岡田有希子、強引にフタされた真相!

岡田有希子峰岸徹への失恋で飛び降り自殺したコトになっている。峰岸徹は、以後悪役ばかりになった。

岡田有希子サンミュージック水谷麻里の後輩じゃなかった?竹内まりやの楽曲提供で、順調にアイドル歌手として売れた。堀越のクラスメイトには、荻野目洋子らがいて死の数日前、卒業式でインタビューを受けていた。レポーターのマイクに「キレイになりたい。」と繰り返していた。それが最後の言葉だったと思う。元々、落ち着いた雰囲気のコだったが、同じ言葉を繰り返したトコに"鬱"を感じた。

色々、背景は挙がっていた。

1、レーサー萩原光と突き合っていたと言われ、死んだカレの後追い。

2、サンミュージックぐるみの枕営業に使われ、前日複数人に輪姦されたコトが発覚、妊娠のウワサもあった。

3、岡田有希子の芸能活動を後押しする父親と大学まで行かせたい母親と対立、離婚話が起きた。(佐藤佳代、愛知の公立高に合格したから、母親が渋々認めたとか。)

4、峰岸徹とも交際はあった。(関係は不明)

コレらの話が挙がったトコで、サンミュージック岡田有希子両親も一斉に"峰岸徹のせいだ!"と大合唱した。

個人的には"2"だと思っている。今は映画界の枕営業暴露出ているが、以前は高崎聖子の話もあり、大手や老舗はやって来ていると思う。

ワタシは当時福岡に住んでいたが、小泉今日子岡田有希子のファンだった。小泉今日子の「素敵なラブリーボーイ」のプロモーション握手会に行き、一番最後に握手したし、死ぬ前年の九州外車ショーで岡田有希子ゲストの日も行った。(森尾由美や森川友加里の日も行ったが。)1浪中で、仲間が自殺したコトもあり、岡田有希子後追い自殺してないか、電話がいっぱいかかって来た。まだ、大学の合格発表前だったので。

岡田有希子自身は、当時「セーラー服と機関銃」の"来生たかお/えつこの曲を歌いたい"という希望があったとか。かなうコトなくこの世を去った。

ワタシは数日後に大学に合格、今も生きている。

 

 

 

 

 

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岡田有希子くちびるNetwork」輝き続ける永遠のラストシングル
4/8(金) 11:00 Yahoo! JAPAN 
1986年01月29日 岡田有希子のシングル「くちびるNetwork」がリリースされた日
Seiko×坂本龍一岡田有希子最大のヒット「くちびるNetwork

毎回恒例になっていた、資生堂カネボウのキャンペーンソング対決。1986年春は、資生堂が、自身でモデルも務めた中山美穂の「色・ホワイトブレンド」。カネボウ岡田有希子くちびるNetwork」で、イメージキャラクターには沢口靖子が起用された。

くちびるNetwork」は、当時、結婚・妊娠のために芸能活動休止期間中だった事務所の先輩、松田聖子がSeiko名義で作詞を手がけたことも話題となった。さらに映画『戦場のメリークリスマス』で世界的な名声を得ていた坂本龍一の作曲という肝煎りの一曲。

カネボウ化粧品 86年春のバザール」キャンペーンソングとして先行放映され、レコードが1月29日に発売されると、初のオリコンチャート1位を獲得して岡田有希子最大のヒットとなる。大人っぽく攻めた内容の松田聖子の詞でも、清純なイメージが損なわれなかったのは、岡田のヴォーカルの凄味である。

キャンペーンソング対決、相手は中山美穂色・ホワイトブレンド

色・ホワイトブレンド」との対決も、僅差ながらも順位、売上枚数ともに優勢を誇ったのだった。1985年に歌手デビューして破竹の勢いで人気を膨らませていた中山美穂に、竹内まりやが曲を提供した強力タッグとの一騎打ちだったわけで、岡田有希子はこの時、間違いなくアイドル界の頂点に立ったといえる。2月から3月にかけて全国で開催された握手会キャンペーンも大好評で、初日の東京・後楽園ホールには4000人のファンが集まったという。

考えてみれば、岡田有希子のデビュー曲「ファースト・デイト」は竹内まりやの作詞・作曲、その後も竹内は多くの楽曲を岡田に提供していた。CM上のこととはいえ、対抗馬となる中山美穂の作品が竹内の曲だったのは、なんとも皮肉な巡り合わせだったと思わざるを得ない。そんな背景があった上でのNo.1ヒットで、アイドル・岡田有希子が確実にステップアップを遂げたことは間違いない。

永遠の18歳、大切にしたい岡田有希子の明るい笑顔

しかしながら、それから少し後の4月8日、岡田が突然若い命を自ら絶ってしまうという、あまりにも悲しい出来事が起きた。アイドルとして絶頂の中で、いったい何故? と、誰もが疑問を抱かざるを得なかった。

岡田有希子のことを書くとどうしてもこのことに触れずにおけないのは非常につらい。必要以上には言及したくないが、我々の記憶の中で、永遠の18歳のまま生き続ける、彼女の明るい笑顔や躍動的な姿を、これからも大切にしていきたい。当時を知る者ならばファンならずとも、きっと同じ想いのはずだ。

幻になったシングル「花のイマージュ」

くちびるNetwork」は、結果的に岡田有希子のラストシングルとなった。5月14日に発売される予定だった新曲「花のイマージュ」は幻のシングルとなってしまったのである。ジャケットデザインも既に出来上がっており、少し大人びた表情の美しい写真があしらわれていた。

音源は後になって、1999年に編まれたCD『岡田有希子 メモリアルBOX』で日の目を見ることになる。2014年のCD『ゴールデン☆アイドル 岡田有希子』ですべてのシングルレコードジャケットがブックレットで復元された際には、未発売だった「花のイマージュ」も掲載されて公式なものとなった。

直系の後輩アイドルグループ さんみゅ~がカバー「くちびるNetwork

2013年には、サンミュージックから久々にデビューしたアイドルグループ “さんみゅ~” が「くちびるNetwork」でデビューする。直系の後輩がカヴァーしたことで、長年に亘って封印されていたかのような曲がようやく解き放たれ、本来の曲の魅力が甦ったような気がする。

彼女たちのキャッチフレーズ「明るく、元気に、爽やかに 21世紀最初の純白アイドル」に、“清純” という言葉がもっともよく似合うアイドル、岡田有希子の姿を重ね合わせて、感慨に耽ったファンは多かっただろう。さんみゅ~は2020年に解散。岡田の歌を歌い継ぐ、サンミュージックの新しいアイドルはまた現れるだろうか。

※2021年4月8日に掲載された記事をアップデート
鈴木 啓之

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