このヒトに野球を語る資格あるか?

東大卒だけど、このヒト、ロッテでは2軍ですら試合にも投げられなかった。ロッテの育成方針がおかしいのか、京大田中も東大小林もダメだった。カレらを、カラダ任せ力任せでやってるメンバー同様に扱うコーチ陣では、単なる鍛練不足選手としか扱えず、小林はドラフト最下位で大した待遇もなかったが、田中はドラフト2位な分ムダ遣いになった。

東大小林は、左腕投手でも確か湯舟よりも小さく、それこそフォームのキレいさやスピードやコントロールや変化球など取り柄のない、何故ドラフト指名する必要あるのか疑問なくらいだった。

京大田中は、右腕投手だが180センチ超すし150キロ出る投手だった。キチンとした強化のアプローチがされれば、大成の可能性も、理論的分析もデキて、カラダだけでないアタマの指導もデキる指導者になる期待もあった。しかし、ロッテの指導者は藤浪への阪神指導者同様、ダメ出し雁字搦め指導でイップス誘発した。

何故か小林はソフトバンクのフロントに入り、一体ドコ見てるかわからん査定を繰り返し、杉内の流出を招いた。

本来、野球がどう、勉強がどうと、このヒトも言ってるのにガッカリ。野球であれ勉強であれ他の仕事やスポーツであれ、実践して学んで改善してマスターする過程がある。後は、それぞれの存在する環境に依る。ソコで成功デキていれば、他の分野に行っても成功デキる。

小林、ソフトバンクのフロントで大金稼いだかも知れないが、チームマネジメントで成功したと思わない。むしろ、選手流出を増やしたと思う。今、小室圭がやろうとしている、成果のない肩書ビジネスでしかない。

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東大卒の元プロが説く「野球ひとつに懸けちゃダメ」な理由
9/18(土) 12:01 Yahoo!ニュース
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 9月も中盤に入り、多くの高校3年生の球児が「部活動」としての野球に一区切りをおき、次のステップに向け準備を進めている時期だろう。そして今後の進路について不安を抱える球児も少なくないのではないだろうか。

都内屈指の進学校・都立小山台の一選手のタイムスケジュール

 そこで今回、小中高の球児に向けたオンライン学習サービス「Baseball Study」を運営する須合啓さん(株式会社Educe Japan代表)と東大卒の元プロ野球選手・小林至さんに「文武両道」をテーマに対談していただいた。高校野球の指導者の経験も持ち、現在も球児と第一線で向き合っている須合さんが、高校3年生当時の小林さんの心境から、東大時代、プロ野球界での経験、そして現在の思いに迫った。

 小林さんの「エール」が、夢へ突き進むための不安要素を解消する一助となれば幸いだ。

東大合格は人生初の「成功体験」
 
小林至さん
 まずは小林さんに人生を「野球と受験」を軸に振り返ってもらった。神奈川県立多摩高校出身の小林さん。当時の野球部の実力は「せいぜい2~3回戦止まり」で甲子園は遠かった。それでも「大学で野球を続けたい」という思いで一念発起。引退後、受験勉強に取り組んだ。しかし大学野球の舞台は全国の強豪校から実績のある選手たちばかり集まる。「阪大だったら試合に出られるかも」と難関国立大の大阪大を目指した。

 しかし「箸にも棒にも掛からず」不合格となった。そこで「どうせ浪人するなら、ヘボでも輝ける最高の舞台でやりたい、ということで東大志望を宣言しました」。大学野球最高峰の舞台である東京六大学リーグでプレーすることを目指し、「アホみたいに」勉強した。

 すると現役の頃の蓄積もあり、7月の東大模試ではA判定が出た。これは浪人組の間でも話題になったという。「灘、開成、筑駒などの常連が居並ぶなかに『多摩高、小林』が入り、『あいつ本当にすごいことになった』と騒がれました」。東大模試で結果を出すことは受験生にとって最高のステータスでもあり、自信もついた。

