完全試合、達成するコトはもちろん、惜しいトコに行くのも殆どない。
そんな中、槙原の時はテレビで見た。あのシーズンの槙原は、決意というか、目の色が違った。目の悪いカレ、カラーコンタクトをしていたワケではない。オフに巨人主力投手として、珍しくFA宣言した。槙原自身は地元の中日を念頭に置いていたハズ。
巨人主力投手で、メジャー行きの海外FAはあっても、国内FAでの宣言は稀だ。当時の巨人、実力以上の評価をされ、ドップリぬるま湯だから。それを国内FAを宣言するのだから、かなりの決意だった。出て行く可能性はかなり高いと見られていた。
しかし、長嶋茂雄は槙原の自宅を花束を持って訪れ、残留を求めた。長嶋がそういう行動したのは、工藤公康FA獲得の時しかない。
確か、この1年は「ボクは、FAで巨人に来た選手だと思ってる。」と口にし、シーズンや日本シリーズを戦った。
その象徴が、この完全試合だった。
元々、甲子園にも出て、大府高から入団し、2年目デビューから素晴らしい投手だった。デビュー戦はバース・掛布・岡田と並ぶ阪神相手に、延長戦まで完投、殆どストレートだった。今のスピードガンの160キロはウソじゃないの?と思うくらい、カレの150キロは速かった。(江川は135キロでも速く見えたが。)以後は、山倉の要求か、中村投手コーチの指示か、スライダーピッチャーになっていた。
それが、この年は他の変化球よりストレートを押していたように思う。実際、右打者アウトローへのストレートとスライダーは素晴らしかった。元々、江川らと違い立ち上がりも良く、一回りを抑えるコトはよくあったが、この日は気がつくと中盤過ぎても走者を出さなかった。適度に打線の援護を受け、終盤は一茂を三塁にしていた。しかし、最後は一塁手落合へのファールフライだった。
この年のカレは、日本シリーズの胴上げ投手にもなったハズ。
今井雄太郎は阪急の時、テレビ放送はされてなく、ニュースで知った。
******************************
プロ野球の歴代完全試合達成者、わずか15人の球史に残る名投手
8/30(月) 6:00 Yahoo! JAPAN
イメージ画像,ⒸSPAIA
初めての偉業は1950年の巨人・藤本英雄
プロ野球で長く達成されていない記録のひとつに完全試合がある。1994年5月18日に槙原寛己(巨人)が達成して以来、27年も空白となっている。
ノーヒットノーランは昨年も小川泰弘(ヤクルト)が達成するなど、最近3年間でも2018年の山口俊(巨人)、2019年の千賀滉大(ソフトバンク)、大野雄大(中日)を含めて4人が達成。ヒットを許さないだけでなく、四死球も出さず、味方のエラーもなく27人で終わらせることがいかに難しいかが分かる。
日本のプロ野球で初めての完全試合は1950年6月28日、藤本英雄(巨人)が西日本戦で達成した。戦中から戦後にかけて通算200勝、歴代最高の通算防御率1.90をマークした右腕の勲章のひとつだろう。
以降、槙原まで15人が達成している。
1955年に武智文雄(近鉄)がパ・リーグ初の完全試合。翌1956年に宮地惟友(国鉄)が達成すると、さらに翌1957年8月21日には400勝投手・金田正一(国鉄)も偉業を成し遂げている。同年、金田は28勝(16敗)を挙げて自身初の最多勝に輝いた。
1958年には西村貞朗(西鉄)が続き、1960年には島田源太郎(大洋)が史上最年少の20歳11ヶ月で達成。翌1961年には立教大時代に長嶋茂雄、杉浦忠の2年後輩だった森滝義巳(国鉄)が達成するなど、この頃は毎年のように記録されていた。
1966年には佐々木吉郎と田中勉がたて続けに達成
1966年にはたて続けに2人が達成した。まず5月1日に佐々木吉郎(大洋)が広島戦でパーフェクト。引退まで通算23勝しかしていない右腕が球史に残る大仕事をやってのけた。
さらに5月12日には田中勉(西鉄)が南海戦で達成。この年は23勝12敗、防御率2.34をマークし、リーグ最多の217三振を奪う活躍だった。
1968年には外木場義郎(広島)も偉大な系譜に名を連ねる。1965年にプロ初勝利をノーヒットノーランで飾った右腕は、1968年9月14日の大洋戦で16三振を奪って完全試合。1972年にもノーヒットノーランをマークし、通算131勝を挙げた。
佐々木宏一郎(近鉄)はアンダースローから繰り出すスライダーとシュートを武器に活躍。1970年10月6日の南海戦で完全試合を達成し、同年は17勝5敗で最高勝率に輝いた。
さらに翌1971年8月21日には高橋善正(東映)が86球で完全試合。奪三振はわずかに1、内野ゴロを打たせて凡打の山を築き、史上12人目の偉業を達成した。
今井雄太郎はDH制唯一、槙原寛己は平成唯一
1973年には八木沢荘六(ロッテ)がパーフェクトゲーム。10月10日の太平洋とのダブルヘッダー第1試合で達成した。
1978年8月31日には今井雄太郎(阪急)がロッテ戦で達成。指名打者制度では唯一の完全試合となっている。前年まで通算6勝しか挙げていなかった今井は、同年に13勝を挙げて飛躍のきっかけをつかみ、1981年に19勝、1984年に21勝で最多勝に輝いた。
今井から16年後の1994年5月18日には槙原寛己(巨人)が広島戦で達成。正田耕三、緒方孝市、野村謙二郎、金本知憲らが並ぶ広島打線から7三振を奪い、102球で平成唯一、20世紀最後の偉業となった。
21世紀初の完全試合は誰が成し遂げるだろうか。その瞬間を楽しみに待ちたい。
【関連記事】
・ハードルが高くなった200勝、次の達成者は?現役投手勝利数ランキング
・藤浪晋太郎と大谷翔平が目玉だった2012年ドラフトの答え合わせ、外れ1位の成績は?
・高校野球史上2人しかいない甲子園で完全試合を達成した名投手
記事:SPAIA編集部
SPAIA編集部
******************************