日体大、言うほどのコトか?

日本体育大学日体大って知っている限りスポーツエリートと言わず、運動能力エリートが進む大学の認識だ。ワタシの中学でも高校でも日体大出身の体育の先生がいた。とにかく、基本運動全てが優れる。だから、何をやってもスゴい。あの時期、日体大からはバレーの川合俊一がいた。それが日体大出て、公立中学や公立高校の体育の先生って就職としてどうなのかとは思ったが、それでも見本として見せてくれる実技はスゴかった。

他に、関口メンディーも野球で日体大に行ったのに辞めたんじゃなかった?TBSの芸能人スポーツマンNo.1決定戦に優勝してたから、如何にも優れているのはわかるが、何で辞めるコトになったの?

実際、日体大出身で優れたプロ野球選手、そんなにいる?本来なら、もっといて然るべきじゃないの?野球に限って言えば、スポーツ基礎動作の五感にも実動作にも優れているんじゃないの?それなら、大学野球でも最強でないとおかしくない?いや、アマチュア時代の五輪でも日体大オンリーで金獲って然るべきだったんじゃないの?

むしろ、野球に限って、キチンとした理論の構築がされていて、キチンとした技術面や体力面の指導をされていたの?

正直、特に野球に於いて、佐々木朗希の腫れ物育成やってる筑波大運痴学者達やタマ数制限を高野連に吹き込んでる学者連中見て、日本の小中高体育教育としての理論構築のなさを感じている。だから、全く正しくないの丸わかりなアメリカ式の受け売りを、今の高校野球指導者達がやってしまっているのではないの?

実は、そのダメさの最たる象徴が日体大や筑波大じゃないの?

 

 

 

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なぜ日体大は次々とプロへ投手を送り込めるのか。元プロの投手コーチが語る「計画登板」の重要性
5/4(水) 10:45 Yahoo!ニュース
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2020年に10勝を挙げたDeNAの大貫晋一
【短期連載】令和の投手育成論 第8回

第7回はこちら>>

 令和の野球界では、選手が「セルフコーチング」できる環境づくりが進んでいる。

【画像】DeNAチア「diana」2022年新メンバー8人厳選カット&練習風景(38枚)

 テクノロジーの導入が最たるところで、簡易型弾道測定器「ラプソード」や、バットに着してスイングスピードや軌道を可視化する「ブラストモーション」はアマチュアでも広がっているものだ。

 インターネット上では多くのフォロワーを持つトレーナーがYouTubeに動画をアップし、オンラインサロンでは好きな指導者を選んで学ぶこともできる。

 選手自身で成長する手段が増えるなか、あらためて問われているのが「コーチの役割」だ。

 

選手と一緒に正解を探す

「それは僕もすごく思うところです。いろんな高校にスカウトへ行きながら練習を見たり、話をしたり、ネットを見たりして、『それは投手コーチの役割なんだろうか?』って考えることがありますね」

 そう話すのは、中日で3年間プレーしたのち、2015年から母校の日本体育大学で投手コーチを務める辻孟彦だ。

 辻の就任後、日体大は2018年ドラフト1位の松本航(西武)、同年2位の東妻勇輔(ロッテ)、2019年同2位の吉田大喜(ヤクルト)、2020年同2位の森博人(中日)と投手たちを次々とプロに送り出している。今秋のドラフトに向けては"二刀流"の矢澤宏太が大きな注目を集め、191センチの長身から最速151キロの速球を投げ下ろす勝本樹も将来性を評価される右腕だ。

 就任8年目の辻は、自身のスタイルを「選手と一緒に正解を探す」と表現する。

「学生コーチでもすごく勉強して、ある領域では僕より知識レベルが高い子もいます。でも、経験はそこまでない。だからこそ練習メニューを組ませて、話し合いながら『じゃあ、こうしよう』と一緒にやっていく。選手も同じですね。『これが100%正しい』という方法はないけど、自分たちが正しいと思ったことを一緒に証明していく。その中で指導者は、選手が成長した原因や、故障やうまくいかなかった理由をどれだけたくさん知ることができるかだと思います」

辻が指導者のキャリアを始めた2015年春、4年生には現DeNAの大貫晋一がいた。社会人野球の新日鐵住金鹿島を経てプロ4年目になるこの右腕は、当時、2013年11月に受けたトミー・ジョン手術のリハビリに苦しんでいた。

「手術から1年以上経ってもまったく投げられていなかったんです。まずは情報を聞き取らないとあかんなと思って、同級生、学生コーチに聞きました。すると、『今日は(施設に)リハビリに行きます』と言って、『練習に来ない』とみんなが口を揃えるんですね。本人は真面目な性格だけど、あきらめている感じがあって。たぶん、自分が治ってから投げている姿を想像できていなかったと思います」

DeNA大貫晋一の復活ロード

 日体大は三軍制という大所帯で、当時はちょうどコーチが入れ替わるタイミングだった。指導者は監督のみという状況で、2015年2月、辻は臨時コーチとして一足早く現場に立った。

 午前中の一軍練習が終わったあと、昼食をとりながら三軍練習を見ていると、10メートルほどのキャッチボールで質の高い球を投げる投手がいた。それが大貫だった。2年春のリーグ戦で3勝を挙げて名前は伝わってきたが、その後、右ヒジにメスを入れたことは知らなかった。

 当時の日体大では故障した選手は三軍に行き、投げられるようになるまで自分でリハビリに取り組むという決まりがあった。大貫はそこで練習していたが、辻は「彼には上で野球できる素質があるので、すぐに一軍に上げましょう」と監督に提案する。

