巨人⇒西武⇒中日河原、背番号15の呪い

駒大から巨人に鳴り物入りで入団した河原、しかし、巨人が与えた"背番号15"がツイてない人生にしてしまった。城之内の不幸な引退、横山の短命、山倉のナマクラ、木佐貫の不遇、最近までの澤村の公私不幸など。

江川以来のライジング・ファーストボールと多彩な変化球、次代のエースとしての期待は高かった。

突き合って結婚しようとした女性が、実はAV女優だった。わかって突き合ったならまだしも、女性もダマっていたから、婚約解消にもなった。

元チームメイトから、河原が巨人捕手陣の下手っプリ無能っプリをグチっていた話を暴露された。巨人捕手陣のダメリードやダメキャッチングは球界衆知の事実だが、巨人投手陣から言われているコトが明るみに出たのは初めてだった。

故障も多かった。もっと見たい投手だったのに、勿体ない投手だった。

 

 

 

 

 

 

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中日の落合博満政権で復活…42歳までプレーした巨人の「ドラ1」右腕は
2/9(水) 11:00 Yahoo!ニュース
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1年目に8勝をマーク
 
95年、ドラフト1位で駒大から巨人に入団した河原
 落合博満氏が中日の監督を務めていた2004~11年間の8年間は黄金時代だった。すべての年でAクラス入りを果たし、4度のリーグ優勝、1度の日本一を飾っている。強力投手陣で守り勝つ野球は接戦に強かった。セットアッパー・浅尾拓也、守護神・岩瀬仁紀の勝利の方程式がクローズアップされる中、09~11年の3年間中日に在籍して救援で大きく貢献した右腕がいる。巨人、西武、中日、独立リーグ・愛媛でプレーした河原純一だ。

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 河原は県立川崎北高から駒大に進学。東都リーグ通算23勝をマークし、4年時も日米大学野球で好投して最優秀投手に選ばれた。ドラフト1位で巨人に入団し、1年目の1995年に8勝をマーク。阪神戦は3完封を含む6勝と「虎キラー」ぶりを発揮する。140キロ台後半のキレのある直球、キレ味鋭いスライダーを武器とする本格派右腕だったが、その後は右ヒジ、右肩の故障で苦しむ。

 
06、07年は西武でプレーした
 02年に就任した原辰徳監督に守護神に抜擢されると、49試合登板で5勝3敗28セーブと復活したかに見えたが、その後は救援失敗が目立つようになり登板機会が減少。05年オフに後藤光貴との交換トレードで西武に移籍したが、右ヒザ前十字靭帯断裂の大ケガを負った影響もあり本来の投球を取り戻せず、07年オフに戦力外通告を受ける。12球団合同トライアウトへ参加するも獲得球団は現れなかった。

 08年の1年間は母校・駒大でトレーニングする孤独な日々を送る。08年秋のトライアウト受験を検討していた際、駒大の先輩でもある中日・森繁和チーフコーチが「テストを受けに来ないか」と声をかけてくれた。落合博満監督も見守る前で投げると、その場で入団が内定した。

 09年、推定年俸600万円で入団。落合監督は大胆な起用法でファンを驚かせた。移籍初登板は09年5月24日の日本ハム戦(ナゴヤドーム)。1点リードの8回だった。河原は二死から稲葉篤紀に左翼線二塁打を浴びたが、四番の小谷野栄一をフォークで空振り三振に切り抜けて無失点で切り抜ける。632日ぶりの一軍マウンドでプロ入り初のホールドを挙げた。古巣・巨人戦は6試合登板して無失点。44試合登板で3勝0敗15ホールド、防御率1.85と抜群の安定感を見せた。

 全盛期のキレのある快速球はスピードが落ちたが、抜群の制球力は健在だった。スライダー、フォークと精度の高い変化球とのコンビネーションで打者を打ち取る術を身につけていた。11年も30試合登板で1勝4敗10ホールド、防御率2.65。首位・ヤクルトと最大10ゲーム差をひっくり返し、リーグ連覇に大きく貢献する。10月中旬に球団から戦力外通告を受けたが、ヤクルトとのクライマックスシリーズ日本シリーズと計3戦に登板。落合監督に最後まで必要とされていた。

誰にも負けない野球への情熱
 
中日で中継ぎとしてベテランらしい投球を見せた
 中日退団後は12球団合同トライアウトを受けたが獲得に名乗りを挙げるNPB球団がなかったため、独立リーグ・愛媛でプレー。15年は右肩痛でシーズン開始直後に練習生に降格し、公式戦登板なしで現役引退を発表した

 NPB通算275試合登板で31勝42敗40セーブ27ホールド、防御率4.26。抑えても打たれても表情一つ変えないことから「鉄仮面」と形容されたこともあったが、野球に対する情熱は誰にも負けなかった。1年間の浪人、2度の戦力外通告を味わい、独立リーグで42歳までプレー。17年から愛媛の監督を5年間監督務めた。

 河原は現役引退翌年の16年に、週刊ベースボールのインタビュー取材でこう語っている。

「今までの野球と、これからの仕事とは違うんですけど気持ちは一緒ですよね。目の前の課題をなんとか一つひとつクリアしていく。新たな問題が起きれば、また頑張ってクリアしていく。その積み重ねだと思っています。そういう姿勢で取り組んでいかなきゃいけないんだ、やっていかなきゃいけないんだということは、野球を通じて学ばせてもらいましたから。野球の世界ではないところでも、必ず生きてくると思っています。そういう姿勢は変わらずやっていきたいなと思っています」

 派手な生活を好まず、真面目な性格で「野球人」としてのキャリアを積み重ねてきた。ユニフォームを脱いだが、今後の活躍が楽しみだ。

写真=BBM
週刊ベースボール

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