カロッツェリアのモーターショー

スーパーカーのカードで、知られてもないショーカーは、割とハズれの部類だった。

しかし、日本のマンガでも使われた。

今は「JIN」の作者、村上もとかの「赤いペガサス」という、日系イギリス人が77年富士で逆転のF1チャンピオンになるマンガで、主人公・赤馬研のクルマはフェラーリ308レインボーだった。

また、池沢さとしサーキットの狼」では、このフェラーリディノ206Sコンペチオネをイジった。現物はアルフレッド開発指揮のF2用2リッターV6だったのが、マンガでは主人公・風吹裕矢の流石島レース用に308GTB用3リッターV8搭載と拡幅とフロント空力変更が主な変更だったろう。

ランチアストラトスターボは、「サーキットの狼」の日光街道レース、グループ2~6オールジャンルで風吹裕矢のクルマだった。ライバル早瀬左近はポルシェ935-77、義兄飛鳥ミノルはマーチ74SBMW、椿健太郎BMW320ターボ、京極さくらはBMW3.0CSLターボらを相手に、最終コーナーまでトップを走った。現実とは、全く違ったが。

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オタクでも知らない車種ばかり! マニアック過ぎるスーパーカーの祭典「ラ・カロッツェリア・イタリアーナ ’77」とは
2021/09/05 19:05 Auto Messe Web

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東京・晴海がイタリアになった日

 スーパーカーブーム全盛時の1977年。東京・晴海がイタリアン・デザインの先見性に圧倒されたことがあった。世界に名だたる名カロッツェリアによる魅力的なコンセプトカーが一堂に会した夢のモーターショーでは、スーパーカーに魅せられた子どもたちに楽しい未来が待っていることが示された。

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イタリアの人気カロッツェリアによる傑作が多数展示された

 いま回顧すると非常に貴重かつ画期的な催しだった。いや、奇跡的なショーだったと言ったほうがいいのかもしれない。入場料が当時にしては高価な2000円だったため、子どもたちが溢れかえるというイベントにはならなかった。だが、日伊デザイン交流協会が主催し、ピニンファリーナベルトーネジウジアーロ、ザガート、ミケロッティ、ギアなど、イタリアの人気カロッツェリアによる傑作が多数展示された。

 それが「ラ・カロッツェリア・イタリアーナ ’77」で、異色のモーターショーだった。数多くのコンセプトカーだけでなく、トミタオートの協力によってスーパーカーも展示され、計34台が晴海国際貿易センター内を彩った。

魅力的なコンセプトカーが一堂に会した夢のモーターショー

 今回掲載した往時の写真を快く筆者・高桑に提供してくれた永山 憲さんは、28歳のときに「ラ・カロッツェリア・イタリアーナ ’77」を見学するために晴海国際見本市会場東館を訪れたのだという。地元は広島だが、東京で就職したらしく、魅力的なコンセプトカーが一堂に会した夢のモーターショーの開催を自動車雑誌などのメディアを通じて知ったそうだ。

 永山さんは昔からクルマのデザインに興味があったらしく、そのため、「ラ・カロッツェリア・イタリアーナ ’77」に対する期待値はハンパなものではなかったという。

 「ずっとジウジアーロのことが好きだったんです。ピニンファリーナやギアも好きでしたが、おもにジウジアーロの作品を重点的に観ました。昔は外車のデザインがそれぞれ違って、非常に面白い時代でしたね」

 ジウジアーロ好きが高じ、いすゞ・ピアッツァに乗っていたこともあるという永山さんにとって、世界のコンセプトカーが一堂に会したカロッツェリア・イタリアーナな心底高揚できるイベントだったに違いない。

 ちなみに、永山さんは、それまでにもスーパーカー関連のショーを観に行ったことがあったという。そう、往時はスーパーカー関連のショーが毎週末開催されており、いまでは考えられないような状況だったのだ。誰も彼もがスーパーカーに魅せられていたブーム全盛時に6歳ぐらいだった筆者も、両親が連れて行ってくれた地元百貨店のイベントにてブルーのランボルギーニカウンタックLP400を間近で観ることができた。 あれから45年近く経ったが、初めて観たカウンタックLP400の雄姿をはっきり憶えている。きっと、永山さんも自分の目で初めて観たスーパーカーのことや、「ラ・カロッツェリア・イタリアーナ ’77」でディテールを確認することができたコンセプトカーのカッコよさを一生忘れることはないだろう。

ラ・カロッツェリア・イタリアーナに展示していたクルマ

 前置きはここまでにして、実際に展示されていたクルマを一挙公開しよう。車名の表記が当時の主催者発表に準じていることをご理解いただきつつ、各車の説明をお楽しみいただけたら幸いだ。