「自分と重ねたんですよね。環境によって、やる気がなくなっているんじゃないかなって。今、リハビリや体力的なトレーニングに取り組んでおかないと、投げられるようになっても絶対また故障すると思ったんです。また、ケガをしている時こそ、練習することの大切さを覚えるんだと。

 監督からも、『大貫はいいものを持っているが、自分に対して弱い部分がある』と聞いていました。その課題があるのに三軍で放ったらかしにしておくより、指導者がともにやっていくべきだと思って、次の日から一軍で一緒に取り組み始めました」

辻自身、高校入学直後に右ヒジの痛みに苦しんだ経験がある。投手陣の輪から外れてランニングを繰り返し、「僕、何やってるんだろ? 陸上部かな」と孤独に苛まれた。

「ケガした時に不安なのは、取り残された気分になるというか......何を指標に頑張ればいいのか、投げられない時間がどこまで続くかも見えない。そんな時、治療院のトレーナーさんや、トレーナーの姉がマッサージをしてくれて支えられました」

 辻は大貫と話し、背中を押してあげる必要性を感じた。初めて見た2月時点では10メートルのキャッチボールしかできておらず、4月中旬に始まる春季リーグに間に合うかどうかはわからない。

 だからこそ、一緒に目標を定めた。

「最終戦でもいいから、リーグ戦に間に合うように頑張ろうと伝えました。そこを目指さないと、残りの学生生活が無駄になると思ったんです。ギリギリですけど、間に合ったというか」

 辻が描いたのは、完全復活までのロードマップだった。球数と登板間隔を調整しながら、先発して9イニングを投げられるように徐々に強度を高めていく。そのなかで重視するのが、「試合で投げる体力をつける」ことだ。

「シートバッティングや紅白戦、実戦のあとにケガをしたり、痛めたりする選手が多くいると見聞きしました。だから試合のなかで、計画性を持って投げていくように心がけています。とくにケガをしている選手には、1カ月分くらい道筋を立てて送っていますね」

 大貫の場合、3月中旬に実戦復帰できた。翌日以降に右ヒジの張りがなければ、1週間後の次回登板からイニング数を1、3、5回と徐々に増やしていく。そうして春のリーグ戦で登板を果たすと、秋には先発2番手としてチームを2位に導いた。2カ月弱のリーグ戦を無事に投げ切り、新日鐵住金鹿島に入社した3年後にプロへ羽ばたいている。

次のステージに向けての計画登板

 同じタイミングで西武に1位指名されたのが、大貫の3学年下の松本だった。日体大では1年秋から先発1番手に定着し、3年夏には大学日本代表にも選ばれている。

コンスタントに投手たちが台頭するのは、辻の起用法に後押しされるところも大きい。大貫に示したのと同じように、1カ月など一定のスパンを決めたなかで、いつ、どれくらい登板機会を与えるかというプランを投手陣全体に提示するのだ。

「うちのリーグ戦で投げている選手の大半は、プロを目指しています。矢澤にしろ、勝本にしろ、プロに行った時にどうなりそうかまで話して練習しています」

 プロで先発タイプを目指すなら、まず大学3年秋に週1度の登板で7イニングを目標にし、翌春には9イニングを月に4度投げられるようにする。その先に、プロでの先発ローテーション入りが見えてくる。

 リリーフタイプの場合は、1週間のうちに2度登板し、3イニングずつくらい投げられるようにしていく。

 こうして先まで具体的に見据えられるのは、辻のプロ経験が大きい。それでも先発かリリーフかを決めきれない場合、「いま悩んでるねん」と素直に伝えている。

「たとえば同級生のピッチャーに、『おまえが7イニングを1、2失点で抑えられるくらい台頭したら、勝本を後ろに回すこともできる。おまえも社会人を狙えるようになる』とか、全部正直に伝えます。そうやって全員で勝ちにいくのがうちのスタイル。こいつだけ、とかはないんですよね。

 卒業した先まで見越しているので、リーグ戦で突然起用法を変えるわけにはいきません。そうやって勝てるとも思っていないですしね。大学中にしっかり準備の仕方を覚えて、目指すべきところに対してどう取り組んだかがうちでの評価になる。それなのに僕が起用法を崩すと、選手は『言っていることと、やっていることが違う』となるから、そこは絶対に崩さないところです」

 日本ではプロアマを問わず、選手は練習でアピールし、オープン戦の"テスト登板"で結果を残せば、初めて公式戦で登板機会を与えられるという起用法が主流だ。だが、「来週行くぞ」といきなりチャンスを言い渡されると、もし身体のどこかに違和感を覚えていたとしても、正直に口に出せない。実際、プロで一定以上の経験を持つ投手からそんな失敗談を聞いたこともある。

対して、日体大では選手とコーチの"関係性"、さらに一定期間の"計画登板"という二段構えで、選手が痛ければ「痛い」と口にできる環境を整えている。大学3、4年になると辻との関係性も深まり、「このあたりに疲労感がきているけど、あと2日くらいしたら取れると思います」などと詳細な会話をできるようになるという。

 こうした土壌があるから、高校時代に名を轟かせていなかった投手でも大学を経て、プロから高い評価を受けるようになるのだ。

 そのひとりが、昨年のドラフトで、社会人経由で"サプライズ"指名された柴田大地だ。日体大荏原高校時代に甲子園出場経験はなく、日体大では1度も公式戦で投げていない右腕が日本通運を経てヤクルトに3位入団した裏には、大学時代に辻と二人三脚で歩んだ日々があった。

第9回につづく

(一部敬称略)
中島大輔●文 text by Nakajima Daisuke

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