 無事、合格を勝ち取とった。当時のことについて、「53歳の私から客観的に俯瞰してみると、あの時の成功体験は大きかった。実はこれが初めての成功体験なんですよ」と振り返る。大きな目標を達成し、晴れて東大野球部に入部することができた。

話題性・情熱買われプロ入り
 入部当初は投手か野手か、すらも決めてなかったが、河野敏章監督(当時)から、左だから投手やったらどうか、と勧められ、投手になった。すると2年春にはリーグ戦初登板を果たしエースとなった。「自分としてはすごい成長物語。神宮で投げる喜びですっかり舞い上がった」と当時を振り返る。しかし勝利を挙げることはできず、4年春の開幕戦では70連敗を喫し連敗の歴代記録を作った。NHKスペシャルで特集が組まれるほどだった。その悔しさと、ノビシロを信じて、社会人で野球継続することを決めた。

 しかし、「どうせならプロ志望でもいいんじゃないか」と持ち前の上昇志向を発揮する。「東大生がプロ志望」。当然、世間の注目を集めた。それを聞きつけたロッテ球団の金田正一監督(当時)により特別にプロテストが行われた。受験翌日にはスポーツ紙全紙が一面で取り上げた。「坊主、そんなに野球が好きか?ーはい。」そんな会話も小林さんの心に刻まれている。

 見事合格を果たしプロ野球選手への道が開かれた。留年したため1年間は練習生として過ごし、1992年のドラフトで千葉ロッテマリーンズに8位指名を受け正式に入団。プロ入り後はオープン戦での1勝のみで、一軍公式戦での登板機会なく1993年に現役を引退した。

活躍には「反骨心」と「引き出しの多さ」
 
須合啓さん(株式会社Educe Japan代表)
 現役を引退してからは、アメリカに7年住んだ。コロンビア大学修士号MBA)を取り、現地採用のサラリーマンもやった。帰国後、江戸川大学助教授として採用され、研究者の道を歩み始めていたところに、ホークスを買収した孫正義さんに誘われて、福岡ソフトバンクホークスの取締役として、10年間、球団経営に携わった。フロント業務を通じで多くの選手を見てきたことで、プロで活躍する選手の共通点もみえてきたという。

――プロでも活躍する選手にはどんな特徴があるのでしょうか。「学業ができる」ことも重要ですか?

小林:第一線で戦えている選手はまず、才能の力が大きいですが「反骨心」があります。プロで成功するヒトには性格が悪い方が多いですね(笑)

 そしてもう一つは「引き出しをいくつか持っている」選手です。ここは「学業ができる」ことの延長線上にあるものでしょう。例えばスランプに陥った時、壁に当たった時に自分を消化する方法を複数持っている子は強い。プロで長くやってる子、才能のわりに出来る子はそうだと思います。


野球は「感覚」を頼りにするスポーツである。その感覚にズレが生じ、修正するには、時にはこれまで成功を収めてきた手法も捨てる勇気が必要となる。その際、適切な取捨選択ができる選手は強い。しかしこれらを持ち合わせていたとしても、「成功」したと言える選手はほんの一握りだと小林さんは主張する。

現役期間は「借りてきた時間」
――野球に多くの時間を捧げる、という選択をとる球児も少なくないと思います。

小林:野球をやっている期間は短いんです。仮にプロ野球の世界で活躍できたとしても、長い人生の中で、それはわずかな時間です。そして、多くの選手が志半ばで引退を余儀なくされます。

 指導者以外の引退後のセカンドキャリアといえば、解説者やタレント、野球塾の運営などをイメージする人が多いと思いますが、そのように自分の「ブランド」で生きていける人も1回のドラフトで1人いるかいないかだと思います。いずれにせよ一般社会と交わらないと生きていけません。


英語では才能を「ギフト=神様からの贈り物」と表現するように、アメリカでは現役で野球ができる時間を「borrowed time=借りてきた時間」と捉えている。選ばれた人にしか与えられない時間を使って人生を豊かにする、という考えのもと野球に取り組んでいる。