ランボルギーニ・ブラボー

 ウラッコをベースとしたランボルギーニのショーモデルであるブラボーは、1974年のトリノ・ショーで発表された。ホイールアーチやリアクォーターのデザイン処理は、ブラボーと同じようにベルトーネ作品のひとつであるカウンタックに通じるものがある。

 リヤエンジン上のルーバーは24個もあり、冷却効果を高めていた。ブラボー用マグネシウムホイールは新しくデザインされたもので、のちにカウンタックLP400Sにも採用された。

ランボルギーニ・マルツアール

 ミウラのシャーシを使った4シーターモデルのマルツアールは、1967年のジュネーブ・ショーで発表されたベルトーネのエクスペリメンタルモデル。エンジンはフロントではなくリヤに置かれ、リヤシートへの乗り降りを容易にするためにガラス張りのガルウイングドアを採用していた。

 4人分の座席を確保するため、ホイールベースミウラの2500mmに対し、2620mmまで延長されていた。コンコルソ・デレガンツァ・ヴィラ・デステ2011においてベルトーネから放出された6台の中に含まれ、151万2000ユーロで落札された。その後のレストアによって、かつての美しい姿とパフォーマンスを取り戻しただけでなく、1967年以来51年ぶりとなるF1モナコGP(2018)にて記念走行を披露した。

フェラーリ・レインボー

 直線基調のシャープなラインを特徴とするベルトーネのショーカーだ。1976年のトリノ・ショーでデビュー。フェラーリ308レインボーとも呼ばれ、その名の通り308GT4がベースだった。

 レインボーとは「晴れでも雨でも」の意味で、晴れの日には金属製のルーフをシートの背後に立てて収納することができた。車体前部に配された硬質ゴムが衝撃を吸収するようになっており、これがバンパーの役割を果たしていた。日本において、トヨタMR2をベースとしたレプリカも造られた。

アルファロメオ・ナヴァホ

 1976年のジュネーブ・ショーで発表され、大きな話題を呼んだベルトーネの意欲作。ベースとなったのは、アルファ・ロメオのT33というレーシングカーだ。当時最先端のエアロダイナミクスを積極的に取り入れながら、未来のクルマのプロポーションを模索していた。

 前端と後部にあるエアスポイラーはコンピューターで角度が自動調整され、リトラクタブルヘッドライトはフロント部の側面から出てくる仕組みだった。ナヴァホとは、アメリカ・インディアンの一部族の名前。

アウトビアンキ112ルナボーツ

 X1/9の起源となったアウトビアンキ112ルナボーツ(ラナバウト)は、1969年のトリノ・ショーでデビュー。当時ベルトーネのチーフデザイナーだったマルチェロ・ガンディーニによるスタイリングは、フルオープンの2シーターバルケッタというものだった。

 ヘッドライトがロールバーの横に付いており、このあたりのディテールからもテスト的なプロトタイプカーであったことを窺い知れた。

アウディNSUトラペェツェ

 世界初のロータリーエンジンを搭載する4ドアセダンとして1967年にデビューしたNSU Ro80をベースとするベルトーネ・デザインの試作車。ボディサイドまで回り込んだ曲面ウィンドウがポイントで、室内のシート配置が交互になっている点も特徴だった。

シトロエン・カマルグ

 1972年のジュネーブ・ショーにて発表されたベルトーネの習作であるカマルグは、シトロエンGSのシャーシの上に空気抵抗が少ないボディを載せていた。シンプルで美しく、しかもシトロエンらしさに溢れた名作だった。カマルグとは、南フランスの干潟地帯の名前。

美しいコンセプトカーを見て眼福を味わう

PFモデゥロ

 大阪万博の会場でも展示されたPFモデゥロは、ルーフがドアとして機能するキャノピースタイルを採用していた。1970年のジュネーブ・ショーで発表。

 ちなみに、モデゥロとはイタリア語で部分の意。ベースとなったのはCAN-AM参戦用に製作されたフェラーリ612Pで、ピニンファリーナによる個性的なボディの下に排気量5LのV型12気筒エンジンを搭載していた。万博公開時の説明に「シャーシは512S」と書かれていたため、PF 512S モデゥロと呼ばれることがあるが、単にPFモデゥロと表記するほうが正しい。

ディノ・コンペティツィオーネ

 一般的にディノ・コンペティツィオーネと呼ばれているこのクルマの正式名はフェラーリ・ディノ206Sコンペティツィオーネ・プロトティーポ。ピニンファリーナのコンセプトカーとして、1967年に発表された。ドアはガルウイング式で、前後に調整可能なスボイラーを装備していた。

サーキットの狼」に登場したオリジナルマシン、ヤタベ レーシングスペシャルのルーツは、このクルマだったと思われる。おそらく、カロッツェリア・イタリアーナの期間中も数多くの“狼フリーク”がディノ・コンペティツィオーネにカメラのレンズを向けたはず。

