高島礼子に限らず、女優って。

このヒト、レースやっていたとか、華やかな話ばかり出ているが、このヒトはレースクイーンもやっていた。その当時から、生活の面倒見ている舞台俳優系パパがいたと言われる。そのパパは、当然ながら自分の家庭もあるから高島とは結婚できないから、高島礼子高知東生との結婚を認めたとか。

本来、高知東急の名でAV男優もやっていたオトコとの結婚には、事務所やファンも反対していた。確か、AV女優あいだももと離婚してたし、そんなオトコ相手では高島のイメージが悪くなる?しかし、高島礼子自身は私生活のスモークでしかなかった。高知東生高島礼子に大した相手もしてもらえず、かと言って離婚しては自分のイメージが更に悪くなってしまう。仕方なく続けていたが、恐らくは離婚したくてヤクの誘いに乗った。犯罪者になってしまったが、漸く離婚デキた。

別に、高島礼子だけの話ではない。稲森いずみのヤクザ系パパの話は、反町隆史との結婚話出た時に発覚した。反町隆史自身と事務所社長が詫びに行って収めた。稲森いずみと別れた後、松嶋菜々子と結婚して事故消しした。

他、沢口靖子があの美貌で独身、スキャンダルの1つも出てないの、不自然かつ不思議じゃない?水野真紀は後藤田ジュニアの囲われだったのは伏せられていたが、後藤田ジュニアが写真週刊誌に撮られたおかげで陽の目を見て、結婚デキた。そうでなければ、結婚すらデキず一生日陰のオンナにされていたろう。沢口靖子も同じ東宝系、松岡修造がアタックして振られた話はあった程度。マスコミが追跡すらしないのは、政界系の囲いではないの?

まあ、同じ東宝系でも、売れるのに時間かかったら会社から構われず、長澤まさみみたいに塚本高史のオモチャにされたケースもある。おかげで、オーディション当時とは見る影もない巨乳垂れ乳になってしまったが。

オンナも、家庭や子供に関心なければ、適当に不自由ない暮らしが保証されるなら、タマにオヤジの性の捌け口になるのをガマンしても、日陰のオンナをやるのだろう。

昔、沢口靖子篠ひろ子稲垣吾郎を取り合う「彼」というドラマがあったが、実生活の沢口靖子はそういう感じではないかと思った。

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高島礼子「バブル時代が一番貧乏…」カーレーサー時代の困窮生活
8/23(月) 6:06 Yahoo!ニュース
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車の中で自由と音楽を満喫した当時は高3だったという高島
「私にとっての’80年代は、16歳で原付免許、18歳で四輪免許(普通自動車免許)、果てはA級ライセンスまで取得した“乗りもの命”の青春時代でした。そしてドライブ中、よく聴いていたのがユーミン。ずっとファンで、今年初めの舞台でも、ユーミンの新曲『ノートルダム』を歌わせてもらったくらいなんです」

【写真あり】幸せそうに夫・松任谷正隆氏を見つめるユーミンの結婚式姿

こう語るのは、女優の高島礼子さん(57)。ほかに渡辺真知子オフコース矢沢永吉も好きだったが、’80年代アイドルがこぞって出ていた歌番組やバラエティ番組を見る機会は、少なかったという。

「父が厳しくて、とにかくテレビを見せてくれなかったんです。ただ“歴史の勉強にもなる”と、例外的に許してくれたのが、時代劇。家族が集まって『暴れん坊将軍』(’78~’02年・テレビ朝日系)や『水戸黄門』(’64~’19年・TBS系)をよく見ていました。『8時だョ!全員集合』(’69~’85年・TBS系)も『暴れん坊将軍』の裏番組だったので、ほとんど見られませんでしたね」

そんな高島さんにとって、当時、夏の風物詩ともなっていた、逗子マリーナでのユーミンのコンサートは1年に一度の楽しみだった。

「毎年必ず、仲のいい友達数人と行くんですが、横浜の人間として、逗子にまで来てくれるユーミンを神のように思っていました。舞台演出もすごくゴージャスで、日常を忘れさせてくれる。帰り道、みんなであれこれ語り合うのも楽しい時間でした」

■乗りもの愛が高じて、高校卒業後はアマチュアレーサーに

高校を卒業後、いっそう“乗りもの”にのめり込んだ高島さんは、自動車関連会社に就職。

「総務部総務課という、車とはほぼ関わらない部署でしたけど(笑)。並行してアマチュアレーサーとしての活動も始め、21歳のときに国内A級ライセンスを取りました。ただ、レースは夢中になればなるほど、お金が出ていく一方で……。世の中が好景気に沸き上がったバブル時代が、いちばん貧乏だったかもしれません」

レースの資金稼ぎのために始めたキャンギャルがきっかけとなり、芸能事務所に所属し、’88年、女性のための転職雑誌『とらばーゆ』(リクルート)のCMに抜擢。その姿がテレビ局のプロデューサーや松平健の目に留まり、’89年、25歳のときに、父が見ることを許してくれた希少なテレビ番組『暴れん坊将軍』で、女優デビューを飾ることになる。

「レースではどんなに頑張っても男性の腕力や気力、オタク度に勝てず、限界を感じていて。この先、どうやって生きていこうと考えていたところでした。厳格な父も本来なら芸能界入りに反対したのでしょうが、声をかけてくださったのが、あの“暴れん坊将軍”ですから。拍子抜けするほど賛成してくれました(笑)」

以来、ドラマや映画、舞台など、多方面で活躍。8月20日からは、被爆した長崎・浦上天主堂のマリア像を軸に、平和への願いが描かれた映画『祈りー幻に長崎を想う刻ー』が公開される。

「映画は、お客さんが選んで、お金を払って、時間を作って、来てくださるもの。だからこそ、演じる側としては、瞬きひとつにも気持ちを込めたい。そう思えるのも、ユーミンの唯一無二のステージを、毎年、見てきたからかもしれません」
「女性自身」2021年8月31日号 掲載

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