によって開発されたもので、それは創始者であるブルース・マクラーレンが生前描いていた夢、「自社ブランドを掲げた、究極のロードカーを作ること」を現実のものとしたものだった。

新車時は手が出ないが中古なら半値以下! 庶民がスーパーカーに手を出すとどうなる?

 ブルース・マクラーレンがこの世を去ってほぼ20年、F1プロジェクトをオーガナイズする立場として指名されたのは、GPマシンと同様にロン・デニスゴードン・マレー、そしてグレイトン・ブラウンの3名だった。ちなみにマクラーレンは、1992年のモナコGPにおいて、すでにF1の価格を発表している。その額はじつに53万ポンド。海の物とも山の物とも、そしてどれほどのパフォーマンスを発揮するのかさえ知らされるまま、この53万ポンドのスーパースポーツカーは1994年からデリバリーが開始されると約束されたのだ。

 1992年の12月末には、早くもプロトタイプの第一号車が完成した。基本構造体はカーボンモノコック(正確にはセミモノコックだが)。リヤミッドにはM社製の60度のバンク角を持つ6064cc仕様のV型12気筒自然吸気エンジンが搭載された。あるいはもっと早期に大排気量の自然吸気エンジンの搭載を考えたのならば、ホンダ製エンジンを選択した可能性も高かったという。

 627馬力のスーパーカーはセンターシートを採用!

 F1用のエンジン開発を請け負ったM社側のプロジェクトリーダーは、ポール・ロッシュ。ゴードン・マレーとはブラハム時代からの仲である。そして完成したエンジンは、重量が補器類を含めてわずかに260kg。最高出力は627馬力。レブリミットは7500rpmという数字になるが、それが負担する車重総重量は1140kg。運動性能の高さは推して知るべし、だ。

 そしてこのマクラーレンF1が、実質的な後継車ともいえるGMA T.50に引き継いだのが、1+2シーターというキャビンデザインだ。ひとは「両手に華で最高じゃん」、というかもしれないが、じつはセンターシートのクルマというのは(さほど数があるわけではないけれど)、フォーミュラーカーなどを体験してみれば理解できるように、慣れるまでのドライブがとても難しい。かなりの確率で右か左に走行ラインが寄ってしまうのだ(あくまでも個人的な経験ですが)。

 さらにこのF1、およそその走りにアソビというものがない。ペダルは激重だし、ステアリングも正確無比の一語に尽きる。最高速はイタリアのナルド・テストコースで記録した386.16km/h。そういえば5台目のプロトタイプ、「XP5」とともに、マクラーレンは日本にもプロモーションのために来日。鈴鹿サーキットTIサーキット英田なんかでは、ロン・デニスやプロドライバーが実際の走りも披露してくれたのだけれど、まさかここで恐ろしい光景を見ることになるとはなぁ。

 だいたいこの手のクルマはプロモーションとかお披露目の時の走りが一番危ない。ブガッティのベイロンだって、カリフォルニアのラグナセカのターン1で見事にスピン決めたおかげで、発売が何年か遅れたしね。走るベイロンを取材するためにカリフォルニアまで行ったたオレは、もっと焦ったわ。とにかくパワーあるクルマ乗るときは、運転するのが誰であっても自制心が必要ですよ。

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