小林:スタンリッジやサファテは「借りた時間だから返さないといけない。そしてその時間は必ず終わるのである」と口を揃えて言っていました。

野球は人生を豊かにするためのツール
 
小林至さん
小林:「野球」はあくまでも人生を豊かにするためのツールの一つなんです。それを使って進学したり、プロ野球選手になって稼いだお金で人生を豊かにする。アメリカでは多くの選手がこのような価値観で野球に励んでいます。

 彼らは神さまから与えられた才能と時間を使って、願わくば奨学金をもらい大学に行く。そして願わくば高い順位でプロ入りし、活躍する。

 長く続けばいいが、一般論として続かない。しかし野球を通じて培った人脈と教養、学歴とプロをやったという自分をパッケージとして売ることで、人生のキャリアに繋げるんです。

――多くの日本の選手が持っている「野球が全て」という考え方とは大きく違いますね。

野球は未来予想が難しい
――プロのスカウトや球団が高校生の練習をみにいくとき、どこをみているのでしょうか?

小林:いろんなところを見ます。肩が強い、足が速い、球が速い、野球センスなどの素材だけでなく、性格も重要です。また、競馬と同じで母方の血統もみますね。なにせノビシロの推理ですので。

 素材が良いからと言って必ずしも大成するとは限りません。アマチュアでは結果を残してきた選手でも、プロの舞台で些細な変化に対応できず、崩れてしまうケースもあります。


野球は成長予測が極めて難しい競技の一つだと言える。選手の活躍を期待する野球ファンにとって醍醐味の一つだが、大成するには全ての要素が必要条件で十分条件となることはない。

小林:アメリカではNFLMLBに両方ドラフトされると、ほとんどがNFLを選ぶんですよ。その理由は『野球は(大成するか)わからない』から。

野球ひとつに懸けちゃダメ
 
野球に懸けちゃダメ
――ご自身の経験を踏まえ、今の高校球児に伝えたいことはありますか?

小林:教養を身につけてほしいです。野球は人生を豊かにするための『ツール』の一つ。野球ひとつに懸けちゃダメ。アマの実績は過去のもので、“まで”のヒトか、“から”のヒトか、ホントに分からないですから。


野球だけでなく教養を身につけることで、選択肢を狭めないことが大切だ。勉強で育んだ知識、経験を頭の中の「引き出し」に入れておくことで、野球でなくとも壁に当たったり、スランプに陥った際にはそれらを転用して解決へ導いていく。

小林:我々の時代は『どちらか』という考え方が主流でした。私自身も高校の時は野球、浪人の時は勉強と。だけど両方できるはず。今の子たちの方がよっぽど要領がいい。我々の世代よりも情報の処理能力も高いと思うので、できると思います。

 そして、ツールの一つとして『野球』を生かしてほしいです。自分の「履歴書」を整理することで、本来だったら開かれない門戸が開かれます。どの世界も才能はあるがそれは上の一割。その才能がなくても努力と工夫で生きる道はあります。その選択肢の一つに大学進学があり、それが今後の「ツール」となると思います。

――最後に、すでに高校野球をやり切った球児たちにはどんな言葉を送りますか?

小林:高3でもう遅いと思っていても、遅くない!30歳まで何をしたって大丈夫。ただ必ず教養が問われます。

(記事:藤木 拓弥)

■小林至 こばやし いたる
学校法人桜美林学園常務理事、博士(スポーツ科学)、東大出身の元プロ野球選手
1968年1月30日生まれ、神奈川県出身。 県立多摩高から東京大へ進学し1992年に千葉ロッテマリーンズからドラフト8位指名を受け、東京大学史上3人目のプロ野球選手となる。1993年に自由契約となり現役引退。2005年~2014年まで福岡ソフトバンクホークス取締役。編成担当として、戦力補強、球界初の三軍制度導入などに尽力。

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