フェラーリ512Sベルリネッタ・スペシャ

 ル・マン24時間レースで活躍した512S(当時のグループ5スポーツカー)のシャーシにピニンファリーナが前衛的なボディを被せた試作車。1969年のトリノ・ショーで発表された。フロントガラス全体と一体で前方に開くドアなど、特徴的なディテールを採用していた。市販型ミッドエンジンGTのためのひとつの布石として造られ、フェラーリBB(ベルリネッタボクサー)に各所のラインや造形が採用された。

フィアット・アヴァルス2000クーペ・スペシャ

 1969年のジュネーブ・ショーで発表された2000クーペ・スペシャルは、クループ6カテゴリーの制限内で空力ボディの可能性を追求したピニンファリーナの試作車。ベースとなったのは、アバルトの2000ccレーシングカーだ。

 ボンネットとフロントウインドウのラインが真っすぐにつながり、ノーズのリフトを抑制。エンジンのカウルがボディシェルを兼ねている点も特徴だ。直線状に並ぶ6つの前照灯ヨウ素ハロゲンランプ

ストゥディオCR25

 車名に空気抵抗係数を意味する「CR」が付けられたストゥディオCR25は、フロントエンジンの実用的な2+2スポーツクーペで、可能な限り優れた空気力学的特性を追求することをテーマに製作された。 ピニンファリーナ風洞実験室での数カ月にわたる試行錯誤の末に完成し、その結果得られた空気抵抗係数は0.256という極めて小さいものだった。後部横の赤い三角形はブレーキ・フラップだ。1974年のトリノ・ショーで発表。

もしもタイムマシンがあったら会場に行ってみたい!

ミケロッティ・レザースペシャ

 フランスのミッドシップスポーツカー、マトラM530のコンポーネンツを流用し、専用デザインのボディを被せたワンオフモデルがミケロッティ・レザースペシャルだ。1971年のジュネーブ・ショーで発表された。

 ガルウイングタイプのドアを備えており、全高わずか1080mmという驚くほど低いプロポーションを特徴としていた。ボディ剛性と冷却水路を確保する目的で、分厚いサイドシルを採用していた点も外観上のポイントだった。

マセラッティ・メディチ

 1974年のトリノ・ショーでデビューしたメディチは、イタルデザインによるランニング・プロトタイプ。ロールスロイスなどとは異なるVIP向けプレステージ4ドアセダンの新しい試みで、マセラティ・インディ用の5LV8エンジンを搭載していた。

ザガート・ヤングスター

 ユーモラスなデザインのヤングスターは、ザガートが1970年に発表した小さなロードスター。もともとはフィアット500のエンジンを積む予定だったが、ラ・カロッツェリア・イタリアーナ ’77に展示された車両はホンダ N360のエンジンを積んでいた。

ザガートZ80

 ザガートZ80の「Z」はゼータと読む。数字の「80」は1980年代を見据えたスポーツカーという意味で、空気抵抗の軽減と車内空間の確保という相反する命題の両立を図っていた。日本で展示されたのは、1976年のトリノ・ショーで発表された石膏モデルだ。

ランボルギーニミウラ・イオタ

 スーパーカーブーム全盛時に日本各地で開催されたショーやフェスティバルではミウラをベースとしたイオタ仕様が脚光を浴びたが、ラ・カロッツェリア・イタリアーナ ’77の会場では「ミウラ・イオタ」という直球勝負のネーミングで子どもたちを歓ばせた。

ランチャ・ストラトス・グループ5

 ランチアストラトスといえば世界ラリー選手権で大活躍したアリタリア・カラーのマシンが有名だが、ラ・カロッツェリア・イタリアーナ ’77ではシルエット・フォーミュラ仕様のストラトスも展示された。グリーン/ホワイトを基調としたアリタリア・カラーと赤いホイールとのコンビネーションが印象的で、往時の少年たちはシルエット・フォーミュラのカッコよさを再認識した。

 ちなみに、1977年に開催された富士フォーミュラ・チャンピオンレースにおける「スーパーカーVSレーシングカーショー」というアトラクションにて、星野一義選手がドライブしたランチアストラトス・ターボGr.5がこのクルマである。

ほかにも魅力的なモデルが展示されていた

 フェラーリ365BB、ロータスエスプリ、ランチアストラトスのほか、デ・トマソ・パンテーラGTSGTSスペシャル/GT4仕様、フィアットX1/9、フィアットアバルト131ラリーなども展示された。

 いま見てもカッコイイと思えるコンセプトカーとスーパーカーブーム全盛時のアイドルが一堂に会した夢のイベントは、結局、後にも先にも開催されなかった。おそらく、今後もこの手のショーが実施されることはないだろう。タイムマシンがあったら、この会場に行ってみたいものだ。

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