ベネトンB191-02とは・・・

ベネトンB191とは、マクラーレンでN・ラウダやA・プロストらとMP4の土台を築き、87年フェラーリではF1初のセミATマシン640をデザインし、90年途中にフェラーリからベネトンに移籍したJ・バーナードが、91年シーズンに向けてリリースしたクルマだ。

90年シーズン途中からJ・バーナードはベネトンに移籍したが、90年マシンデザインには間に合わず、R・バーンがデザインしたマシンを使用した。

89年鈴鹿で記録上優勝したA・ナニーニは、ULPの事故で片腕切断、ロータスからN・ピケが移籍した。また、T・ブーツェン後に2nd加入したJ・ハーバートは前年のケガが治り切らず、R・モレノが代わりを務めるようになり、90年鈴鹿はN・ピケとR・モレノの1-2フィニッシュした。(3位はエスポラルース鈴木亜久里)

90年オフ、鈴木亜久里ベネトンから2ndオファーがあったが、カレはエスポラルース残留した。ベネトンはセンセーショナルな2ndを探した。ソレが、91年シーズン途中ホッケンハイム、エディージョーダンからスパフランコルシャンでデビューしたM・シューマッハベネトン移籍を呼んだ。鈴木亜久里ベネトン2ndに収まっていたら、余程鈴木亜久里が不振でない限り、メルセデスCカーからのシューマッハ加入はなかったろうし、F1の歴史は変わったろう。

そんな91年に当たって、前年H・ポストレスウェイトのティレル019で話題を呼んだフロントのハイノーズ&アンヘドラルウイングに対して、バーナードなりの形を描いて見せたのが、ベネトンB191だ。

アンヘドラルウイングでは異形に依る弱さがあるため、高め太めのハイノーズから2本ステーで1枚フロントウイングを吊るすフロントにした。

91年はカナダで、ウィリアムズFW14のN・マンセルが最終ラップクルージング中にエンジンキルスイッチを触って停止、N・ピケがこのB191-02で優勝した。

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懐かしい!M.シューマッハも乗った32年前のF1マシンがオークションに登場「ベネトンB191」ってどんなクルマ?
2/20(月) 7:40 Yahoo!ニュース
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M.シューマッハ選手もドライブ
 RMサザビーズ社のプライベートセールスに、1991年製「BENETON B191(ベネトンB191)」が登場して話題となっています。

【画像】まさにF1ブーム絶頂期! 1991年製「ベネトン・フォードB191」の画像を見る(21枚)

 ベネトンB191とはどんなクルマなのでしょうか。

 
RMサザビーズのプライベートセールスに登場した1991年製ベネトン・フォードのF1マシン「B191」
 ベネトンB191は、当時のフォーミュラ1(F1)チームであるベネトン・フォーミュラが1991年のF1世界選手権参戦用に開発したフォーミュラカーです。

 1万3800回転で最高出力730馬力以上を発生する3.5リッターのフォードHB V型8気筒エンジンを搭載。設計は有名なレーシングカーデザイナーのジョン・バーナード氏でした。

 このマシンはアクティブサスペンションとセミオートマチックギアボックスを前提に開発サれていましたが、1991年シーズンを通じて6速MTと従来のサスペンションを使用、MTを搭載した最後のF1カーとなりました。

 今回オークションに登場したのは、シャシナンバー「B191-02」と呼ばれるマシンです。1991年シーズンF1グランプリ第3戦、サンマリノGPで投入されたこのクルマは、ネルソン・ピケ選手がドライブ。予選は14位でしたが、決勝はリタイアとなっています。

 その後の第4戦モナコGPでもピケ選手に割り当てられ、予選は4番手となりましたが、スタート時にマクラーレン・ホンダゲルハルト・ベルガー選手に追突されリアサスペンションを損傷、リタイアとなっています。

 第5戦カナダGPでは、ウイリアムズ・ルノーナイジェル・マンセル選手が独走していましたが、優勝目前の最終ラップでエンジンが停止、結果としてB191-02のピケ選手が劇的な優勝を飾りました。

 その後、ベネトン・フォーミュラチームにミハエル・シューマッハ選手が加入しましたが、結果として1991年はカナダGPが唯一の優勝、コンストラクターズ争いでも4位に終わりました。

 B191-02はその後、博物館で展示されていました。2016年にはF1スペシャリストがエンジンとギアボックスをオーバーホールし、サーキットでも走ることができるコンディションになっています。

 マシンを見ると、メインスポンサーの「キャメル」のイエローを中心としながらブルー/グリーンのベネトンカラーが鮮やかな1台となっています。スポンサーには「サンヨー」「オートポリス」などの日本企業のロゴも入り、当時の日本経済が好調だったことを物語ります。

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 1991年シーズンのF1は、日本でも1980年代後半からのF1ブームが続き、大人気でした。マクラーレン・ホンダアイルトン・セナ選手とウイリアムズ・ルノーナイジェル・マンセル選手がドライバーズチャンピオンを争い、第15戦の日本GP、鈴鹿サーキットでセナが生涯最後のチャンピオンを獲得しています。

 この年、日本人初のレギュラードライバーだった中嶋悟選手が引退しています。
VAGUE編集部

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