カープのエースの背番号って・・・

カープの本来のエースって、背番号14外木場じゃないの?チームが弱かった時代に、完投完封どころか完全試合含むノーヒットノーラン多数やって、カープのリーグ初優勝までを支えた。その時期は抑えはアンダースローの金城、背番号21じゃなかったかな。

古葉監督のカープ黄金期を支えたエースとしては、福士や金石や山根や大野など良いピッチャーはいっぱいいたが、まずは背番号20の北別府や背番号34の川口じゃないの?江夏は背番号26をつけて、3年いたのでは?

以後は、日本一もないが、目立つ投手の背番号は14の津田(沢崎に引き継がれたが。)と背番号15の黒田、背番号18としてはマエケンかな?ただ、マエケンって7回100球投げたらサッサと降りるタイプで、エースとしての熱さを感じなかったけど。

 

 

 

 

 

 

 

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カープ背番号の系譜】球団最後の日本シリーズ胴上げ投手も。待たれるエース級ナンバーの復権<2021編集部セレクション>
1/27(木) 12:01 Yahoo!ニュース
 
直球の力強さはチーム屈指。2022年、ケガからの完全復活が待たれる岡田明丈。
 広島アスリートマガジンWEBでは、これまでカープサンフレッチェをはじめ、広島のスポーツの魅力を伝えてきた。ここでは、2021編集部セレクションとして、昨年特に反響の多かった記事を振り返る。

【写真】赤い宇宙人!?の異名を持つ岡田明丈(秘蔵イラスト)

 今回は、時代を彩ったカープ選手の足跡を背番号と共に振り返る企画。歴代の名投手たちが背負ってきた背番号「17」を取り上げる。(2021年7月3日掲載記事を一部編集)

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 背番号『6』の記事中では、「『1』から『9』までの『ひとケタ番号』は野手が占める割合がかなり高い」と書いたが、対照的にカープで“投手の番号”となっているのが『11』から『24』だ。この中でも一部例外があり、またこれ以外にも投手の割合が高い番号はあるが、俗に“エースナンバー”と言われる『18』を含む『11』から『24』は、“投手ブロック”と呼んで差し支えないだろう。

 その中で今回は背番号『17』を追ってみる。1950年の球団創設時、投手の黒川浩が1年だけ着けて引退したことから始まったこの歴史は、同じく投手の杉浦竜太郎が2年、捕手の門前真佐人が4年(最後の1年は助監督兼任)、1年ほどブランクが空いた後、1958年から鵜狩道夫(のち好応、道旺に改名)と続く。

 西鉄からの移籍後、1967年限りで引退するまで『17』を背負った鵜狩は、好不調の波が激しいことで知られた。本人曰く「お天気屋」だったからというが、ウエスタン・リーグで史上初の完全試合も達成するなど、その地力は確かだ。また鵜狩と言えば1958年、長嶋茂雄の「幻の本塁打」の際の投手だったことでも知られている。2018年、82歳で死去した。

日本シリーズ男の異名を取った本格右腕

 その後4人を置いて、1980年に背番号『35』から『17』に変更したのが山根和夫。1975年のドラフトで2位指名を受け、1977年に入団。1979年には8勝を挙げて頭角を現し、1980年に『17』を着けてからは先発に定着すると、5年間で4度二桁勝利を挙げるなど躍進した。

 “山根と言えば”というほど印象を残したのが日本シリーズでの活躍で、1979年は日本一を決めた第7戦を含めて2勝し、最優秀投手に。翌1980年も第4戦でシリーズ史上3人目の2年連続完封勝利を記録した上、2年連続で第7戦の勝利投手となり、優秀選手に選出された。

 16勝8敗でシーズンを終えた1984年にも日本一決定の試合で勝利投手となって、通算シリーズ戦績は5勝1敗。「日本シリーズ男」の通称も納得だ。またこの1984年にはベストナインも獲得している。だが翌1985年の負傷以降は振るわず、1986年限りで西武へ移籍。1990年、現役生活にピリオドを打った。

 その次の栗田聡が『13』に変更したのを受け、1990年に『33』から『17』になったのが川端順だ。“バタボール”と呼ばれたパームボールの習得をきっかけに、プロ2年目の1985年から活躍を見せた川端については『33』の項で詳述している。

◆FA権を行使し巨人に移籍

 その後4人を経て2002年から『17』を背負ったのは大竹寛だ。2001年ドラフト1巡目指名を受けて高卒で入団すると、当初はコントロールに苦しみ155キロの速球を生かし切れずにいたが、2年目に初勝利を挙げると、3年目には先発ローテ入り。また不調の永川勝浩に代わりクローザーも務めた。

 2009年には球団記録となる連続イニング無失点(43回2/30)をマーク。一時は右肩のルーズショルダーに悩まされるなどしたが、2012年には復活し、翌2013年と2年連続で二桁勝利を記録。そのオフに巨人にFA移籍した。2021年には現役を引退。巨人の巡回トレーニング統括補佐に就任することが発表されている。低迷期のカープで先発の柱の一角として活躍した姿は印象深い。

 その後2年空いて、2016年から現在までの『17』の主は、2015年ドラフト1位で入団した岡田明丈だ。岡田はルーキーイヤーから15試合に先発し、球団の新人投手では川端順長冨浩志に続き日本シリーズで登板するという即戦力ぶりを発揮。

 2017年にはチーム2位の12勝を挙げ、チームのリーグ連覇に貢献。翌2018年も開幕から先発ローテ入りと順調に見えたが、8勝に終わってしまう。

 突如制球を乱すなど安定感を欠く投球が続き、2019年は未勝利に。2020年、2021年は一軍未出場に終わってしまった。指にかかったときの直球は球界随一とも言われるだけに、本格右腕が完全復活し、再び背番号『17』がマウンドに躍る日が来ることを、多くのファンが期待している。

【背番号『17』を背負った主なカープ選手】
鵜狩道夫(投手/1958年-1967年)
山根和夫(投手/1980年-1986年)
川端順(投手/1990年-1992年)
大竹寛(投手/2002年-2013年)
岡田明丈(投手/2016年-)
※初めて背番号を付けたシーズンのポジションを表記。
広島アスリートマガジン編集部

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