ツーリングカー、ミドシップやFRにハンデ必要?

こういうツーリングカーレース、FFに対して、ミドシップやFRにハンデを付けていたが、ホントに必要だったのか?

本来、FFに対して、市販車レベルではFRはプロペラシャフトが付いていて、その分重い。ミドシップでは一般に後席分軽い一方で中心部補強が要る。駆動輪荷重を考えるならRR>ミドシップ>FR>FF。前後輪荷重バランスを考えるなら、ミドシップ>FR>FF>RRになるか。

本来2WDに於いて、こんなハンデが必要なのか?FFはマウントがユルく、駆動力変化で揺れると言われる。ミドシップもFFユニット移動のモノは同様だったりするし、余計に補強が必要だったりする。FRもミドシップも、元から重めの仕上がりになるハズ。そう思えば、ノーハンデでもドレも一長一短あり、横一線のレースにして良いハズ。

ミドシップ、タイヤ荷重バランスなどで言えば有利そうに思えても、どうせドライバーがその限界まで引き出せないのではない?

一方で、キチンと作ったら、FFも400馬力くらいまでは行けるのではないの?ニッサンル・マン仕様に作ったFFのGT-R、もうちょいあるんじゃなかった?

今のスーパーGTも、パワーウエイトレシオ2~3とか、トルクウエイトレシオ25~30くらいで、一本のレギュレーションにしたら?2WDならFF、FR、ミドシップ、RR自由にして、4WDなら50キロくらいハンディー課したら?

 

 

 

 

 

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BMW 318i』輸入車勢のトップを快走した日本車のベンチマーク【忘れがたき銘車たち】
5/20(金) 10:30 Yahoo!ニュース
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1995年のJTCCを戦ったスティーブ・ソーパーの『BMW 318i』。同年、インターTECを含む終盤の2ラウンドでは、タイヤを横浜ゴムからミシュランにスイッチした。
 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは、全日本ツーリングカー選手権(JTCC)を戦った『BMW 318i』です。

1997年の規定変更でワイドフェンダーが付き、リヤウイングが大型化された『BMW 318i』。この車両は、木下みつひろがドライブするエンドレスアドバンBMW

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 全日本ツーリングカー選手権(JTCC)は、1994年にグループA規定車両から主に2.0リッターNAの4ドアセダン(FIAクラス2ツーリングカー)によるレースとなった。このJTCCにはトヨタニッサン、ホンダ、マツダといった日本の自動車メーカーが参加していたのだが、すでに先行して2.0リッターNAの4ドアセダンによるレースに移行していた、イギリスツーリングカー選手権(BTCC)を戦っていた輸入車勢も参入してきた。

 JTCCの初年度シリーズにおいて、輸入車勢のなかでも日本車勢にとって最大のライバルとなったのが、今回紹介する『BMW 318i』だ。当時のJTCCに参戦していた『BMW 318i』は、“E36型”と呼ばれるモデル。クラス2仕様の『BMW 318i』は、このE36型のボディにS14型というE30型BMW M3にも搭載されていたエンジンを収めていた。

 S14型と言ってもドイツツーリングカー選手権DTM)で採用されていたエンジン(2.5リッター)の排気量をダウンさせたのではなく、それとはまったく別物のエンジンだったとされている(1995年には1.8リッターの排気量をアップさせたM42型に進化している)。

 この車両をBMWの老舗プライベーター、シュニッツァーが開発を担当。さらにレースオペレーションも行い、BMWワークスとしてJTCCに参入した。『BMW 318i』の最大の利点であり、そして弱点でもあったのが駆動方式だった。JTCC(というか海外でもだが)に参戦する車両は、ほとんどが前輪駆動車だったが、BMWは使用できるベース車両にFF車を持っていなかったこともあり、FR車で戦うこととなった。

 しかし、当時このカテゴリーには駆動方式によるハンディキャップがあり、FR車を使うBMWはFF車に対して100kgのウエイトを搭載していた(1995年は50kg)。このため重量的にはかなり不利な状態での戦いを強いられていた。しかし、操舵輪と駆動輪が異なるFR車のバランスの良さを活かして、FF車と互角の戦いをシリーズを通して見せつけた。

 1994年の開幕ラウンドから参戦したシュニッツァーの『BMW 318i』は、スティーブ・ソーパーのドライブによって、SUGOラウンドの2レース目、第4戦でシーズン初勝利をマークする。

 さらに第9戦、第10戦のMINEラウンド、第15戦、第16戦の仙台ラウンドでもソーパーがそれぞれ2連勝を達成。タイトル獲得の可能性を残して富士スピードウェイでの最終ラウンドであるインターTECへ挑んだが、惜しくもトヨタ・コロナを駆る関谷正徳に敗れ、JTCC初年度チャンピオンの座を逃してしまった。

 翌1995年、なんとしてもタイトル奪取に燃えるシュニッツァーの『BMW 318i』は、最終ラウンドのインターTECの前までにソーパーとヨアヒム・ビンケルホックの両者を合わせても3勝しか挙げられないという苦しい展開に。しかし、ソーパーがコンスタントにポイントを獲得して、タイトル争いを展開する。

 そしてインターTECでは、ドイツのSTWに参戦していたピーター・コックスをスポット参戦させ、チームプレイでソーパーをアシストする作戦を敢行する。これでソーパーは、まずインターTECの1レース目、第15戦のポールを獲得するとそのまま優勝。2レース目の第16戦でも2位表彰台を獲得する。

 ライバルであるトヨタ勢が同士討ちで自滅したことにも助けられ、シュニッツァーの『BMW 318i』は見事2年目にしてJTCCタイトルを手にしたのだった。

 これによって“ワークス”であるシュニッツァーはこの年限りで撤退したが、1996年以降もプライベーターたちの手で『BMW 318i』は参戦を継続した。そんなプライベータBMW勢のなかでも特筆すべき活躍を見せたのが、1996年に中谷明彦がドライブしたオートテック『BMW 318i』だった。

 1996年というのはホンダの最終兵器、アコードが登場した年でもある。プライベーター車両が勝利するのはかなり難しい状況だったが、同年の仙台ラウンドの1レース目である第9戦でアコードを従えて、オートテック『BMW 318i』は殊勲の優勝を果たす。

 これ以降、BMWが姿を消す1997年いっぱいまで勝利することはなかったが、プライベーターでも勝つことができる『BMW 318i』の素性の良さを証明する一勝だった。


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