フェラーリ365P、残念なプロトタイプ!

フェラーリ365P、様々な意味でプロトタイプだった。

ディノ的なスタイリングに、センターステアリング3座、デイトナ同型V12の縦置ミドシップだった。

プロトタイプであるなら、横置V12は作らなかったのか?フェラーリはディノ206/246GTや308GTBらに於いて、鋼管フレームに横置ユニットをマウントし、優れたハンドリングカーとして送り出した。この型の横置V12ミドシップを出していたら、横置V12の歴史が変わったのではない?

操安のためにホイールベース延長が必要だとしたら、中央に前後座席、菱形になるよう左右座席を配置し4座にすれば、ミドシップ自体の歴史も変わったのではない?

本来、マクラーレンF1でも作られた3座、1人なら良いが、2人だとバランス悪い。MP4/12C以降は左ハンドルになっている。しかし、座席を菱形配列し、2人の時は運転者後の席にタンデム的に座れば、左右バランスも悪くなかったハズ。

色んな意味で、残念なプロトタイプだった。

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幻の横3人掛けフェラーリ、知ってる? 「365Pベルリネッタ・スペチアーレ」誕生の背景
2/14(火) 12:36 Yahoo!ニュース
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オリジナルはパリ出品車
 
ジョヴァンニ・アニェッリが初代オーナーだったフェラーリ365Pベルリネッタ・スペチアーレ シャシーナンバー88015。壁面には納車日のオーナーの姿や、ブロヴァローネによるディーノ・プロトタイプとの比較スケッチも。
フィアット創業家出身で同社会長を務めた「ジャンニ」ことジョヴァンニ・アニェッリ(1921-2003)が1960年代中盤に特注したフェラーリが修復され、イタリアのトリノ自動車博物館(MAUTO)で期間限定公開された。

【写真】ジョヴァンニ・アニェッリ(1921-2003)を取り巻く「特別な」クルマたち【補足資料】 (9枚)

正式な車名は「フェラーリ365Pベルリネッタ・スペチアーレ」

最大の特徴は、横3人掛のシートをもつことである。ステアリング位置は、同様に3人掛けシートを採用しながらも左側にオフセットした1980年「マートラ・ムレーナ」のようなものではなく、車両の中央に配置されている。

オリジナルとなった車両は、イタリアを代表するカロッツェリアの1つ「ピニンファリーナ」が1966年パリ・モーターショーに展示した。ボディカラーは「ビアンコ・ガルデーニャ」と名付けられた白だった。

実際のデザインは当時同社に在籍し、1965年の「ディーノ・プロトタイプ」、同「206」「246」を手掛けたことで知られるアルド・ブロヴァローネによる。

彼の回想によると、365Pベルリネッタ・スペチアーレはそうしたディーノ各車にデザインが似ていたことから、ピニンファリーナ社内で大きなディーノを意味する「ディノーネ」と呼ばれていた。

理由はジョアッキーノ・コロンボ設計の12気筒4.4Lエンジンを縦置きで搭載したためで、拡大された部分は、とくにホイールベースとテール部分で明らかである。

ただし前年にパリで公開したディーノ・プロトタイプと異なり、365Pは左右両フェンダーに内包されたヘッドライトや、フロント中央のエアインテークなど、フェラーリの伝統的デザインを継承してした。

この白い365Pベルリネッタ・スペチアーレはトリノやロンドンの各ショーでも巡回展示されたあと、フェラーリの米国インポーターを務めていたルイジ・キネッティの手に渡った。

慣れが必要な車両感覚
 
ジョヴァンニ・アニェッリ(1921-2003)
その傍らで極秘のうちに、もう1台の356Pがジョヴァンニ・アニェッリのオーダーによって、ピニンファリーナでナンバー88015のシャシー上に製作された。

これがこのたび修復を終え、公開された車両である。アニェッリ用はシルバーメタリックに塗装され、公道テストの結果スポイラーが付加された。

このスペシャル・フェラーリに関し、アニェッリは「驚異的な加速力だった。ただし、運転席が中央にあったため、左右の車両感覚には慣れが必要であった」と語っている。

ところで、彼がこの特殊な位置にステアリングがある車に関心を示したのには背景がある。それは1952年に本人が他の車を運転していたとき巻き込まれた交通事故と関係がある。

センターステアリングのレイアウトなら、障害が残っていた左足に空間が確保できたのだ。より具体的にいえば、左右座席はドライバーズシートである中央席よりも後退して装着されている。

加えて、変速機もポルシェのセミオートマティック「シュポルトマティック」が選ばれていた。

アニェッリは「TO 888888」のナンバープレートとともに4年後の1970年まで愛用。走行距離は9600kmを刻んだ。その後車両は、当時カリフォルニアにいた企業家の手に渡った。

今回の修復はジュネーヴを本拠とする古典車スペシャリスト&ディーラーのサイモン・キッドストンのディレクション下でおこなわれた。

これを機会に、変速機は通常のものに換装された。公開はアニェッリの没後20年も記念したもので、2023年2月末まで展示されることになった。

漂う高貴な趣味性
 
アニェッリの元所有車と異なり、パリ・モーターショー出品車にはスポイラーが付加されていない。2022年5月イタリア・コモ「コンコルソ・ヴィラ・デステ」で。
アニェッリの365Pにはサイドにブルーのラインが走っている。これは後年のフェラーリテスタロッサ・スパイダーやフィアット・パンダ・など、彼による他の特注車の一部にもみられる、いわばシンボルである。

歴史をひもとけば、「ディノーネ」公開前年である1965年にフィアットフェラーリと正式に提携を調印している。

だがそれ以前から両社の関係はあった。アニェッリ個人も、それ以前に複数のフェラーリを所有している。

生前のアニェッリはルノワールマティスそしてバッラといった、近代絵画を中心としたコレクターとしても知られ、今日でも一族が運営するトリノの絵画館で鑑賞できる。

あの高らかに鳴り響くエンジンサウンドと獰猛なエグゾーストで知られるブランドとは思えない、気品漂うフェラーリたちからは、美術コレクション同様、彼の高貴な趣味性を見る者に伝えるのである。
執筆 AUTOCAR JAPAN編集部

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